「夏の海には」を見た人のアンケートで、若者と大人では、全く反対の受け取り方をしていることを聞いて、考えさせられた。それで3人の人と話し合ったのでそのことを述べる。3人と話し合う前のことは、なすび掲示板に書いた。「緋の車観客」についての分析、世代論にもなるので、作者の感想意見も聞きたいと思う。
1、「僕は出て行かないよ、ここに残るよ」。を聞いて安心しドラマの決着、青春との訣別を
感受するのは大人であろう。社会人、家庭人として平凡な日常を維持することの大切さをわかっているから、安心し芝居に満足したのだろう。
2、若者は、出て行かないよ。を聞いて、ああ、彼は出てゆくのだ、出発するのだと感受した。
大人とは反対の解釈である。これは「夏の海には」をちゃんと観てない、自分中心の感受性と嘘のような世界で生活しているから。出て行かない・ここに残る、という宣言を素直に理解しない、あれは嘘の宣言であって、出てゆくのが本音なのだ。と感受し解釈する。これが現代日本の若者たちなのだろう。緋の車のファン若者たちなのだろう。本音は素直にだせない。周囲の大人や友人達とは本音を出して付き合えない、距離を置き虚構の壁の中で傷つかないように暮らす。
自分は出て行かない、でてゆかないから、芝居の中に反対の解釈を観てしまう。
決然と出てゆく気概のある若者ならば、この芝居に違う反応があるのではなかろうか。
3、若者の大人と異なった反応は当然であって、緋の車の若者達には期待できる。
「残ること・出て行かないこと」が、いいのか。出て行かないことでの安定した生活、
子供や妻との生活、印刷所での義兄などとの生活から 生きがいが継続されるのか、
妻も子も幸せな暮らしが生まれるのか。
出てゆくと解釈してしまう若者には、未来を開く気概があるのであって、大人よりも
たのもしい。期待できる。
4、このような異なった解釈が生まれたことで作者は嬉しくもあろうが、
作者の創作真意はどうなのか、若者達の現在の生活と未来をどう考えて
いるのか同世代の作家としての若者観も伺いたい。勿論大人の反応に
ついても聞きたいですよ。 ぜひぜひ なすび掲示板に書いてください。
[2004年5月29日 9時48分26秒]