「ぼくは行かないよ」と言って終わる。なかなか考えさせられた。
若い作者がよくもここまで、夫婦家庭兄妹、会社従業員らの関係、葛藤を小さな舞台に出現させ得たものとやや驚き感心しました。心理劇ではない、私小説戯曲でもないが、映画なら小津の
作風に似ているとも感じられる。狭い夫婦の空間にも兄妹のなかにも社会の風は入り込んでくる。
作者の人間達への洞察は、なかなかのものだ、と年寄りの私は感心もし、ちょと年寄りくさく若者達には「受ける」のかなあと多少の疑問も感じたところです。私が理解し感銘するのと同じ若者が多ければ嬉しいのですが。
終幕のの「ぼく行かないよ」で私は安心もし、(この安心感は大事だ。全否定の芝居でもどこかに安心感がないと見続けられない)感動もしましたが、「行かない」ではなくて「行けないのだ、行きたいが、行くことよりも、とどまることが人間として大切なことだと判断したのだ。
青春との訣別なのだということを、もっと冗長に表現してもよかったのか、どうか。
あの空間で簡潔に表現されたドラマはなかなかのものでした。役者達は夫々役柄にぴったりとはまっていて、台詞がいきていました。なかなかの優れた台詞があちこちに飛び交い
役者達は遣り甲斐が多かったと思う。音楽音響効果もよかった。
役者たちが、夫々の役柄にどれだけ同調し肯定否定しているのかをエピローグとして舞台で
ディスカッションしてほしいと思った、夫婦と兄弟の相違とか兄が心配するようには夫が心配していないように見えることとか、兄嫁は経営者としての夫と、男として夫についてもっと語るなり女として「浮気しないと思って安心しているろことへの不満とか。
妊娠してる妻は役柄にぴったりで、存在感つよく夫を捕らえる姿勢が出ていた。
だからこそというか 実に渋くうまく海への憧れと、祭りの意味をだしていたのだが
若い結婚前の 子どものいない夫婦の 小さな企業の労働の意味の 舞台化ということ
を若い劇団員たちが あまりにも自然に、巧みに、演じたので。
各役者たちが、いかに感じて、演じ表現しているのかが、気になったところです。
5月16日 なすび 伊藤千秋
[2004年5月16日 9時2分28秒]