「剥がれる」観て来ました。雨の中、そして寒い中、江古田ストアハウスは満員でした。んで、率直な感想は・・・前作「哀しみのダンス」に比べたら、とてもとてもあっさりで、観終わった時の感想は「もう、終わっちゃったの」でした。シロウトで、演劇のことなどなにも知らないわたしですが、あえて辛口に言わせていただけば、役柄の個性、背景、をもう少し、掘り下げてほしかった。例えば、主人公は、どうして、なにもできない(しない)でいるのか、弱いからなのか、繊細だからなのか、それとも頭のネジが一本飛んでしまっているからなのか。恭子、普通、多くの妻は、良き妻であろうとする。夫に女がいれば、なおさらのことだ。しかし、恭子のスタンスは恋人の頃のままであるようにしか思えない。事実、夫が倒れても、側へ飛んでいかない。尚子とダイスケの関係も私は、医学の事は、知らないが、下半身が不随となってしまって、たとえ夫婦関係がなくなってしまっても、そういう観念は存在するとおもうし、尚子がその「飢え」を埋めるためには何も主人公の処に来ることもないであろう。結末も登場人物がどうなってしまったのか、生きているのか死んでいるのかすらも私が鈍感だからかよく解らない。結句なにをいいたいかといえば、きちんとしたストーリーを展開して、観客をなっとくさせるか、前作のように、少しわかりずらくても叙情詩的にまくしたて、観客を煙に巻くぐらいの(緋の車にはこの路線が向いているような気もするが)強引さが欲しかった。とはいえ、エネルギーのある方達の芝居は面白いうんぬんの前になにかを得られるような気がします。緋の車のみなさんの今後の活躍、期待しています。
[2002年5月17日 22時40分1秒]