N e w s      地元タウン誌等に掲載された記事の紹介


唐津のタウン誌『feel』掲載記事
Vol.11 2003. 9



2003年12月の記事



ひとびとファイル

隣のあの人は一体どんな人生を歩いてこられたのでしょうか? 地元の、すぐそこで生活している「なかなかの人物」を紹介していくのが、この「ひとびと」のコーナーです。

 取材で訪れたのは、西唐津駅前の『RIKI HOUSE』。知る人ぞ知る、音楽仲間が集まるお店だ。・・・今回お話をうかがう稲葉さんも、ここをホームベースとしながら、全国で活躍されているミュージシャンだ。


   世間は広いよなぁ。
「初めてギターを持ったのは、中学の頃だったよ。」今とは違い、バンドをやる、と言えば不良行為の代名詞だったと稲葉さんは当時を語りはじめてくれた。
「ボクは、サッカーをやってたんだけど、当時は唐津で一番足が速かったんだよね(笑)。だから、夏休みは陸上の大会に引っ張り出されて・・・。そこで初めて世間の広さっていうものを知ったなぁ。」
それまでは人の後ろを走ったことがなかったという稲葉さん。自信満々でトライした県大会で、生まれてはじめて自分より足が速い人たちと出会った。
「ちょうど雨上がりで泥んこのグラウンドだったんですよ。全力で走っているのに・・・他人の背中しか見えやしない。顔には泥はねが飛んでくるしね。もうボロボロ(笑)。」
 そんな屈辱の体験だったにも関わらず、稲葉さんは『悔しさ』を感じなかった。
「なんか『ア然・・・』っていうのかな。悔しいっていうのとは違ったなぁ。」


   唐津を離れてみて
「その頃だったよね、吉田拓郎。」
 時はフォークソング全盛期。歌手の吉田拓郎さんの独特の世界観に、稲葉さんはハマった。
「コピーしまくったよね。彼の歌ならもう何でもオーケー。」
 そして、稲葉さんは83年にランブリン・シューズというバンドで上京。しかし、わずかの期間で解散することになる。その後、茨城県筑波に転居し、現在俳優としても活躍している白竜さんのマネージャーとして働いたりもした。
「そしてソロで歌い始めたんだよね。」
 93年に唐津に帰郷した稲葉さんは、独自の世界を弾き語りながら、九州各地でのイベントや全国ツアーも開始した。
「何て言うのかな、20代はミック・ジャガーになりたくて、30代はボブ・ディランになりたくて、今、ようやく自分になれた・・・っていう感じだよね。」
 97年に、アルバム『誇り高き愚か者』をリリースした稲葉さんは、地道ながらも淡々としたマイペースで、今を着実に生きていらっしゃる。 


  ふるさとを唄う
 右の詩は、稲葉さんのアルバム『誇り高き愚か者』の中にある歌の一節。・・・一度耳にすれば、それが唐津の街や景色や空気を唄ったものだということが分かる。
 それは、地元に暮らしているから通じる詩情では決してないのだろう。どこに住んでいても変わらない人間の悲しみや優しさが、アルバムの一曲一曲から、確かに伝わってきた。
「若い人で、バンドをやるっていう気持ちがあるのなら、博多や熊本とかの、どこかよそでやってみて欲しいよね。・・・それは、それぞれの土地や世間から、いろんなことを学ぶっていうことだからね(笑)。」
 決して皮肉などではなく、読者への言葉を贈ってくれた稲葉さん。来年は3月から1ヶ月間の全国ツアーが待っている。
 取材を終えると、ギターを片手にスタジオへ向かわれる稲葉さんの背中が、『がんばれよ』と私たちに語りかけていた。

  11がつの祭りも終り
  もの寂しい街に舞い戻る
  またこの海の季節をながめ
  南風を待っている

  俺をかすめていく か細い光
  とらえようと広げているんだ
  両手いっぱい
  この街に埋もれても
  根ぐされしないように



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