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テレビ遊歩道 4 「低視聴率で打ち切り」

 テレビ番組の主役というのは、当たれば大スター、外れたら奈落の底にまっ逆さまだ。
「番組の主役にあなたを」なんていう話が来れば誰だって、千歳一隅のチャンスとばかりスターを夢見て有頂天になる。「私にはとてもつとまりそうにありません、せっかくですが」などと断る役者はまずいまい。
 デビュー間もない頃の僕は松竹映画の主役をやっていても、それがどれほど大変なことなのかまったく理解していなかった。
 たまたま大島渚監督の目にとまり映画「太陽の墓場」(1960年)の主役に抜擢され、そのまま映画の世界に飛び込んだ。役作りなど役者として基本的なことは何も考えず、次々と主演の映画を撮っていた。
 テレビに押されて映画が下火になり、再び歌手の世界に戻ったっけれど、やがて人気も仕事も無くなり、基礎から勉強しなおすつもりで、金子信雄氏の率いる「演劇人クラブ・マールイ」に入った。公演を
何度か重ねるうちにようやく、芝居の何たるかが分かってきて、生活は苦しかったけれど、気持ちは充実していた。
 そんなときにテレビの主役の話が舞い込んできた。「隠密剣士」「ウルトラマン」シリーズなど、超人気番組を次々に出したTBS系日曜午後7時からの時間帯だ。
 その枠の新ドラマ「妖術武芸帖」(69年)は鬼堂誠之介という剣術の達人が、妖術師と戦い日本を守っていく話だ。当たれば何年も続けると言うので、1歳の子供を連れ家族で京都に引越し、この仕事に専念することにした。
 慣れない立ち回りに四苦八苦し、宙吊りなどの特殊撮影に耐え、寒い冬も着流し1枚で頑張って取り組んだ。「人気が出ればまた活躍できるし、苦労をかけた家族や親に恩返しができる」そんな思いもあった。
 ところが、話が懲りすぎて子供には難しく、視聴率が思ったほど取れなかった。途中から色々手直しを試みたけれど、結局13話で打ち切りになり、すごすごと東京に引き上げ、また耐乏生活に戻ってしまった。視聴率は生活や人生をも左右することがある。
                  2001.9
《共同通信から全国に配信された原稿》

 (写真)「妖術武芸帖」の鬼堂誠之介。(プロデューサーは平山亨氏で、後日はいろいろな主題歌でお世話になった)。


 

Last Update : 2001/12/19 13:50 << back