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東欧旅行記1・ベルリン

「ラインの景色も悪くはないけど」と何十年も唄ってきたが、ドイツの地を踏むのは初めて。しかしラインではなくシュプレー川のほとり、ベルリンの街であった。
 東西を隔てる壁が壊され、ベルリンはドイツの首都として大きく変わりつつあるそうだが、町の中心部もまだまだ改装途中の状態で、ブランデンブルク門もようやく化粧が終わったところだった。第二次大戦で殆どの建物が壊滅し、東ドイツの手で復興されてはいても、基礎工事のやり直しや、黒ずんだ石灰岩の化粧直しはまだ時間がかかりそうだ。
 同じ民族が住む一つの都市を二分し、社会形態のまったく違う2つの国に分けるという、我々には想像もつかない事が行われていた。東西ベルリンの間にはこのような壁が2重に設置されていて、歩道に近づいただけで銃で威嚇されたという。ペイントは崩壊後に世界中から訪れた画家によって画かれたもので、分断の記録として壁の1部が残されている。
 ブランデンブルク門のすぐ近くのホテルに人だかりがしていた。マイケル・ジャクソンがお子さんと遊びに来ていたらしい。
 圧巻はベルガモン博物館で、ベルガモンの祭壇とアテナ神殿が、発掘した実物を1部に使いながら再現されている。奥の部屋には陶器のモザイクで彩られた、バビロンの要塞の入場門が壮大なスケールで再現されていて、これもまた素晴らしい。パリ、ロンドンと並んで、かつての帝国が遺跡発掘、収集に見せた執着のすごさを伺い見た。
 人口が300万人だから、なんとなく街はひっそりとしていて、開発が進んだダイムラー・クライスラー・シティーやソニーセンターのある、繁華街でも人がまばらだった。さすがに車は多くラッシュは日本と同じ、しかしホーンの音も聞こえず整然と走っている。
 午後は、ヒトラーの遺産と言われるアウトバーンを通り約1時間、湖沼に囲まれたリゾート地ポツダムへ。ポツダム会談の行われたツエツイーリエンホフ宮殿や、サンスーシ宮殿を訪れた。見事な庭園を伴った、たたずまいは素晴らしく、緑の濃い時期にまた訪れてみたい。
 ドイツは森の国といわれるくらいで、ちょっと郊外へ出れば森と畑が一面に広がり、人家も見かけないほどだ。改めて日本の人口密度の高さを感じてしまう。
 二十数年ベルりんに住む日本人の女性ガイドさんによれば、ドイツ人は質実剛健、頑固に伝統を守り続けているそうで、ファッションやデザインは丈夫で長持ちを優先。食事も質素で、朝は栄養を十分に取るけれど、夕食をパンとチーズで簡単に済ませてしまう風習だけは、日本人にはたまらないと話していた。
 丁度私が生きてきた、この60年の間に行われて来た破壊と復興、社会主義と資本主義の戦い、それぞれの挫折や行き詰まり。日本では厚化粧の下に隠されているが、ベルリンの街は色々なことを語りかけてくる。

 翌日はバス移動で、焼物の町マイセンからドレスデンを訪れる。どちらもテレベ川の洪水と支流の氾濫で相当な被害をこうむったが、人々の努力で災害の痕跡が殆ど分からないくらいまで復旧していた。
 ヨーロッパ磁器を作る技術が外部に漏れるのを恐れ、アルブレヒツブルク城の中に職人を幽閉して作らせたというマイセンはひっそりとした田舎の城下町。建物も殆どが古いままで、作っているものの豪華絢爛さとはそぐわない。もっとも高価な磁器だけを作っているのではなく、周りには瓦などの工場があって、小さな工場地帯という感じは日本の焼物の町と同じ。
 日本人観光客が主に訪れる、博物館と販売センターと製作過程見学施設とを兼ね備えた建物に入る。有田や伊万里に比べると、金などを装飾に使った派手で豪華なものが多いのも国民性の違いだろう。我が家のコーヒーカップと二桁も違う!
 テレベ川のフィレンツェと呼ばれるドレスデンへ。ヨーロッパ特有の歴史の重さをどっしりと見せてくれる町だ。ただBSで見た時のあまりの素晴らしさに期待しすぎたのか、曇っていたせいか,バロック調の建物それぞれは凄いのだが、石灰石の汚れが目立つのが残念。もっとも第二次大戦でイギリスに空爆され壊滅状態だったのをここまで復旧したのだから、化粧直しはこれからだろう。次期ワールドカップの頃までには、修復も進みだいぶ綺麗になるらしい。マイセン磁器で描かれたザクセン城の外壁の壁画「君主の行列」は圧巻だ。
 佐賀県にあるツヴィンガー城に取材で行ったことがあったが、ここが本物。洪水で水浸しになり、絵画などを全て最上階まで運び上げたので無事だったそうだ。出発前には内部は見学できないとのことだったが、運良く全て見られた。
 ザクセン王の収集した数々の芸術品の数々にうっとり。豪華な建築物も芸術も、権力と富の集中から生まれるものだと見せ付けられる。やっぱり日本は貧しいのかな?
 夕刻からバスでアウトバーンをひた走りチェコの首都プラハに向かう。日本では経験できない陸路の国境越えだ。といっても、係員(拳銃を所持)が車内でパスポートと顔を照らし合わせ、高速道路の料金所を大きくしたようなところの踏切を越えるだけ。ついでに両替所でチェコの通貨コルナに両替する。交換レートから見てもドイツに比べて物価の安さ、経済状態の違いが想像できる。
 チェコに入る頃にはすっかり夜の帳に包まれた。バスの窓から目をやると、街道両側の暗闇の中に、ミニや派手な衣装をまとった女性が立っていたり、コウコウとネオンの輝く店の窓から外を見ている。ドイツからやってくる男性のユーロを狙っているそうだ。
 ベルリンの女性ガイドさんが特別サービスでプラハまで同行し、バスの長旅に飽きないようにドイツ人堅気など、面白い話を沢山してくれた。後で聞いたら、昔から私のファンだそうで、それならもっと話しかけてあげればよかったと反省。
 同じコースを逆行していた阪急交通さんの添乗員さんも私のファンで、落ち込んだときに私の唄で勇気付けられたと、うれしい話を聞かせてくれた。こういう方たちに会うと、私も少しは人の役に立っているのかな?と自信がわいてくる。 
 
 

 
 

Last Update : 2002/12/07 14:45 << back