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不思議なめぐり合わせ(会計監査院の原稿から抜粋)

 テレビアニメーションの主題歌を歌うようになって30年近くになる。たまたま外国映画の吹き替えをやっていた時「アニメの声をやってみないか」と誘われて『ガッチャマン』の声優をやり、「今度は主題歌を歌ってみないか」と誘われて『新造人間キャシャーン』を唄った。そして半年後に『宇宙戦艦ヤマト』を唄うことになった。それも他の歌手がレコーディングしていたのだが、プロデユーサーの意向に合わず急きょ私が唄うことになったのだ。このヤマトが大ヒットしたおかげで、アニメなどの主題歌を唄い、元気を出そうと呼びかけることがライフワークのようになった。
 この様に書くと、いかにも偶然が重なってヤマトを唄うようになったようだが、何か運命のようなものを感じるときがある。
 というのは、私の祖父が日本海軍の将校だったからだ。東北の貧農の養子から苦学して帝大を卒業。日本に海軍経理学校を創設した人物に見込まれてその愛娘と結婚し、主計中将になり経理学校校長まで勤めた。
 私が子供だった頃、納戸の戸棚の中に紙縒りで綴じられた和紙のノートが何冊もあり「伊号潜水艦・・・円」などと書かれていたのを覗き見た覚えがある。だから祖父は日本海軍の経理には殆ど目を通していたと思える。とすれば・・・あの戦艦大和の建造にも当然かかわりを持っていたはずだ。
 「大和」をはじめ主な戦艦は全て海の藻屑と消え、帝国海軍は壊滅した。戦後になって「俺は何も悪いことしていないのになー」とよく言っていたというから、その無念さは相当のものだったのだろう。それは戦争に負けたことよりも、自分の抱いていた夢が全く違う方向に展開し、挫折した無念さだと思う。
 そして「戦艦大和」が「宇宙戦艦ヤマト」と名を変え、再び日本の若者に夢を与え、孫の私がその主題歌を唄ったというのは、なんとも不思議なめぐり合わせだ。

(写真)左から祖父、兄、私。

P.S. 祖母の兄もまた海軍で、潜水艦々長だった。訓練で艦が故障し浮上中に事故死したそうだ。(艦長は浮上中、もっとも危険なデッキに立つ義務があった。今時の偉い人は後ろに隠れて、責任を取ろうとはしないけどね)

Last Update : 2003/04/01 12:36 << back