15 泡州崎八幡社
江戸時代以前このあたりは泡州崎(あわすざき)と呼ばれていました。現在、桑名の町の外側を流れる町屋川や大山田川は、当時は町の中へ流れ込んできており、桑名の町は3つの州に分かれていました。
初代桑名藩主となった本多忠勝はこれを大改造し、川の流れを付け替えて城を東に置いた城下町に造り替えました。これを慶長の町割りと呼びます。
この八幡社は元はここから少し西の一色町付近にあったようです。 入口にある道標は「右きょういせみち、左ふなばみち」と刻まれており、この通りの北端に建っていましたが、戦後移設したものです。
中世の桑名古地図(久波奈名所図会より)
町屋川と大山田川が桑名の町の中を流れていたのがわかる。慶長の町割りの際、本多忠勝は堀の掘削にあたってこの川の流路を生かしたと言われている。