27 矢田立場
このあたりは慶長の町割り当時は城下外の矢田村でしたが、東海道に面して次第に家並みが続き、旅人の休息する茶店が多くなって立場(たてば、馬や駕篭が休息する場所)になった所です。このあたりは戦災を免れたので、昔の街道の面影がかなり残っています。
善西寺の隣にある竹内家は明治初年に建てられましたが、れんじ格子の下に馬繋ぎの鉄環が今でも見られます。
街道が南へ直角に曲がるところには、昔の火の見櫓が復元されています。
矢田立場付近の街並み 幕末頃の建物も残っている |
馬繋ぎの鉄環 |