33 安永立場安永街並み

 安永は東海道と同時に町屋川を利用した水運の船着き場でした。そのため、旅人を相手とする茶店が多く出て、安永立場と呼ばれました。桑名名物の安永餅もここで売られていたものです。 
 料理屋「玉喜」や「すし清」は茶店の名残です。両店とも庭には立派な藤棚があり、初夏には見事な花を咲かせます。


安永常夜灯

安永常夜灯(伊勢領宮常夜灯)
 町屋川の船着き場であったことから、桑名や岐阜の材木商が文政元年(1818)に寄進したものです。常夜灯の横にある里程標は明治26年(1893)の建立で、三重県庁まで11里30町余(約47Km)を示しています。







町屋橋

江戸時代の町屋川は川幅が232間余(約420m)あり江戸時代初期の寛永12年(1635)はじめて架橋されました。水面すれすれを這うような板橋で洪水にあうとしばしば流されました。時代により長さも変遷しましたが、江戸時代後期の喜永5年(1852)の架橋では長さ184間、幅10尺、中央は馬が待避できるように部分的に広くなっていました。

町屋橋絵図
江戸時代の町屋橋
久波奈名所図会に着色、安永松岡邸の表示看板より
安永公園
当時の町屋橋はこの公園の上流よりに架かっていました。写真後方は現在の国道一号線町屋橋