壬申の乱と川原寺式軒丸瓦

 川原寺式軒丸瓦は壬申の乱(大海人皇子と大友皇子の皇位をめぐる飛鳥時代の争乱)で大海人皇子の軍勢が通過したルート上や大海人皇子側に軍勢を送った豪族のいる美濃の古代寺院の遺跡から多く出土することから、この乱に勝利した大海人皇子(後の天武天皇)が論功行賞として、その豪族の氏寺あるいは郡寺の建立や改修にあたって複弁蓮華文の川原寺式瓦を葺くことを許したのではないかという説があります。

 川原寺は天智天皇の時代に斉明の宮跡に創建され天武天皇の厚い崇敬を受けた寺院です。壬申の乱の時にはまだ建立途中にあったと考えられます。この瓦は北勢地方ではそれ以前の山田寺式の瓦とともに縄生廃寺、額田廃寺、智積廃寺から出土しており、これらはいずれも壬申の乱に関係する地域に建てられています。

壬申の乱と北勢地方についての詳細はここから(北伊勢風土記 大海人皇子の足跡を訪ねてへのリンク)

川原寺創建時の軒瓦(飛鳥・藤原京展図録 朝日新聞社から)
上:軒丸瓦、下:軒平瓦
川原寺回廊跡
明日香の橘寺の北に伽藍跡が保存されています

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