村正の刀

太刀村正銘
天文12年(1543)
桑名・中臣神社所蔵
(市指定文化財)

 村正は、室町末に美濃赤坂から桑名に移った刀工といわれています。水運による交易により村正の刀は三河の武士も使用していました。鋭い切れ味の刀として評判だったようです。

 ところが、家康の祖父松平清康が重臣の誤解から殺害されたのも、父松平広忠が酒乱の家臣に殺された時の刀も村正、そして家康の長男信康が織田信長の命令で切腹した時の介錯刀も村正であったため、家康は村正を嫌ったといわれています。

 関が原の合戦のまえ、石田三成に呼応した宇喜多秀家の従弟の宇喜多直行が使者として会津の上杉景勝の所へ行く途中、家康に寝返りのお土産として差し出した刀も村正。もちろん家康にとって村正は不吉な刀であるため町人に授けました。その甲斐あってか関が原の合戦には勝利を得ました。

 家康が天下を取り江戸時代となると、各大名は家康を憚(はばか)って村正の刀を用いなくなりました。
しかし村正は徳川家呪詛用の妖刀として真田幸村や由井正雪らに愛用されました。

 村正の刀は芝居でも紹介され、その刀で身を滅ぼすとか、血を好む刀などとされ、それゆえに村正は妖刀として有名になりました。そして幕末、徳川幕府を倒そうとする倒幕の志士は、好んで村正を差したということです。

戻るはブラウザーの戻るボタンを利用して下さい