桑名日記、柏崎日記
桑名日記(桑名市博物館蔵) |
柏崎日記(桑名市博物館蔵) |
桑名藩の下級武士の親子が桑名と柏崎の間で交わした日記です。桑名藩御米蔵算用係の渡部平太夫政通とその養子で桑名藩領柏崎(現新潟県柏崎市)へ赴任した勝之助が執筆者です。
時期は江戸時代の終わり頃の天保10年(1839)、藩の一役人であった勝之助は突然桑名藩の飛び地領である柏崎へ陣屋の年貢高をはじく勘定人として「お役替え」を命じられます。身重の妻と幼い長男をかかえた勝之助は突然の転勤命令に狼狽しますが、とりあえず単身柏崎へ赴きます。平太夫54歳、勝之助36歳の正月です。
この時、二人はお互いに日記を書いて交換することを約束します。のち妻と生まれたばかりの長女を柏崎へ呼び寄せますが、長男は武士として育てるために平太夫の許に残しました。日記の内容は両方とも日常の出来事や、子供の育って行く様子が中心ですが、ほとんどが平仮名でありふれた話し言葉で書かれています。それだけに今読んでも当時の生活の様子がありありと目に浮かび、渡辺一家の家族に対する情愛が160年の年月を超えて伝わってきます。
交換の方法は1ヶ月くらい書きとどめ、それを桑名藩江戸下屋敷を経由した飛脚に託されました。遅いときは3ヶ月もかかって届きましたが、10年間ほとんど毎日書かれています。特に「桑名日記」は勝之助一家だけでなく、柏崎陣屋の同僚の人たちにも桑名の出来事を知らせる情報源として楽しみにされていたようです。
しかしこの交換日記は平太夫の死によって終わります。「桑名日記」の最後の日付から3日後の嘉永元年(1848)3月7日平太夫は急死しました。しかし義父の死去も知らず「柏崎日記は」その後16日間書かれています。桑名と柏崎が如何に遠かったかを物語っています。
日記は楮紙に細字の毛筆で書かれており、桑名日記が4分冊、柏崎日記が3分冊になっています。現在の400字詰め原稿用紙に換算すると両方で5,300枚にも達する膨大なものです。
この日記は数奇な運命をたどりながら地元の旧家に保存されて来ましたが、戦後、一部が郷土史家によって、全文が高校教師親子によって活字化されました。またNHKによって「幕末転勤録」として映像化もされました。今では当時の桑名城下や、柏崎陣屋における生活状況を教えてくれる貴重な資料として、三重県指定文化財になっています。