大智院 (西外面(ども)1170)

 長松山と号す。真言宗。長島藩主松平定政の祈願所として前藩主菅沼氏の菩提寺宗堅寺の跡地に建立された。本尊は不動明王。松尾芭蕉の門人曽良の叔父、良成が住職を務めていたので、元禄2年(1689)奥の細道の旅を大垣で終えた芭蕉はこの寺に立ち寄り、「うき我をさびしがらせよ秋の寺」という句を残している。

「松尾芭蕉真筆懐紙」(桑名市指定文化財)、「蕉翁信宿処」の石碑(芭蕉が信宿して百年後、藩主の増山正賢(まさかた)によって建立、桑名市指定文化財)「題蕉翁碑」詩文(桑名市指定文化財)がある。明治5年の学制公布の際、ここに長島学校(現中部小学校)が開校された。








「蕉翁信宿処」の石碑(市指定文化財)
寛政元年(1789)3月3日長島藩主増山正賢(雪斎)は
芭蕉の大智院訪問百年を記念して自筆による「蕉翁
信宿処」の碑を大智院門前に建立した。
時の藩主が自ら筆をとり顕彰の碑を建立しているのは
珍しい。碑陰には側近儒官十時梅高フ撰文が刻まれて
いる。三重県内に現存する芭蕉碑(約120基)中11番目
に古く大切に保管されてきた。
芭蕉句碑
「伊勢国 長島大智院に信宿ス 
うき我をさひしからせよ秋の寺 はせを」 と刻まれている
この碑は昭和34年(1959)の伊勢湾台風で流失したため
再建された。
曽良句碑
「ゆきゆきてたふれ伏すとも萩の原」と刻まれている。
平成6年建立