野志里神社(下野代)

祭神は天照大神で式内社の桑名郡野志里神社に比定されている。鎌倉時代に成立した『倭姫命世記』の垂仁天皇14条に「遷幸干伊勢国桑名野代宮・・・」とあり、倭姫命が天照大神の鎮座地を求めて大和を出発し、伊賀、近江、美濃、尾張を経て遷行し4年の間鎮座した野代宮の故地であるとされている。
境内を美濃街道が通っている。神社の北西隅にある千人塚は長島一向一揆の双方の戦死者と関ヶ原の合戦に敗れてこの付近を敗走中亡くなった西軍の戦死者を葬った場所といわれている。なお、この社の樹木には樹の名前を記した標札が整備されており、自然観察に役立つ。
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| 野志里神社は境内の中を美濃街道が 通っている。 |
倭姫命巡行図 |
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| 社務所の前に力石が置かれている。 重さ36貫(約150Kg)、大正時代初期に この石を肩の高さまで持ち上げた6人の 人の名が立札に記されている。 |
千人塚 |
付近の史跡
山辺隧道
御衣野(みぞの)と下野代の間には天井川となっている山辺川があり、往来には重い荷を背負ってこの川の堤防の急坂を越えねばならなかった。昭和18年(1943)5月この川の下に隧道が築かれ両村の往来が容易になった。
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| 山辺隧道 下野代側から望む トンネルの向こうに見えるのは御衣野の集落 |
隧道の上は天井川になっている |