ムーンライト 藤原京 第11回(2007,10,6)
 

時空を超えた藤原京へのいざない

古事記が編纂された1300年前、奈良の藤原京では太安万侶や稗田阿礼が都大路を歩いて買い物をしたり大極殿に参内して古事記の編纂をしていたことでしょう。

藤原京は当時の大国、唐(中国)の長安を真似て建設されたわが国始めての大都市です。通りは碁盤の目に整備され、通貨も大量生産されて、日本が諸外国と肩を並べて外交するために造られた壮大な都だったといわれています。

その藤原京もやがて平城京、平安京と都が移り、その後は千年以上も見捨てられていました。ほんの10年前ですら田んぼの中にぽつんと大極殿跡があるだけという寂れようだったのです。


月の宴の思い出(平成8年、1997)

この土地には私たちはとても深い思い入れがあります。
それは、「古事記のものがたり」の本を出版する二年前(1997年)のことです。
その頃、古神道にどっぷり嵌っていて、古代のイワクラを探し歩いたり、カタカムナ、ホツマ伝え、ひふみ伝えなどの怪しげな古文献を解読しようと夢中になっていました。

古い神社を訪ねまわって判ったのですが、小さな式内社はすっかり寂れ、どんどん統廃合されて本当のご祭神すら判らなくなっているというのが現状でした。
日本の「まほろば」の地、明日香でオマツリをしなくては日本の神様が悲しむ、という熱い思いが湧き上がりました。そして神事仲間や古神道の勉強会の仲間に呼びかけて天の香具山で「古代の神事を復活する」ことにしました。

天の香具山は天から降ってきた聖なる山、天界の神々に通じる山とされ古代の人々に大切にされ、歴代の天皇が大切に神まつりをしてきた山なのです。

しかし当時の香具山はとても荒れ果てていました。山頂の小さな祠は村の方が時々お参りするため、登る道はなんとか整備されていましたが、他の登山道は草ぼうぼうでした。

おまけに、万葉ファンがたまに訪れる以外はほとんど誰も登らないので、山頂のゴミ箱には山のようにゴミがたまり放題でした。

山頂の国常立の祠は村社のため、周辺の掃除は村人がしていました。しかしほとんどの方が高齢なので、そのゴミを下に下ろすのは重労働です。そのため、山頂に穴を掘って埋めているという状態でした。

このままでは香具山はごみの山になってしまう。

そこで、晴明さんが、お祭りをさせていただく代わりにそのごみを全部下にもって降ろそう、それからゴミ箱があるからたまに来た観光客が弁当ガラを捨てていくのでゴミ箱そのものを山頂から降ろそうと提案したのです。

私たちは仲間に呼びかけて休みの度に香具山に足を運び、何日もかかって数え切れないほどのごみの袋を麓に下ろしゴミ箱を撤去しました。

そして山頂に
「天の香具山は天から降ってきたと万葉集に歌われている聖なる山(神奈備山)です。弁当ガラやその他のゴミは各自で責任を持って持って帰りましょう」
という看板を立て、祠の周りに白い石を敷き詰めました。これには村の方々がとても喜んでくださいました。


こうして何十人もの人間が何かにとりつかれたように動き始め、地元の天香山神社の宮司さんや南浦町の方々の許可も得て、2007年10月26日満月の昇る時刻に合わせて祈りの宴をすることがきまったのです。


月の宴の思い出・その二


「明日香の神奈備で古代の神まつりを復活する」

このことたまが魂に響いた方は平成八年十月二十六日、満月の下、ご一緒に祈りの祀りをしましょう!

この呼びかけにとてもたくさんの方が賛同してくださいました。
故小林美元先生の古神道の仲間や、発足まもない地球村の仲間だけでなく、ミュージシャンの風の楽団のみなさん、ダンサーの虫丸さん、香具山案内人の辻本さん、清風高校の桑原先生などいろんな方が協力してくださり音楽や舞や歌、岩笛などを奉納してくださったのです。美内すずえさんはわざわざ東京から駆けつけて一緒に祈ってくださいました。

そして、無事に天の香具山での「月の宴」が終わった翌年から橿原市が「ムーンライトイン藤原京」のイベントをスタートし、大和三山のライトアップが始まりました。

今思えば、神々のご意思がどこかにあったのか……は知る由もありませんが、不思議なつながりを捨て去ることができません。その後、私たちは平成九年、畝傍山口神社、平成十年耳成山神社と大和三山でのご神事「月の宴」をさせていただきました。

その流れの中で私たちは「古事記」とのご神縁が繋がり「古事記のものがたり」を書かせて頂いたのかも? と思っています。

 

闇に浮かび上がる大和三山

私たちは一度はライトアップされた大和三山をこの目でみたいと願っていたのですが、「月の宴」の最後のお祭りから9年、ようやく十一回目のイベントに行くことができました。

過去10回のイベントはほとんど雨や台風に祟られたそうですが、今年は初めてすばらしい快晴の下での開催となったそうです。

あたりがだんだん暗くなり夕焼けの中に二上山がシルエットで浮かびあがった時には、感動しました。

やがてすっかり暗闇に覆われたステージに大和三山の伝説をイメージして古代人の服装をした男性二人、女性一人がライトに照らされながら登場しました。

司会者が今日のイベントの主人公は聖なる三つの山「天の香具山」と「畝傍山」「耳成山」の三山です。という合図とともに、三方から大きな花火が上がり、三山がライトアップされました。

夢中になって三つの山を毎年ひとつづつ
「神まつり」したことが重なる私たちにとっては、
聖なる三つの山に囲まれた藤原京の真ん中で、闇に浮かび上がる三山の姿を眺められたことは、夢のようでした。
三つの山は私たちや「月の宴」のことを覚えてくれているのでしょうか?

 
光のオブジェ

この藤原京、明日香村を含めて世界遺産に登録を! という声が起こっているそうです。

近年地元地主さんたちの協力もあって、遺跡の発掘がどんどん進み、藤原京は以前学者さんたちが想像していたよりはるかに大規模で広大だったことが判ってきたようです。

1300年前に栄えた日本で最初の首都。その場所で平成の今、一万個のロウソクに火が灯り、大極殿もライトアップされ朱雀門や幻想的な光のオブジェが再現されています。会場で明かりに照らされながら影のように蠢く人々の中に、もしや稗田阿礼や太安万侶もいるのではないかという幻覚にまどわされて私は会場をふらふらと彷徨ってしまいました。

1300年前から世襲で守られてきた音

東儀秀樹さんのプロフィールによれば、東儀家は1300年前から楽部として宮廷のご神事の音楽を担当してきたということです。

その子孫である東儀秀樹さんが烏帽子、狩衣姿でステージに登場したとき、思わず会場から歓声があがりました。

雅楽という一般人には馴染みのない音楽を若い人に広めて名声を得た彼ですが、少しも浮ついたところはなく、笙、だけでなく篳篥、、竜笛、はてはピアノ演奏まで披露してくれました。

最後のアンコール一曲目はスマップの「夜空の向こう」。
おまけにマイクを持って英語でラップを歌って手を振ってくれたのです。

これではさすが、若いファンが増えるはずですね。そういえばトークライブでは「日本人は昔から懐が深くて海外の珍しいものは何でも取り入れた」というような話を彼自ら語っていました。

会場の草の上に寝っころがりながら東儀さんの音楽に浸っていると頭上に白鳥座が大きな翼を広げていました。きっと天上界でも神々は地上を見下ろしながら1300年前の時空を超えた音を楽しんでおられたのではないでしょうか?


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