由貴夕大御饌祭・ゆきのゆうべのおおみけのみまつり月次祭(六月)
 

外宮での奉幣の儀を終えて退出される祭主

平成23年(2011年)6月の月次祭(6月16日)真夜中、たくさんのお供え物と共に、新鮮なあわびをアマテラスさまのすぐそばで調理してご神前にお供えする祭り。年に三度の特殊神事、三節祭の一つ、内宮の「由貴夕大御饌祭・ゆきのゆうべのおおみけのみまつり」に参加させて頂くことが出来ました。


外宮参道を和傘の列が・・・
伊勢では外宮先祭。内宮にお参りする前に、先に外宮に参拝するのが慣わしです。
そこで、夜の内宮でのお祭りを奉拝する前に、正午ちょうどに外宮に到着。
そしたら……なんとなんと、祭主の池田厚子さまのお参り・奉幣の儀に遭遇!

外宮では前夜(15日)の真夜中に朝、夕、二回の「大御饌祭・おおみけのみまつり」があったそうです。今回の私たちのお目当ては、16日夜の内宮のご神事です。
ご神事は夜中の十時から始まります。すべての灯りは消され、浄闇の中で篝火だけのご神事なので、写真撮影も出来ません。
しかし、昼のご神事の撮影は瑞垣の外ならOKとのこと。おかげで、晴明さんが、トップのようなすばらしい写真を撮ってくれました。

先頭を歩かれる、祭主、池田厚子さまは天皇陛下のお姉さまです。昨年はご高齢(80歳)ということもあって月次祭を欠席されたそうですが、今回は3月11日の東北大震災のこともあってでしょうか、天皇様のご名代として国の平安をアマテラス様に祈念するため、毅然とした態度で、ご神事に望まれているお姿をまじかに拝見させて頂くことができました。

あいにく梅雨空の下での祭儀・雨儀、だったのですが、厚子様の足元を気遣う神主さんの心くばりが手に取るように伝わって思わず涙がこぼれそうになりました。

雨にぬれて光る玉砂利を踏む神主さんたちの靴音と和傘に降りかかる雨音だけが境内に響いて、祭主様の赤い緋の袴と神主さんたちの白い斎服、一糸乱れぬ大きな和傘の列が沿道の緑に映えてとてもおごそかな光景でした。

さて、午後五時に神宮会館に集合。開会式と夕食を済ませた後、大浴場でミソギをして、いよいよ夜10時からのご神事に向かいました。豪雨という予報も出ていたのですが、神計らいのおかげでしょうか、幸い雨は小康状態。会館のご好意で配布された簡易レインコートのフードをかぶっていれば、傘がなくても夜の参道を歩くことができました。

夜の内宮参拝はこれまでも何度か経験していますが、夜中の10時以降に境内に入るのは初めてでした。宇治橋の前には350人ほどの人々が整列して開門を待っていました。この日は雨儀の為、神楽殿の横の屋根のある儀式殿でご神事前のお供え物のお払いなどをされる様子を真正面から拝見することができました。

祭主の池田厚子さまは昼間に外宮で拝見した時と同じように小柄な身体を少し、前かがみにして凛としたお姿で松明に足元を照らされながら歩いてこられました。暗闇の中に浮かびあがる緋の袴と大きな和傘の列。見ている私たちと神官さんたちの間には時空が違っているかのような……まるで映画でも見ているような・・・・古代そのままの祭りの人影が闇の中にうごめいているような錯覚に陥りました。

篝火の明かりの中に浮かびあがる祭主池田厚子さまと大勢の神主さんたちの姿は幽玄そのものでした。今、思い出しても鳥肌が立つようです。

こうして伊勢では1500年の昔から、変わることなく神祭りが斉行されているのです。お払いの儀式が終わったら、いよいよアマテラスさまに新鮮なあわびをお供えする「由貴夕大御饌祭・ゆきのゆうべのおおみけのみまつり」の御贄調舎・みにえちょうしゃに向かいます。

由貴夕大御饌祭とは簡単に言えば「限りなく貴いお食事(夕食)をお供えするお祭り」という意味です。お供えされる神饌は「飯、餅、鯛、お酒をはじめとして三十品目以上」そのなかでも一番大切な神饌が「あわび」とされているのです。あわびだけは別格で、アマテラスさまの目の前で調理されたばかりの新鮮なものがお供えされます。

私たちはこのあわびについては自説があります。

古代は真珠のことを「あわび玉」と呼んでいました。
滅多に取れないあわびの中の真珠は不老長寿の秘薬とされていたのです。

古代人はアマテラス様が二度と岩戸に隠れないようにとの願いをこめて、貴重な「真珠」を(不老長寿の妙薬として)捧げていたのでは? という説を私たちの本「古事記のものがたり」のP88に載せています。

それが、形骸化し、いつの間にか「あわび玉(真珠)=あわび=貴重品=アマテラス様の好物=お祝いの鮑熨斗・のし」に変化してすっかり形骸化して庶民に伝わったのではないでしょうか?

ところで、鮑を調理する御贄調舎は、参拝者が内宮にお参りするときに昇る広い階段の真下、五十鈴川に面した板で仕切られた屋根のある囲いだけの目立たない場所です。

通常は殆ど人に気づかれることがない、この場所で、外宮の神さまを、前の小さな石にお招きして新鮮なあわびを調理(包丁を入れて塩を振るだけ)するのです。そして、その鮑をすぐにアマテラスさまにお供えするのがメインイベントというわけです。いわば、内宮の簡易式の対面キッチンとでもいうところでしょうか?

この日は雨で皆さん傘をさしていたので、最前列の人しか、このご神事を見ることができません。私はかなり後ろにいたのですが、突然、新聞記者根性が芽生え、傘を畳んで身をかがめて前列の人の足元に這い出してなんとか拝見することができました。

このあと、荒祭り宮でのご神事も奉拝。この荒祭の宮のご神事はお勧めです。お社が階段上なので、真ッ正面から神職さんの所作が拝見できます。特に伊勢の特殊神事での八度拝(ぱんぱんぱんぱん・ぱんぱんぱん、ぱん)の柏手の音が深夜の森の木々に響いてとても神秘的でした。荒祭の宮での神事が終わって帰ったのは午後11時半を回っていました。

神宮ではこの後、午前二時からアマテラスさまに朝ごはんをお供えする(由貴朝大御饌祭)が行われるそうです。(内容は全く同じですが、一般の参加は不許)。そして17日のお昼には内宮での奉幣の儀があるのです。こうして合わせて計六回の儀式に祭主として参列されるご高齢の池田厚子さまには頭の下がる思いです。

伊勢では雨が降ろうと台風がこようと、全天候型対応で一日も欠かさず、一度も途切れることなく古代そのままのご神事が続いているのですね。(摂社・末社のお祭りをすべてあわせると一年に1500回以上もあるそうです)

この中でも一番大切なお祭りが三節祭(六月・十二月の月次祭と神嘗祭)です。ようやく念願の伊勢の真夜中のご神事を奉拝させて頂けて本当に感激でした。


追伸
日本では明治二年に新暦(太陽暦)が採用されて以来、一日、十五日(新月、満月)に行われていた各地の神社のお祭りが陰暦(月のリズム)と合わなくなってしまいました。太陽暦のカレンダーに合わせた1日、15日では陰暦の、新月、満月のリズムと合わないのです。
でも、今年の水無月の月次祭の6月15日16日は、満月とぴったり重なりました。

ご高齢を押して、祭主を勤められた斎宮さまの祈りが天に届きますように。日本の国が一日も早く元の平穏な国に戻りますように。「よろずよあられ!」

日本最初のペンシルロケット実物
さて、ここで話は全く変わります。
月次祭の次の日(17日)、伊勢の在住の知人、O氏のご自宅にお伺いしました。

その後、彼の友人で三重県出身のH氏(元宇宙研究所ロケット班班長・打ち上げたロケットは400機以上)と二見が浦で合流し、一緒に昼食。H氏は映画「はやぶさ}(7月封切)の監修を終えたばかりとのことで、「主演の西田俊行さんとのからみでちょこっと出演させてもらったけど、カットされてないかなぁ〜」と、出来たばかりの「はやぶさ」のポスターを広げながら、楽しそうにロケの話をしてくださいました。

写真は日本初のペンシルロケット三機を前にしてにこやかに記念撮影の両氏。(なんかへんてこなプライバシー保護の修正が入ってすみません。お二人はとてもハンサムなのです念のため)

みなさん、この三本のロケットが1955年(約50年前)に東大の糸川英夫博士が発射した正真正銘の日本最初のペンシルロケット実物なのですよ。(小さいほうから、ペンシル230。ペンシル300。二段式。アメリカのスミソニアンにも二段式は展示されているそうですが、レプリカだとのこと)本物が目の前にあって触らせてもらえるなんんてロケットマニアにしたら垂涎ものでしょうね。

ちなみにこの中の一台はNASAの宇宙ステーションに搭乗!
宇宙旅行をしてきたそうです! (余談ですが、TVのなんでも鑑定談で300万円の値がついたとのことです!)

そういえば、先日、フランス政府が日本とパリ間を二時間半で結ぶ高速ロケットを構想中(2050年)と発表しましたが、このペンシルロケットの原理と同じらしいですよ。人間の夢は果てしないですね。

私たちは古事記、神代の巻きの冒頭は「宇宙創成のドラマです」といつも勉強会でお話しています。

そこで、はるばる三重から「古事記に親しむ会」参加してくださるO氏は、四年前、古事記とロケット班長のコラボ講演会を郷里の出雲・石見で計画してくださったのです。

しかし、残念ながら、教育委員会の方の理解(古事記と宇宙ロケットの関係性)を得ることが出来ませんでした。そこで、その時は、石見神楽の地元とうこともあって、私たちの古事記の講演だけを中学の授業でさせて頂いたという経緯があります。

その時Hさんも出雲に同行し、すっかり仲良くさせて頂いて、近つ飛鳥の我が家にも遊びにきてくださっているので、今回は三度目の再会です。

石神
さて、この日は元ロケット班班長H氏のご推薦の神社、相差(おうさつ)の石神さんに参拝することになりました。

この小さな祠は、地元の海女の方たちが大漁と漁の安全を祈願する海の守り神でした。

海女の仕事は命がけです。素もぐりで海中深くまで潜ってあわびやサザエを採るのが仕事です。その海女さんたちの禁忌の一つに「トモカヅキ」という魔物の話があります。

「トモカヅキ・共潜」は息が切れる瀬戸際に現れて大きなサザエなどの獲物を見せて「もう一つ!」と言って誘うのだそうです。

その時、欲をだすと、そこで、息が切れてしまって命を落とすとのこと・・・・、怖い話でしょう。

そのため、海女さんたちはセーマン・ドーマンと呼ばれる魔よけのしるし、五芒星☆や九字を手ぬぐいなどに必ず縫い付けて潜ります。

その☆や九字のついた石神さん(神明神社)のお守りを身に着けて走ったのが、ギリシャオリンピックで金メダルを取った女子マラソンの野口みずきさんです。

以来、この神さまは女性の願い事なら必ず、一つだけ聞いてくださるという話がマスコミに取り上げられて大評判になりました。

昔はほとんど地元の方しか参拝しない小さな神社でしたが、パワースポットブームもあって、観光客が全国から押し寄せているようです。沿道にはしゃれたお店や真新しい看板が目立って、境内も整地されたばかりのようでした。

石神さんの祠のご祭神名が気になってよくみたら「玉依り姫さま」。神武天皇の母親」竜王の娘。海幸・山幸に登場する海の女神でした。

パワースポットブームも良いのですが、自分がお参りする神さまが「古事記」の中でどのような場面に登場するのか?、どのような方なのか?しっかり判ってお参りしてくださる方が増えてくさるとうれしいのですが・・・。

ちなみに私も祠に置かれていた、用紙に「一つだけ」お願い事を書いて箱に入れてきました。
願いがかなったら、お礼まいりに必ず行きますね。

タラサ志摩ホテル・ガラスの教会
 
さて、最後にもう一つ、鳥羽で私のお気に入りのスポットをご紹介します。

石神さんからの帰り道、鳥羽のタラサ志摩ホテルでお茶をすることになりました。ここは昨年、友人たちと泊まって以来、すっかり気に入っていた穴場のホテルです。この日は海の見えるレストランでケーキとお茶タイムを楽しんだだけでしたが、このホテルの一番のお気に入りの場所は写真のガラスの教会です。

海外ウエディングも良いですが、こんなステキな教会で海からの日の出を見ながら二人だけで式を挙げて、伊勢の神さまに結婚報告のお参りするとういう和洋折衷のコースもバランスが取れて案外良いかもしれませんね? 

お茶を飲んでたっぷりとたのしい時間をすごし、さて、帰ろうと思って玄関に出たとたん、なんとなんと、このホテルの前社長の「今野華都子」さん(世界一のエステシャン)のファンクラブご一行のバスの到着に遭遇。二週間前に今野社長の大阪でのご講演と洗顔教室に参加したばかりだったので、その時のお礼を伝えて、ご挨拶させていただけて感激でした。

外宮での池田厚子さま(祭主)との遭遇。
二見が浦でのOさん・Hさんとの再会と石神さんへのお参り、
最後に今野社長との邂逅と盛りだくさんの旅でした。



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