神楽の魅力は神話の魅力(石見神楽) 2008年3月16・17日
 


絢爛豪華・迫力満点の舞台〜♪ 

八頭の大蛇が勢揃い!「ヤマタのオロチ退治」

ほとんどの人は「神楽」と聞けば神社で鈴を持って舞う巫女さんの清楚で厳かな姿を想像されることでしょうね。

しかし、ここ島根県浜田市周辺(古代の石見の国)で舞われる石見神楽をその目で見たら、きっとどきもを抜かれるかもしれませんよ。

16メートルもの蛇腹で這い回るすさまじい迫力の大蛇や、バサバサの髪を振り乱し目玉をむき出した鬼たちが、絢爛豪華な衣装を着た主役たちを相手に火を噴いたり、煙幕を吐き出したり、赤や白の蜘蛛の糸を舞台狭ましと撒き散らして大暴れするのですから!


石見神楽を初めて見たのは四、五年前の祇園祭の時でした。
八坂神社の神楽殿で石見神楽(小笹社中)の奉納公演があると知って、鉾見物でごった返す川原町を素通りして、境内を目指し舞台の最前列を確保しました。

その時は神楽殿の広さの関係で大蛇は四頭しか出演していませんでした。それでもその迫力はものすごく、家に帰ってからも興奮と感動は収まりませんでした。

以来、一度は現地で舞われる石見神楽を見たい!、できれば大蛇が八頭揃ったヤマタのオロチ退治の舞台を見たい! と願っていたのです。
その夢が今年ようやく叶って3月16日、浜田市金城町で行われる神楽大会に招待して頂く事になりました。

おまけにその次の日には神楽を舞っている中学生も在籍しているという地元の金城中学で授業の一環として古事記の講演もさせて頂けることになったのです。




神楽のルーツは天の岩戸開きの時に天のウズメが面白おかしく踊りを舞いおどったのが始まりです。

昔から、神事の一環として神職たちが神社の中で儀式として神様に舞を奉納してきました。いまでも神社に正式参拝したときなどに神職や巫女さんたちによって神楽が舞われるのをご存知の方も多いと思います。

一方石見神楽や高千穂神楽などのような里神楽は、神社のお祭りの時に奉納されていた神楽を一般の人も舞い始め、徐々に人気を博しイベントや観光客用の娯楽として形を変えながら固有の文化としてその地方独自に発展してきました。

もちろん、里神楽も神さまへの感謝報恩の印として神社の祭りの時には氏子さんたちが夜神楽などとして神社の境内で夜通し舞われるご神事というのが本来の姿です。


しかし、この石見神楽は「明るく楽しく開放的でせっかち!」という石見人の気質の影響でしょうか? とにかく、ものすごいド迫力なのです。

まあ、一口に言えば「日光の陽明門といえば少々オーバーかも判りませんが、せめて西日光と呼ばれる瀬戸内海の耕山寺の社殿ヤ山門が笛や太鼓の音楽に合わせて煙を吐いて動き出した?」と言ったら皆さんには少しはイメージが伝わるかも知れないな? と思うぐらいのキンキラキンの絢爛豪華な舞台なのです。

そのため、神道儀式としての神楽を重要視する方々からは「あまりにも演劇的な要素が強すぎるのでは?」という声もチラホラとか・・・・

そんな懸念もなんのその、千人近く収容できる会場の体育館は超満員。朝の九時半から夕方の五時半まで休憩なしでぶっ続けに10本近くの神楽を床に座り込んでお弁当を食べながら鑑賞し、トイレに立つのも惜しいぐらいの熱気です。

昨年始めて見に来てすっかり石見神楽のファンになったという九州から来た人たちは「面白かった! すごかった!!! また来年も見に来たい!!!!」と言っていました。

このような遠方からの神楽ファンの観光客だけでなく、地元での神楽熱も老若男女に渡って盛り上がっているようです。
地元の小さな子ども達が何人も八調子の囃子に合わせてリズミカルに体を揺すりながら舞台に噛り付いて離れないのを見てもこの地方の神楽熱の高さとファン層の厚さを物語っています。

きっと、あの子ども達も将来は石見神楽を受け継いで神話を伝承してくれることでしょう。親子三代に渡って神楽に嵌っている家族もたくさんいて、後継者もどんどん育っているとのことなので、本当に頼もしいですね。

石見神楽は大阪万博での公演をきっかけに衣装も舞台も派手にエスカレートしたそうです。最近では国内だけでなく海外公演も増えてますます意気盛んなようです。きっと外国人はヤマタのオロチ退治の舞台を大喜びすることでしょうね。

そしてそれが日本の神話・古事記を題材にしたギリシャ神話そっくりの話だと判ったら、もっと興味を持ってくれるのではないかと思うのですが?

この石見神楽は石見銀山の世界遺産登録の追い風を受けて観光客のためにほぼ一年を通じてイベント会場や旅館、演劇ホールなどでも鑑賞することができるそうです。

ただし、公演スケジュールをしっかり下調べしてから出かけてくださいね。そして神楽の演目はたくさんあるのですが古事記の神話を題材にしたお話が大変多いのでぜひぜひ、「古事記のものがたり」を読んでから観にいってくださいね!。
 

  
天皇皇后両陛下も見学された神楽衣装の刺繍工房

この石見神楽を支える豪華絢爛な金糸銀糸の衣装もこの地方で製作されています。

もともとは京都で西陣織などが花嫁衣裳用の帯などに豪華な日本刺繍を施した技術に習ったそうですが、西陣が斜陽となったいまではこの地方にその技術が受け継がれているという貴重な伝統工芸だということです。

写真の女性はこの道30年の大ベテラン。なにしろ石見神楽ファンと社中の数は増え続ける一方なので、(小さな神楽社中を入れると300団体を超える)衣装の製作が追いつかない(ニ、三年待ち)そうです。

おまけに金糸銀糸の衣装は洗えないので演者の汗をびっしょり吸って数年でボロボロになるため注文が絶えないとも聞きました。

工房で写真の衣装を持たせてもらったのですが、なんと20〜30sもあって思わず「オッも〜たい!」と叫んで傍の男性に助けを求めてました。

主役になると早変わりの衣装を何枚も重ねて着るので最終的にはものすごい重量の衣装を着こんで立ち回りや回転ダンスをしなければなりません。おまけにマイクをとおして台詞まで言うのですから鬼がはあはあ言いながら荒い息で苦しそうに主役を脅す決め台詞を言っていたはずです。

一回の公演約30分の舞台を終えると2〜3キロは体重が減るそうです。一番衣装代が掛かる舞台はトップの写真の「大江山」主役、随臣、金太郎、姫君、お供、鬼七匹で合計1300万円だそうですよ!

金城中学校(島根県浜田市)での講演

前日の神楽の興奮も覚めやらぬまま、あくる日の17日に中学一、ニ年生の皆さんに古事記のお話を聞いて頂くことになりました。

島根県ではふるさとを知ろう! という教育政策が取り入れられ、浜田市教育委員会のお世話で授業の一環として神楽と神話の講演が実現したのです。

大事な授業時間を二時間分も頂いて、(しかも休憩なし)本当に責任重大です。神楽をしている生徒さんが何人かいるとは伺っていましたが、はたしてみなさん私たちの話をどんな風に受け止めてくださるのか? または、最後まで静かに聴いていてくださるのだろうか? とかいろいろ考えると心配で眠れませんでした。

でも温かい拍手で迎え入れてくださった生徒さんたちの顔を見ていると、その懸念もその日の快晴の天気のように吹っ飛びました。

私たちが変わりばんこにパソコンからの映像を画面に映して大阪弁で説明するのを、まるで漫才でも聞いているかのような感覚で楽しみながら聞いてくださったようなのです。

にっぽん丸クルーズの船内でも、大阪弁で男女が交互に話をするとみなさん漫才を思い出すようで、とても面白いと毎回受講生が増えました。

講演の途中で「クイズをします。正解者には景品があるので中学生のみなさんがんばって答えてください!」というと「現金ですか?」とするどい突っ込みが入って爆笑したり・・・。あっという間に一時間半が過ぎました。

まだまだお話ししたいことはいっぱいあったのですが、時間が足りないくらいの熱気でした。後日、教育委員会の方が簡単な感想を書いてもらったので、といって全員の感想文をコピーして送ってきてくださいました。

正直言って見るのが怖いなぁ〜と思って、手にするまではハラハラドキドキだったのですが、読み進むにつれて金城中学の皆さんの素直で純粋で温かい魂に触れて泣けそうでした。

神話や古事記についてはまったく興味が無かったけれど講演を聴いて世界が変わったとか、図書コーナーに寄付しくださったあの本を読みたいです、とか、もっと他の話も聞きたいと思った、こんな話をどんどん他所でもしたらいいんじゃないですか?、中には、お体に気をつけてご活躍ください、なんてのも。

励ましのメッセージがいっぱいでなんどもなんども読み返しては勇気を頂いています。近いうちにそれらの感想文を(匿名で)アップさせていただきますので、楽しみにしてください!

日本中から古事記や神話、や神様、鎮守様などが忘れ去られようとしている時に神楽という形を借りて神話を伝承し、石見神楽という固有の文化を花開かせて地域に深く根付かせている町や人々が島根県の石見地方に奇跡的に残っていたなんて! 本当に感動しました。ここの子供達はこれからも、お腹の中から神楽のリズを聞いて育ってゆけるのです! なんとすばらしいことでしょう!!!

余談ですが、浜田市は最近話題になった映画「天然コケッコー」の舞台にもなった町だそうですよ。ぜひ、一度行ってその目で神楽に触れてくださいね。

日本の宇宙開発のスタートとなった本物の「ペンシルロケット!」

さて、いきなりペンシルロケット???(^o^)丿
それも宴会の席での食事用の小さなお釜の上???

それにはこんな秘密があるのです。今回の石見神楽大会鑑賞&金城中学での講演が実現できたのは地元金城町出身の某氏のおかげなのです。

某氏は現在伊勢に在住なのですが、定年の記念に、子どものときから親しんだ石見神楽を伊勢神宮に奉納する! というのが夢だったそうです。

そして、金城町出身の故桜井勝之進皇學館館長の応援を得て、2007年10月に石見神楽の伊勢での公演実現にこぎつけました。その時、せっかく伊勢まで来ているのだから、前日に二見が浦の賓日館(重要文化財)でも公演して、一般の方々にも石見神楽を見てもらうことになり、事務局長の林紀幸氏と知り合うことになったとのことです。

いろいろ話をするうちに林氏はもと、文部省宇宙科学研究所の技官で日本のロケットの生みの親糸川英夫教授の愛弟子で、400機以上のロケットを打ち上げたというロケット班長さんで、定年後故郷の伊勢に帰り、賓日館の事務局長(現在は退職)をしていると言うことが判ったそうなのです。

このとき某氏の脳裏で突然、神楽(神話)と宇宙がドッキングしました。そこで、今回、伊勢公演実現のお礼もかねて地元の金城町での石見神楽の公演に関係者を招待してくださったというわけなのです。

ということで、この写真が日本で最初に打ち上げられたペンシルロケットの同型のもの(本物)実際にはいくつか作られてそのうちの何台かが宇宙に向けて実射され、これは、水平発射実験に使用されたものとのことです。

この他にも二段式とか三種類のペンシルロケットを持ってきくださっていました。晴明さんは神楽以上に感動してロケットを持たせてもらって、とても嬉しそうに記念撮影をしていました。先日テレビの「なんでも鑑定団」にスペースシャトルに持って行ったというペンシルロケットが鑑定されて、なんと「1300万円!!」もしたそうですよ。

某氏は当時、石見神楽の縁が「神話から宇宙へ繋がった!」と電話でコーフンしてなんども話してくださっていたのですが、今回林さんとお会いして目の前で直径1,8センチ全長23センチの小さなロケットを見て、初めてこのことだったのかと!! 納得できました。

いま、宇宙ステーションの中では各国の人々に混じって、土井さんがいろいろ実験していますが
、本当に実験しなければならないのは生命の誕生なのだと思います。

そして、いつか地球の寿命が尽きて人類が宇宙に飛び立つときがきたら、その時こそ、自分たちの神話をしっかり記憶に刻み込んで語りついでいかなければならないのでは? と、この小さなペンシルロケットを見ながら、再確認した次第です。

金城町で出会ったみなさまはじめ、某氏にも心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。


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