鹿島神宮へ行ってきたでござる
 

東京スカイツリー
昨年の暮れに鹿島神宮から子供向けの「鹿島草子」の原稿を書くお仕事を頂いた。その原稿チェックと最終打ち合わせの為、2月27日に鹿島神宮に伺うことになった。

久しぶりの東京行きだったので、これは日帰りではもったいない。できれば今話題のスカイツリーもこの目で見てみたいなぁ〜と思い、前泊することにした。
一日目は東京スカイツリー見学と今戸神社
二日目は鹿島神宮で打ち合わせ
 
  
まずは鹿島神宮 タケミカヅチの神
 
今回の上京は鹿島神宮での仕事がメインなので、まずはタケミカヅチの神さまの紹介から始めることに・・・。

鹿島神宮の創建は神武天皇の時代に遡ると伝えられています。
主祭神のタケミカヅチの神さまは、イザナギがカグツチの首を切った時に生まれた刀の神様で、国ゆずりの最後の使者として出雲のいなさの浜に降りて大活躍された話は有名です。

その後、神武天皇東征の時に力を貸し、さらに東国を目指して開拓し、常陸の国、鹿島神宮の祭神としてこの地にお鎮まりになったとされています。

昔は常陸の国から北は蝦夷の領地だったので、守りを固めるために天つ神の中で一番強い神様を祀ったのです。だからこの神社の社殿は蝦夷に対峙するために北向きに建てられているのだそうですよ。(普通は南向き)

江戸時代に徳川幕府が鹿島・香取を手厚く崇敬。歴代将軍が立派な楼門や流造りの本殿、拝殿などを奉納し、各社殿はいずれも重文に指定されているそうです。


鏡石と奥宮
禰宜さんのご案内で拝殿裏にも特別に入れて頂きました。本殿真裏のご神木の神代杉(樹齢1200以上)は幹周りが大きく、その後ろ鏡石(写真下)は普通では拝見できない場所なので感激しました。
  
写真の奥宮本殿は徳川家康が関が原の合戦の戦勝御礼に奉納した(1605年)本殿を移築したとのことで、歴史の重さを感じるたたずまいですね。

要石
さて、鹿島といえば「要石」が有名です。古代の人は地震は地面の下に住む巨大なナマズが暴れる為に起こると考えていたそうです。そこで、鹿島の神さまが巨大なナマズの頭をこの要石で押さえて鎮めてくださっていると伝わっています。

ところが、ある年、江戸で大地震が起きて理由を調べたら、ちょうど神無月だったので、鹿島の神さまが出雲に行って留守だったとのこと。帰って来た神様に呼びつけられてしかられてしょげているナマズの絵巻物が宝物殿に展示してあって笑ってしまいました。

水戸黄門様(水戸光圀公)が要石周辺を掘ったところ、七日七晩かけても堀りきれずにあきらめたということです。この石の大きさは計り知れないものがありますね。

また、ごく最近のパワースポットブームで、若い人たちがこの要石の真ん中の凹んだところにお賽銭を投げて入ったら願いが叶うといい始めて「神社側に願いが叶う石はどこですか?」という質問をされてびっくりしたそうです。

ただただ物見遊山だけのパワースポットブームはちょっと考え物かもしれませんが、参拝者が増えるのはうれしい事ですね。



禊池とみたらし団子とそば
 
昔はこのミソギ池から本殿にお参りする参道が延びていたそうです。

この池は鹿島七不思議の一つで、「いつミソギしても、どの場所でも、身長が違っていても」、水は胸元までしかないと伝わっていて、今でも神主さんたちがこの池で厳寒に禊の修行をされているそうです。

案内してくださった禰宜さんも毎年、寒さに震えながら池の中で祝詞を唱えていますと言われていました。神様にお使えするのは本当に大変ですね。

池には背後の神域から今でも綺麗な水が湧き出していて、すぐ傍には打ち立ての蕎麦や、焼きたてのみたらし団子を売るすてきな茶店がありました。

鹿島に行かれたらぜひ、このお茶屋さんにも立ち寄ってみてくださいね。

元祖焼きみたらし団子を販売されているおかみさんと是非お話してみてください。活力ある楽しいかたです。

スカイツリー 新しい時代の幕開け
 
「僕はスカイツリーの下(墨田区)で大きくなったから、上京するなら喜んで案内しますよ。日程もなんとか空けられそうだから」と気軽に案内をしてくれた、
にっぽん丸クルーズ日本三景 与論島 湯殿山 屋久島 出雲
の時お世話になったプロデューサーのH氏。突然の電話にもかかわらず、にこにこと迎えてくださって本当にありがとうございます。

晴明さんが生まれた年は、東京タワーが完成した記念すべき年です。
その頃の日本の人々にとって東京タワーはまさに時代のシンボル、新しい年の変わり目だったのではないでしょうか?

それから半世紀が過ぎ、新しいスカイツリーの建設は、きっと次の時代の大きな変わり目になると晴明さんは思っているようです。
建設に伴ってどんどん空に向かって伸びていく電波塔の話は聞いていたのですが、こんなに早く自分の目で本物ののスカイツリーを見れるとは!
と、とても感動していました。

この日の高さは594mでしたが、三日後の3月1日には601mになって世界一になり、最終的(2012年3月に開業)には634m(むさし)、自立電波塔としては世界一の高さになるそうです。

時代の進むスピードがどんどん加速し、未来の予測が全く立たない現在ですが、この先どんな時代になるにせよ、スカイツリーは日本のシンボルとなって行くことでしょう。

晴明さんは「ああ、新しい時代がやって来た。新しい時代を感じる。」と、空を見上げながら何度も言っていました。
なにかの予言でしょうか?

開業してスカイツリーブー
ムが収まったら、一度は展望台に昇って空からの景色を見たいなぁ〜〜。

 
今戸神社 最高のパワースポット 縁結び神社

浅草からスカイツリー建設現場に行く途中の隅田川沿いに今戸神社という小さな神社があります。以前、携帯電話のコンテンツ製作で、七福神の寺社や縁結び神社の紹介で今戸神社に取材をお願いしたことがあります。

そのころの境内はほんとに閑散としていました。
取材を兼ねて境内のティテーブルで、お茶をいただきながら、のんびりまったり宮司さんの奥さん(恵子さん)とお話をしました。

恵子さんはとても親しみやすくてパワフルな女性で、私たちが出したばかりの「古事記のものがたり」の本のことを話すと、とても喜んでくださって、ガンバレ! と励まして頂いたのです。

今回、スカイツリーまで隅田川沿いのコースを歩いたので、昔を思い出してひょっこりと神社を訪ねてビックリ! 写真の様に境内は若い女性で大賑わいではありませんか!
境内はカフェテリアのような雰囲気でとってもおしゃれに変身していました。

なんでも有名なE霊能者、お墨付きの縁結びパワースポットという評判が立って、新聞テレビ、NHKや、世界不思議発見にもとりあげらることになったのよと、恵子さんは相変わらずのパワフルウーマンでした。

「あなたたちの本もきっとこれからどんどん広がるから、がんばりなさいね。ただし、人の五倍はがんばらなきゃ駄目よ(*^。^*)」と、またまた、温かい励ましのお言葉を頂きました。

今回、鹿島神宮からお仕事を頂いたおかげで、タケミカヅチの神さまにも正式参拝できたし、新しい時代の幕開けのシンボルとも言えるスカイツリーもこの目で見ることができました。もっと、もっと、子どもたちに古事記を伝える使命にむけてがんばりますので応援してくださいね!!!



追伸。この後、鹿島神宮について調べていたらすごいことが判ったのでちょっと一筆。

実は鹿島神宮の宮司様にお目にかかってお話を伺った中で「常陸の国は最初に日が昇るからヒタチという名が付いたのですよ」と言われたのです。
私はなぜかその言葉が気になり頭から離れなかったので。家に帰っていろいろネットで調べているうちにすごいことが判ったのです。

日本神話では天孫降臨の地、高千穂から神武天皇が東に向かって旅立ち大和の国を建国したと記されています。その後、鹿島の神さまはさらに東を開拓し鹿島神宮を創建したとされています。

太陽はすべての人々に一年中暖かく降り注ぎますが、中でも夏至の太陽は一年の中で一番地球に近く強いエネルギーを地上にもたらします。
そして、伊勢の二見が浦(夫婦岩)の間から富士山の真上に昇るのが夏至の日だという話は一部カメラマンや神道ファンには有名です。
その夏至の日に富士山の上から見ると、鹿島の方向から朝日が昇ることになるそうなのです。逆に天孫降臨の地・高千穂から見ると夏至の太陽は四国の足摺岬、室戸岬の先を通って伊勢へと夏至の日の出のラインが伸びているのです。

これは晴明さんがグーグルアースで、調べてくれたのですが・・・。つまり、大和王権を建国した人々は日本列島の夏至の日の出の霊ライン上を移動してきた海洋民族では? とにかく、日本で夏至の日の出が一番早いのが常陸の国で、そこに天津神で一番強い鹿島の神様をお祭したのが鹿島神宮だったのですよ。


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