貴船神社(大人の遠足)の巻き( ^)o(^ )
 

ご祭神は水を司る神さま・高おかみ(龍神)
せみ時雨の中、平安時代の都人の避暑地として名高い・貴船神社の涼しさを堪能してきました。(平成22年、8月8日)


叡山電鉄鞍馬線・きらら号車窓からの絶景

 昨年10月にスタートした古事記に親しむ会・第二クール目もおかげさまで7月に無事最終回を終えました。そこで、毎回好評だった五月の課外授業の番外編として希望者を募って・大人の遠足(自由参加・自由解散)に行くことになりました。

参加者は総勢19名でした。
それにしても、今年の猛暑はすさまじいほどの暑さでしたね。梅雨が空けきらない前に急激な猛暑がやってきたので、体調が整わず、熱中症で亡くなる方がとても多かったのには驚きました。

この日は夏休中の日曜日と重なり、普段は空いているはずの叡山電鉄出町柳駅には、涼を求めて鞍馬・貴船方面に向かう人々がごったかえしていました。やってきた二両の登山電車はぎゅうぎゅう詰めだったので、「座っていこうや!」というY女子の提案でいったん乗った電車を降りて、15分後に出る次の電車を待つことになりました。

待ったおかげで全員座れた上に、写真のようなパノラマ車窓の「きらら号」にのることができました。口数は少ないのですが、いつもポイントを抑えた彼女の発言には感謝していまぁ〜す。30分ほどして到着した貴船口駅の小さな改札口も写真のように大混雑。
貴船口駅から神社まではバスが出ています。しかし、私たちは貴船川沿いにゆっくりのんびり、谷沿いに流れる天然のクーラーを満喫しながら参拝することに。

ここは気温が都会より5度〜10度も低いので、河原にオレンジの彼岸花が咲いていてびっくり! もう秋の気配が漂っているのですね

靴を脱いで、足を川につけてみたのですが、期待通りの冷たさに感激!

この辺りは昔からの蛍の名所です。和泉式部が心変わりをした夫の心を取り戻すため神社に参拝し、その道中に読んだという和歌(物おもえば沢のほたるもわが身より、あくがれいづる魂かとぞみる)が蛍岩の説明書きに書かれていました。

式部が男に忘れられて無為な時間を過ごしていた頃、貴船に参詣して川面に蛍の飛び交うのを見て読んだ歌だそうです。今も昔も切ない女心は変わらないと思うと、胸を打たれますね。このあと、式部は無事に夫の心を取り戻せたようなので、貴船の神様のご利益はすごいかも?

そうそう、それから、楽しみにしていた川床での流しソーメンの件ですが、日曜日は予約は不可でした。仕方ないので、希望者だけで川床で昼食を食べましょう! と、いうことになり、その他は出町柳でおにぎりなどを購入。

ところが、「適当に空いてる店に入って、川床に座ってお昼食べようねぇ〜〜」。なんて、のんきなことを考えながら、いざ現地に行ってみたら、なんと、なんと! お昼の川床料理は最低一万円から!

上流の少しお値段の安い店はソーメン・2時間半〜3時間待ち!! ダッタノデスヨ(*^。^*) ト、イウコトデ・・・奥宮近くの川原に降りて皆でおにぎりを分かち合いながらの、まさに楽しい「大人の遠足」となりました。


貴船神社の境内は『七夕の笹で美しく飾られていました

社伝によれば、その昔、丑の年、丑の月、丑の日に、貴船山中の鏡岩に神霊が降臨したのが始まり、または、神武天皇の母・玉依姫(龍王の娘)が、黄船で淀川を遡り加茂川、貴船川をたどって今の奥宮の地に水神を祀ったのが始まりとも伝わっているそうです。
延喜式神名帳には名神大社二十二社の中の一つに記されていました。しかし平安中期頃、上賀茂神社の摂社に組み入れられてしまい、明治になってようやく貴船神社として念願の独立を果たしたとのことです。

この日の境内には七夕の笹飾りが所狭しと飾りつけられていました。夜にはライトアップもされて幻想的な雰囲気がさらに増すとのことです。
そういえば、ヒグラシの鳴き始めた帰り道で出会った四人組の女性たちは、これから神社にお参りすると言っていました。きっと、夜の貴船の情緒を堪能したことでしょうね。

ところで近頃では、新暦7月7日に七夕祭りが行われていますね。でも旧暦の7月7日(今年・2010年の新暦では8月16日)が本来のお祭りとなります。
その頃にはちょうど真夜中ごろに天の川が真上に来るので、笹に書いたお願いも彦星や織姫さまに届きやすいかも?。

玉依姫さまが乗ってきた黄船が隠されている。(奥宮)

貴船神社は元は、今の奥宮の場所に建っていたのですが、平安時代中頃の大水で社殿が流され、今の場所に遷座されました。

この奥宮の社殿の下は井戸(龍神の住む龍穴)になっているのです。井戸がご神体とはさすが水を司る神様ならではですね。

この場所では何人かの方が頭が痛くなったり、すごい霊気を感じたという方もいました。それもそのはず、実はこの奥宮は知る人ぞ知る「牛の刻参りの」メッカだったのです。

牛の刻参りと言えば、わら人形に五寸釘を打ち込んで呪いを掛ける恐ろしい話を思い出します。
事実、付近の山中から、釘を巻き込んだ大木が時々見つかるそうですよ。本当に、やっていたんですねぇ〜!

牛の刻参りをしている姿を人に見られたらその呪いは自分に跳ね返るそうなので、まさに命がけだったのです。その女の人たちの情念がまだこの周辺に溜まっているのかも?
ところで、観光客のほとんどの方はこの奥宮までしか足を伸ばさないのですが、私がぜひおすすめしたいのが奥宮の裏側です。社殿をぐるりと回って谷道をほんの少し上がったところに大きな大きな桂の大木があります。

写真のように立て札があるのですぐに判ると思います。この辺りは桂の木の林のようになっていて、ハート型をした葉っぱの木漏れ日がきらきら輝いて清涼感あふれる風景です。秋には桂の木の葉は黄葉し、落ち葉からはバニラに似た甘い香りが漂ってきます。

『古事記』の中には山幸彦が龍宮に行った時、井戸の傍の桂の木に座って待っているようにと、塩土翁に教わったと書かれています。また、月には桂の木が生えているとも言われています。

桂の木は本来、水を好む植生があるので、井戸の傍に植えると水が枯れないと言われていたとのこと。また、山伏や行者は山中で水を探す時にはまず桂の木を探し、その根元を掘ると必ず水が湧いて、喉の渇きを癒したそうです。

貴船神社境内や結社にもご神木の大きな桂の木がありますが、この奥宮の大木とその辺りの桂の群生も必見です。貴船の森の深さをもっと味わいたいと思われる方は、さらに足を北に伸ばせば源流に近い「芹生峠」に行き着くそうです。


結の社(ゆいのやしろ/縁結び)ご祭神は磐長姫さま

写真は磐長姫様の結社(ゆいのやしろ)です。
最近特に縁結び祈願の若い女性の参拝が増えたようですが、はたしてその中の何人の人が古事記に伝わる「磐長姫と木の花咲夜姫姉妹とニニギ命の結婚にまつわる因縁話」を知ってくださっているでしょうか? 神話を読んでから各地の神社に参拝すれば、なお深く神様の神霊に触れることができると思うのですが・・・・。

ところで、結社は15、6年ほど前までは、ほとんどの人が素通りしていく静かな(寂しい)お社でした。

最近のパワースポットブームの影響? かもしれませんが、今は本殿で縁結び祈願の緑の紙を授かってから真剣な顔でお参りする女性が増えたようです。

お社の周りも見違えるようにきれいに整備されてびっくりでした。

後ろにある桂の大木に二本の長い草が結ばれていました。昔ながらのお参りをされている方もあるのですね。どうかみなさまに良縁が授かられますように(*^。^*)

ところで、この日は正午に、本殿前で京都北山三社の神主&野遊び協会主催・中村重行ご夫妻と合流。貴船神社の宮司様にご紹介頂き「古事記のものがたり」の本を献本させて頂くことができました。
本を社務所で広めて頂けるようにお口添えもして頂き感謝、感激しています。


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