『神能翁』能にして能にあらず
 

丹波篠山元旦 「能神事」
平成26年(2014年)
新年 明けましておめでとうございます。

真夜中の寒気をついて
春日神社の境内に笛と小鼓が響き渡り
翁の舞が始まります。




丹波篠山春日神社の重要文化財の能舞台で年明けと同時に日本最初に舞われる『神能翁』
今回で第三十七回を迎えるとのことです。

今年は実家で、初めて年越しをしたので・・・・
拝見させていただくことができました(*^。^*)

(晴明さんの実家は篠山城のすぐ傍、春日神社までは徒歩圏内なのです)

 
国指定重要文化財(建造物)

丹波篠山黒岡の春日神社の能舞台は江戸時代(文久元年1861年)に篠山藩主青山忠良公の寄進によって建立されました。

能愛好家の忠良は江戸で四年間老中の要職を務めた後、江戸城本丸の能舞台を参考にしてこの能舞台を建てたと言われます。

若者で賑わう東京の青山通りは、その頃の老中青山家の屋敷のあった地名にちなんで付けられました。高級品として有名な「青山のぬれ納豆」は丹波篠山産の黒豆等で作られているのでコクがあって美味しいとの評判が全国に広まったのです。

春日神社の能舞台は方形の入母屋造り。橋掛に続いて切妻造鏡の間および楽屋という正統的な建物で野外舞台としては実に立派な格式を誇っています。

しかも床下には音響効果の為の大甕が七つも仕込まれ、その音の響きは正面の愛宕神社が鎮座する大きな岩座に響き渡って相乗効果をかもし出します。


建造時は江戸から西で最高の能舞台だと評されたとのことですよ。

明治〜大正〜昭和と長らく能の上演が途絶えていたのですが、丹波猿楽の流れを汲む梅若家(観世流)の方々が地元有志と復興に尽力され今日まで続いています。

毎年1月1日午前0時20分頃スタート。
  

  
 天下泰平、五穀豊穣、国土安穏を祈る能
舞台の流れ
翁は能にして能にあらずの言葉通り
現在の能の形式を全くとっていないそうです。

私たちが春日神社に着いた時には、神社のご神前で神主さんと紋付を着た総代さんたちがご祈願をして神降ろしをした松明をご神殿から舞台にお移しして、再度、舞台の上に安置してある神棚の前で祝詞が奏上されていました。

ご神事が終わると舞台から神棚を撤去。
やがて橋掛かりから千歳が翁の入った面箱を捧げて舞台に上がります。



それに続いてシテが直面(素顔)で登場。
千歳が舞い終わり座に着くのを合図にシテが舞台上で翁の面をつけます。

通常の能は鏡の間と言われる楽屋で大きな鏡を前にして面をつけ舞台に登場する前に役になりきるわけですが・・・

神能翁はこのように舞台上で面をつけることによって神『翁』が降りてきて舞うという特殊な能なのです。


ある人から・・・
面を付けた瞬間に目の前に白いひげのお爺さんが現れて・・鏡のように左右真逆になって舞い出して、所作を導いてくれる・・・
翁の舞が神がかりといわれているのは・・・
そういう不思議な事が起こるからだ・・・
と、教えて頂いたことがあります。

シテが面をつけてすっくと立ち上がった瞬間の張り詰めた氣にとても感動してしまいました。
もしかしたらこの瞬間に舞台上に白い鬚のお爺さんが現れていたのかも?




翁の面越しに謡っている「神歌」が聞き取りにくかったので・・・後でネット検索してみました。


能で最も神聖とされる翁の神歌
トウトウ・タラり・タラリラ・タラり・・・に始まる不思議な神歌については。
一説にサンスクリット語だとか・・・
ポリネシア語や縄文語だとか・・・
笛の音譜だとか言われて未だに定説はないようです。

なんとも不思議な呪文ですね。

私も思わずおひねりを投げましたぁ〜(*^_^*)
 
今年は元旦早々にお目出度い神翁を拝見することができて本当にすばらしい幕開けとなりました。

そうそう
この舞台でもう1つびっくりしたことがあります。

それはこの神能翁が厳かに舞っている舞台に向けて、観衆からバンバンおひねりが飛び交うのです(*^_^*)

普通の能舞台でおひねりが飛ぶのを見たこともないので、これにはびっくり!!!!

思わず私もおひねりを作って舞台に思い切って投げました。

「翁の舞」が能が成立する以前の滑稽猿楽(民衆の娯楽)の流れをくんでいるということを身をもって体験させていただきました。


追伸
この春日神社の神能翁の情報をFBにアップしたら・・・
FBつながりの「雲龍大倉氏」が大倉流の小鼓演者として中学の時から丹波篠山の恒例の元旦の翁の舞台に立っておられたとメッセージを頂きました。
鼓方も謡いの方も翁の舞台は烏帽子に長袴の正装という格式ある舞台です!
ご縁はすごいですね(*^。^*)


もどる
もどる