茶畑の中に眠る太安萬侶
 2008年1月24日
 


太安萬侶の墓(奈良市此瀬町) 

太安万侶「生年不詳ー養老七年(723年7月6日没)奈良時代の文官。
墓誌から太朝臣安萬侶、(明日香・藤原京)左京四條四坊に住み、官位は四位下勲五等だと判明した。

大安萬侶

平成11年(1999年)に「古事記のものがたり」を出版してから今年でちょうど九年目になりました。初版を出した頃は無我夢中だったのですが、思いもかけず読者の方々から「こんなに判り易い古事記を待っていました」とか
「古事記のものがたりを読んで日本の神様が好きになり、本を片手に神社巡りをはじめました」などというお便りを頂き感激しています。
これまで本当にたくさんのみなさまに応援していただいたおかげで、十刷り目を増版することができました。この場をかりて心からお礼申し上げます! 


二年前に古事記ゆかりの土地、大阪の近つ飛鳥に引っ越してようやく落ち着きましたので、新年を前にして、前から気になっていた太安万侶のお墓参りにでかけることにしました。

古事記に関しては昔から偽書説が横行し、稗田阿礼や太安万侶は架空の人物だとまで言われていました。

しかし、昭和54年(1979年)1月23日、奈良県田原の里の茶畑の中から(此瀬町)太安万侶の墓が発見され、墓誌が解読されたことで、安麻呂の実在が認められたのです。

江戸時代の国学者・本居宣長も、この古事記偽書説には手を焼いていたらしいので、もしこの大発見をあの世で聞いたら涙を流して喜ぶことでしょうね。
(右の写真→ 大安萬侶 菊池容斎画 明治)



 
美しい茶畑が広がるのどかな山里

近つ飛鳥の家は車が無くては買い物にも出れないので、小さな中古車を手に入れました。晴明さんは免許は持っているものの、十年以上も徒歩で神社巡りをしていたので、乗り始めた最初は交通量の多い市内を走る時は、助手席に座っているだけで心臓がドキドキしました。

でも、この二年間、毎日車に乗って買い物に行っているおかげで、ようやくハンドル操作に慣れてくれたようです。

そこで、カーナビを頼りに太安万侶さんに「古事記のものがたり」を出版したことを報告に行こう! ということになりました。

奈良盆地の東側、春日山ドライブウエイの案内の横を通ってさらに奥の大和高原に向けて15分ほど車を走らせると斜面に茶畑が広がるのどかな田原の里に到着します。

太安萬侶の墓は道路のすぐ傍、東西に伸びる丘陵の南斜面(とんぼ山)、海抜416m余りの位置にありました。昭和54年の発掘当時は、新聞に大きく報じられ、文化庁、県、地元をあげての騒ぎで、日本中から大勢の人がこの山里に押しかけ、脚光を浴びたようですが、今はほとんど訪れる人も無いのか、人影もなくひっそりと鎮まっていました。

それでも村の方や地主の方のお参りは行き届いているようで、墳丘上の草はきれいに刈られ、墓前には新しいシキビが供えられていました。

  


太安萬侶は古事記を編纂するときに、当時の話し言葉を後の世の私たちに伝えるために大層苦心したと序文に書き残しています。

つまり稗田阿礼が語る神代の物語をそのまま大和言葉(話し言葉)として大切に残して文章にするために、伝わってきたばかりの中国の文字(漢字)をルビとして変換したり、意味が同じ場合はその漢字を使ったりして表現したということらしいのです。

そのため、古事記は理解するのが非常に難しくなり、本居宣長が35年もの歳月をかけて古事記伝を完成しました。でも、そのおかげで私たちの祖先がいきいきと暮らしていた姿がおぼろげながらも理解できるのですから、安萬侶さんにはどんなに感謝しても仕切れません。
本当にありがとうございます。そしてどうか安らかに眠ってくださいね。


火葬骨と一緒に四個の真珠を発掘)













墓の中からは各部がそろった1体分の人骨、人の歯7本、天然産の良品の真珠、銘文を刻んだ墓誌の銅版などが出土しました。

「大化の薄葬令」により、派手な葬式が禁止され、殉死や棺に漆を塗ることを禁じるなどといった項目の中に「珠玉(真珠)を口に含ませ・・・」という記述があるそうです。

当時は、あわび珠(天然真珠)は大変貴重な物で、人の霊魂は真珠と同じ形をしていると考えられていたようです。

養殖真珠などの無い時代ですから鮑の中に偶然混入した異物が真ん丸の真珠になり、その真珠を抱いた鮑を手に入れるというのもめったにあることではありません。

エジプトではクレオパトラがシーザーの気を引くためにワインの中に真珠を入れて飲み干したとか、真円の真珠一個で国が買えたとも言われているほどです。そのような貴重な真珠が四個も太安万侶の墓から出てきたなんて、すごいことだと思われませんか?

この景色、どこかで目にしたような???

このあたりの茶畑の風景は、2007年カンヌ国際映画祭でみごとグランプリを取った河瀬直美さんの映画「もがりの森」の舞台ともなりました。

作品のすばらしさもさることながら、海外のメディアが余りにも美しいこの風景を見て「あれはどういう景色なのか? どこかの庭園なのか? 」という質問が集中したと聞きました。

その風景がなんと太安万侶の墓のある場所だったとは!

もがりの森の舞台になった田原の里の村では、いまだに亡くなった人は土葬にされるとのことです。(法律では土葬を禁止する条文はないそうです)春に桜の咲く頃、もう一度こののどかな景色を眺めるためにお墓参りをしたいと思っています。




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