湯殿山のご神体に出会ったぁ! (^。^)
 

2005年9月19日。にっぽん丸秋の日本一周クルーズ(9月11日〜22日・横浜ー名古屋ー雲仙ー富山ー酒田ー知床ー横浜)の仕事で山形県酒田港に寄航した。6〜9日に日本を襲った大型台風14号が過ぎ去った後で、12日間ずっと好天に恵まれた最高の船旅でしたぁ〜(^。^)。


「湯殿山」だ〜っ

今回のクルーズで必ず行こうと楽しみにしていた場所が湯殿山だ。
すごいご神体だと聞いていたので、ぜひともこの目で見たいと前々から思っていた。酒田港に着いてすぐ、にっぽん丸の船客を目当てに客待ちをしていたタクシーの運転手さんに「仕事で日本中の神社や神さまを調べているので湯殿山のご神体を拝みたいと思っています。ただし、私たちはにっぽん丸のお客さまではなくスタッフなので、お金持ちではありません。料金をなんとか安くしてください!」と素直に頼み込んだところ、通常より格安で案内してもらうことが出来た。(一日貸切(^o^)丿)

酒田港から山形自動車道を走り、およそ1時間30分ほどでご覧の一の鳥居に到着した。湯殿山というとなんだか暗くて陰湿な恐ろしいところという先入観があったので、現地についてみて湯殿山神社の広々とした明るさに拍子抜けしてしまった。

上の写真の大きな鳥居の前でいったんタクシーを降り、神社専用のバス(100円)に乗り換え4〜5分ほど山奥へと入った。湯殿山は標高1500メートルあり、ご神体はその中腹にあるらしい。



 

言わず語らずの湯殿山

奥の宮の駐車場でバスを降りると上の写真のような白い幟の立つ山道が見えた。ご神体へはここを上へと登っていくようだ。登り口に手水舎があったので手と口をすすぐ。山水を引いてあり澄んでいてとても冷たかった。飲用も出来ると案内板に書いてある。

その手水舎から、先ほどの幟の立つ参道を登り降りしながら10分ほど歩くとようやくご神体のある社務所に着いた。たくさんの観光の人や信者さんのような人でいっぱいだ。

全員入り口で靴を脱いで裸足になり、神主さんのお祓い受けて(500円)さらに奥へ20メートルほど進むと、そこにご神体がデ〜ンとあった。想像はしていたが、実物をみてびっくり! 大きさは10メートル四方ぐらいで、赤茶けた巨岩が山肌から露出している。その大岩から温泉(湯壷)がこんこんと湧き出し湯煙をあげていた。

だから湯殿という名前が付いていたんだ。
今まで様々なご神体を見てきたけれど、山の中腹から湧き出している温泉のご神体(湯壷を)拝むのは初体験だ。

そしてなんとご神体に上ることが出来る!!!

ご神体の周囲に付いている手すり代わりのロープにつかまりながらソロソロと上がっていく。赤っぽいご神体からは所々温泉が噴出し岩肌を流れている。その一滴一滴が何千年もの歳月をかけて鍾乳石のように積もりながらここまで大きく成長したことがうかがえる。

岩肌はすべすべしていて滑りやすく、そのうえ熱いお湯が流れているので足を浮かせながら歩いた。

それにしてもこんな風にしてご神体の周りを裸足で歩かせてもらえるなんてありがたいことだ。普通なら、しめ縄を張ってあったりして近づくこともできなかったり、社殿の奥の方に納まって拝むことも見ることさえも出来ないご神体もあるのだから。

ただし、湯殿山のご神体のことは「言わず語らず。語らば聞くな、聞かば語るな」と古来より厳しい戒律があり、写真撮影は固く禁止されている。

ご神体の周りを歩きながらよく見ると、この湯壷は女陰に似ていた。岩に沿って流れるお湯が中央に集まり一筋の流れをつくっている。だから昔から命の再生の場所としてたくさんの人の信仰を集めていたのかも?

それが中世に入り修験道の「死と再生」思想に結びついたのではないだろうか。

右の写真は、出羽三山を描いた掛け軸。、一番上の白い山が月山、真中がお湯が湧き出している湯殿山、一番下の社殿が羽黒山。

どうですか。真中の湯殿山は女陰として描かれているということがよく解るでしょう。

とにかく皆さん一度は拝まなきゃいけないところですよ〜。

今回、月山へは登れなかったが、湯殿山ご神体への入り口と反対側の道をさらに3〜4時間登れば1984メートルの月山の山頂に到達できるらしい。

月山のご祭神は夜の国を司る月読命とされている。修験者たちは月山で過酷な山駆け修行をして、この湯殿山で新しく誕生する、まさに死と再生の体験をするのかも…。




右の写真は社務所の出口にある足湯につかっているところですが、お湯だと思って足をつけたところ大変冷たい水だったので、がっくりでした。



出羽三山・三神合祭殿「月山(月読)、湯殿山(大山津見)、羽黒山(倉稲魂)」

山形県は冬の間は雪に閉ざされ、標高の高い月山や湯殿山は完全に道が閉鎖されるので参拝できない。初詣にも行けないため、標高が低く人里に近い羽黒山(414メートル)の中腹に社殿を造り三神を合祭する出羽三山神社を建立したとのこと。

羽黒山は和歌山の熊野、九州の英彦山と並んで三大修験の地として有名だ。境内には神主や巫女さんと並んで一本足の高下駄を履いた山伏姿の行者さんがうろうろしていた。事前に頼めば山伏姿の行者さんが境内の案内もしてくれるらしく、ほら貝も吹いて見せてくれるらしい。

現在は出羽三山神社と呼ばれてはいるが、明治の神仏分離までは立派なお寺だったとのこと。道理で境内に立派な鐘楼が残っていた。

ここで一番人目を引くのは三神合祭殿の茅葺の厚さだ。他の神社のゆうに三倍ほどもあっただろうか。茅の厚さではたぶん日本一ではないかと思った。とにかく圧倒されること間違いなしです。



余談ですが… 参道の手前に「羽黒山神社郵便局出張所」を発見! あまりに小さくてかわいらしいので、郵政民営化の波をかぶれば無くなってしまうかもと思いつつ、記念のためにパチリ。


国宝・五重塔(木々の中に佇む清楚な姿に感動)


運転手さんのお勧めで、羽黒山の合祭殿の昔の参道にある東北唯一と評判の国宝の五重の塔を見学した。

五重塔なら京都や奈良で幾つも見ているので、あまり期待しないで連れて行ってもらったのだが、杉木立の中の静寂な空気に包まれて凛としたたたずまいの五重塔にすっかり魅了されて言葉を失った。改修前の室生寺(奈良県)の五重塔にも負けない存在感だ。

合祭殿の茅葺屋根の重厚さにも心惹かれたが、木々の中にひっそりと立っている五重の塔もそれ以上にすばらしいです。この塔を見ても、ここは本来、お寺としてたくさんの人々の信仰を集めていたことが判った。


塔に至るまでの苔むしたゆるい階段の古道が、またとても良い雰囲気だ。昔は羽黒山への参道はここしかなかったので、参拝者は徒歩で2446段あるという緩やかな石の階段を一時間ほど掛けてゆっくり登りながら気持ちを整えてお参り出来る仕掛けになっている。それが本来の参道のあり方ではないだろうか。

世界遺産に登録されてどっと押し寄せる観光客たちに踏みにじられて、すっかり苔がはがれてしまった熊野の大門坂の石畳よりずっと静かで荘厳な空気が流れている。

今は車の道が整備されマイカーや観光バスは神社のすぐ傍の駐車場まで行けるようになってしまった。すっかり忘れられたこの石畳の参道は、知る人ぞ知る、穴場の散策コースなのだそうですよ。どうか、ここは世界遺産にしないでください。

みなさんももし、羽黒山にいかれることがあれば、三神合祭殿へはぜひぜひこの道を歩いて参詣されることをおすすめします。この静かな木々の中にポツンと佇む五重塔だけでも一見の価値はありますよ。


即身仏に出会ったぁ〜!


五重塔を見て帰船までまだ時間があったので、もう一箇所「即身仏」が安置してある大日坊というお寺に案内してもらった。

ここでひとつお尋ねしたいのですが、みなさんは「即身仏」と「ミイラ」の違いをご存知でしょうか? 

四年程前、カイロ博物館(エジプト)で何体ものミイラを見たことがある。ツタンカーメンの黄金のマスクや彼の内臓を入れた壺の前ではガイドさんから古代エジプト人が命の再生を願ってどのようにしてミイラを作ったかをくわしく説明(耳や鼻の穴から内臓を引っかき出す! げぇ〜!! )してもらった。だから運転手さんに「山形にはすごい即身仏があるんだよ」と教えられても「ああ、日本のミイラか…」ぐらいにしか考えていなかった。

ところがところが! この大日坊というお寺の住職の長い長い親切丁寧な説明(修学旅行生を前にした奈良の薬師寺のお坊さんも真っ青)を聞いて初めて、ミイラと即身仏は大きな違いあることが判った。

以下、住職の説明を簡単に再生します。

弘法大師・空海は即身仏として今も高野山の奥の院に生きておられると言われています。江戸時代のこと、大日坊に真如海という一人の修行僧がいました。幼い頃から仏門に帰依し、一生を捧げてこの世を不公平のない仏の国にしたいと願っていました。青年になった真如海は天明の大飢饉などで飢えに苦しむ地獄のような世のありさまを見て、人々を救うために空海のように自ら仏となり「即身仏」となって衆生を救う決心をしました。

そして湯殿山大権現(ご神体はあの湯壷だった!)を信仰し月山や湯殿山の山中で何日間も修行をして悟りを開き、無我の境地に到達。即身仏となるために五穀を断って木食の行に入りました。やがて死期を悟った真如海上人はさらに十穀断ちをして塩と水だけで命をつなぎ、最後には内臓に蛆虫が沸かないように「漆汁(うるし)」を飲んで生きたまま土中に埋葬(1783年96才)されたということです。三年三ヶ月後に弟子や信者の手によって掘り出し、洗い清められて仏としてお祀りされたのがこの「即身仏」なのです。以上。

ミイラには内臓がないぞう。どうやら「即身仏」は自らうるしを飲んで内臓の防腐処理を自分でしてから死んでいくようです。すごいですねぇ〜。ミイラに込められた命の再生を願うという個人的なことではなく、もっと高尚なすざまじいまでの祈りの境地に達した聖人が即身仏のようです。うるしを飲んでも皮膚に付かなければかぶれたりはしないという話でした。ちなみに漆職人は味見をするらしいです。味は甘酸っぱいとも言っておられました。

山形県にはこうした即身仏信仰が広まり、かなりの数の即身仏があったらしい。しかし、明治の神仏分離令による廃仏棄釈や戦争でそのほとんどが焼失。この真如海上人は生前、「私を本堂に安置せず、小さな祠を建てて別に祀ってくれ」と遺言されたとのこと。本堂にあった他の即身仏はすべて灰になったが、小さなお堂に安置していた真如海上人の即身仏だけが焼失を逃れた。300年後を予測していたとはすごいですね。


熊野修験も生きたまま浄土に行く「渡海浄土」信仰があり、多くのお坊さんが生きたまま船に閉じ込められて海に流されたという話が伝わっている。しかし湯殿山の即身仏の話はすさまじいまでの執念というか、そこまでして人々を救いたいという強烈な信仰心を感じて感動した。よく見ると真如海上人の細い手には血管が浮き出て、まだ生きていて血が流れているようで、自然に頭が下がり合掌していた。

大日坊では六年に一度、即身仏の御衣を新しくされるとのこと。着替えの時に裸にして、褌を代えるためにそっと抱き上げるとまだお尻がやわらかくて生きておられるのを感じると住職さんが言われた。リアルななま温かい感触が伝わってくるような気がした。その夜、にっぽん丸に帰り、波に揺られながら寝ていたら、真如海上人が現われて「生涯無一物。裸で生まれて裸で死ぬ」と穏やかに語って消えた。衝撃的な夢!。

古くなった御衣の入ったお守り(1000円)は大日坊のホームページで買えますよ。


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