大徳寺昭輝 |
書画、歌、舞、講演、作家など多彩な表現活動を展開/2000年3月取材 無償で救う人の悩み 活動の場世界に広がる 氷川神社で奇跡的な体験 書画、歌、舞、講演と日本各地で活躍されている大徳寺昭輝さん(本名・伊藤幸長、三十六歳)は、大変数奇な人生の持ち主なのである。 明治時代、食肉業で財をなした伊藤家の四代目の後継ぎとして多くの従業員やお手伝いさんに囲まれ、砂場や滑り台、ゴーカートまである広いお屋敷の中でお金というものを手に取ったこともなく、全くの「箱入り」状態で幼年期を過ごした。 その生活が一変したのは中学三年生の時である。 家業が破産し、一家五人は狭い長屋で肩を寄せ合うようにして暮らし始めた。 しかし、小さい時から、世間知らずのお坊ちゃんでおっとりと育った彼にとっては、その生活が新鮮で温かくうれしかったと話す。「母はとても明るく気丈で、世間の人が『あれが伊藤の奥様よ。今何をやってると思う』と、わざと聞こえるように話しているのを聞いても、『噂をしてくださるのはありがたいことよ』と毅然としていました。その時、母は自分たちの元の会社で働いていたのです」 貧しいながらも楽しい高校生活を送り、大学入試を前にした十八歳の大晦日。近くの氷川神社にお参りをした彼の身に、常識では考えられない出来事が起こったのである。 その日から三日間、赤い着物を着た見知らぬおばあさんが夢枕に立って「おぢばに来なさい。天理に来なさい」と真剣な顔で呼びかけた。 その頃、お母さんは天理教の娘さんと親交があったので「天理」とは奈良県の地名で「おぢば」とはその天理教の本部のことだということが分かった。 「母はいつも私を信じて私の願いを聞き入れてくれる人でしたので、そのご縁で私は夢に出てくるおばあさんの言葉に従って初めて天理に行くことになったのです」 天理教の本部に行くと奥の御殿で夢に出てきたおばあさんが待っていた。隣の人に誰ですかと尋ねたが、その人には何も見えない。 ところが、彼には赤い衣を着たきれいなおばあさんが壇上から降りてきて、目の前でにっこり笑って「よく来たね」といった声まではっきり聞こえたのである。 しかし、その時は夢の約束を果たしたという安堵感だけで受験のためにすぐに東京に戻った。 ところが、受験前のある日、いつもの神社で柏手を打ち、合格の祈願をして手を合わせていると、急に血の気が引き、心臓の鼓動が大きくなって、その場に倒れそうになった。 そして、別の声が彼の口から出てきて「我は元の神である。約束の年限が来た。お前を神の社(やしろ)として貰い受ける」という言葉を発したのである。 この日から食べ物は一切受けつけず、体は小刻みに震え続け、血を吐くような苦しみが三日三晩続いた。それが治まった時、天理教の教祖・中山みきが示したという教義を、老婆の声で語り始めたという。 「神の社になれと言われても当時十八歳の私には何がなんだか分かりませんでした。言葉が勝手に出てきてしまうのです。父は私が気が違ったといって怒鳴りましたが、母はかぼってくれました」 結局、彼はその後、天理教の修養科に進み、東京に戻ってからは親神様の命ずるままに従って多くの人に神の言葉を取りつぎ、迷っている人の相談に無償で乗るという「おたすけ」の道に入ることになる。 「『おたすけ』ではお金は取るなという親神様の命令でしたが、母は脳溢血で倒れた父の看病で一家の生活は長男である私の肩にかかっていました。生活は苦しくアルバイトをしながら家族を支えるのは正直言って大変なものでした」 勤めていたコンビニから残り物のお弁当を貰って帰り、皆で分け合って食べたこともあったという。 芹沢光治良さんが作品に そして、ほどなく元日本ペンクラブの会長で「巴里に死す」や「人間の運命」などの作品で有名な芹沢光治良さんと運命の出会いをすることになるのである。 晩年の芹沢さんが、九十六歳で亡くなるまでに毎年一冊ずつ書き上げた「神の微笑」全八冊は、大徳寺さんの存在なしには完成しなかったと言える。 天界と地上界の関わりを見事なまでに書き表し人々を魅了したその作品の中に出てくる「神の言葉を取りつぐ伊藤青年」こそが大徳寺さんその人なのである。 こうしてさまざまな紆余曲折の後、大徳寺さんは天理教という組織からも離れ、神奈川県湯河原にある天命庵で毎月八のつく日に訪れる一人一人に丁寧に神の言葉を取りついで「おたすけ」をしている。 天命庵の維持費や生計は毎年東京の鳩居室で開かれる書画の個展の他に、各地で開くコンサート活動などで賄っている。しかし、大徳寺さんは、どんなに多くの人が彼の話に引かれて集まってきても決して組織を持とうとほしない。 近頃はその作品や講演が海外でも高く評価さればじめ、大徳寺さんの活動の湯は大きく世界に広がり出している。 (宮崎みどり). もどる |
この人の話 人間は「偉大な力」によって生かされている 私は神様の御用をして報酬を頂こうと思っていません。これは人助けなのですから。それに、もう「宗教団体の時代」ではないのです。あまりにも大きな組織や団体を作ってしまうと、その維持費や運営に心を奪われてしまって、心の成長が妨げられてしまいます。 私は小さいときから不思議とお経を読むことが好きで、誰に教わったということはないのですが、庭の草木や花々、烏、風やお日様と話をするちょっと風変わりな子どもでした。 今多くの人たちは見えるものしか見ようとしません。直接触れられるものしか感じようとしません。旅をしても、景色や建物、あるいは温泉だとかスポーツ施設が完備しているとかいう肉体の喜びばかりに目が奪われています。 けれどもその場所にじっとたたずんで、心を澄ましてみれば、きっと何か別のものが感じられるはずなのです。それは、霊視とか超能力というものではないのです。そこの自然が、そこに築かれた歴史が、それぞれの人に何かをきっと語りかけてくるはずなのです。このことは誰にもできることです。 キリスト教がイエスを神に祭り上げたり、その教えを言葉や論理で捉えようとして、真の教えをゆがめていったように、仏教もまた教団ができるにつれて釈迦の本当の教えを取り違えていきました。 大きな伽藍を建て、黄金の仏を刻み、信者からたくさんの寄付を募ることによって初めて立派な仏の世界が築かれると錯覚しています。伽藍には、教えを伝える僧がいて始めて拠り所となるのです。人を救おうという者がいて初めて意味をなすのです。 この数年、釈迦やイエスの教えを取り違えた宗教者たちが、多くの若者に間違った教えを説いています。私は決して非難しているのではありません。「神とともに歩む」。そのことを多くの人は誤解しています。 神の啓示を受けた者はあたかもスーパーマンか超人のように思うでしょうが、それは間違いです。本当に神の啓示を受けた者は、神の豊かで偉大な力が、あらゆる万物に働いていること、自分がその力によって生かされていることを知り、自分の無力を悟るのです。 今こそ一人一人が魂の救いの世界が本当にあることを信じて立ち上がってもらいたいのです。その意味ではすべての人が神懸かって生きてほしいと思っています。これからも、どんな人の中にもある「神の光」を見つけ出し、育てるお手伝いをしていきたいと思っています。 もどる |
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