イーデス・ハンソンさん。

いま、いのち輝くとき

「使命感なんてかっこいいもんじゃないけど、他人がえらい目にあっているのを見たら、こんなのあったらいかんがな、と思うでしょ。人間できることあったらしたらいい」

イーデス・ハンソンさんは現在(平成7年当時)アムネスティ・インターナショナルの日本支部長。十九歳の時に来日し、大阪弁をしゃべる外国人タレントとして一躍マスコミなどの人気者になった。

1979年からアムネスティの活動に参加。暴力を用いていないのに、自分の信念や信仰、人種、言語、性などを理由に囚われている人の即時釈放を求めたり、すべての拷問や死刑の廃止を求める人権運動を世界中に展開している。



インドとアメリカで差別見た
日本どこかおかしい


「私が一番初めに人権について考えたんは、子どもの頃、家族でインドに住んでた時やった。」

同じインド人同士が戦争してたんで親に『なんで殺し合いするのか?』と聞いたら『あれは宗教が違うからや』とのことで、それやったらうちらもキリスト教やから殺されるんか?

と心配してたら、ヒンズーとイスラムの戦争やからキリスト教は関係ない、といわれて子供心にほっとしたことを記憶しています。

そして次にアメリカに行ってハイスクールに入ったら、白人と黒人が別々の学校に通学してる。「なんでやねん?」と聞いたら

「肌の色が違うからや」

「そやかてインドでは、首相も弁護士も医者も学校の先生もみんな黒い肌してたし、同じ学校に行ってた」

それなのになんでアメリカでは差別するのか不思議やった。

ところが日本に来たときは「ここはええ国や単一民族で、人種差別や宗教戦争はありません」とか言うてても、言葉が分かるようになったら、なんかおかしいとこが見えて来たんやね。

言葉と文化が同じ人種で何百年も同じ日本の中で暮している人のはずやのに、肌の色も宗教も同じやのに、なんかよそよそしいというか、見下すというか、なんか感じが違う。

『これは一体なんやねん? と思ったね。ほんま信じられへんかった』

ハンソンさんはいまも和歌山の山奥の戸数三十戸ほどの小さな村で、自然に囲まれ、田畑を耕しながら、地球市民の一人として、世界に向けてアムネスティの人権運動を啓蒙し続けている。(平成7年1月号)


一言メモ
イーデス・ハンソンさんの取材をしたのはもう7年も前のことだ。山奥にあるハンソンさんの和歌山の家から白浜空港までは車で10分ほどなので、そこから飛行機で一旦、関空や成田に出て世界で活躍しておられるとのことだった。私もいつかは田舎暮らしをしたいと思っていたので、すばらしい自由な生き方をしているハンソンさんのライフスタイルをいつかは見習いたいと感心したことが昨日のように思い出される。


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イーデス・ハンソン