石川皓英
石川皓英(いしかわてるひで)/1994年10月取材

インド旅行で人生一転、飢えと貧しさ救いたい

愛知県西尾市に住む石川皓英さん(64)は、昭和三十四年に裸一貫で農機具の販売を始めた。事業は順風満帆に進展し、全国有数の販売会社となった。趣味も多彩で自家用飛行機の操縦、ゴルフ、海外旅行と何不自由のない優雅な生活を送っていた。

その石川さんの人生を大きく変えたのは、昭和四十五年に友人とでかけたインド旅行だった。「朝早く、街に出てみると道路上で、たくさんの人が死んでいたんです」。インドの昼と夜の温度差は日本では考えられないほど厳しい。飢えと寒さで人びとが毎日のように路上で死んでいくのだった。

「豊かな暮らしをしている私たちには、とても想像できないような貧しい暮らしをしている人が地球上にいることを、このとき初めて知りました。やり切れなかったですね」

帰国後さっそく石川さんは東南アジアの青年たちに農業技術を教えるための研修センター建設にとりかかった。その日以来、今まで精魂かたむけてきた会社の規模を大幅に縮小し、経営も他人に任せ、私財を投じてセンターに作りに没頭した。

田畑を売り払ったり、会社や家族までも犠牲にして奔走する石川さんの考えはなかなか周りの人びとに受け入れられなかった。

しかし、石川さんにとっては、たとえ自分たちの生活が苦しくなっても、そんなことは問題ではなかった。

石川さんは、幼いときからおばあさんに「人にしてもらうことより、まず、してあげることを考えなさい」と教えられて育った。

「アジアにはその日その日を生きるか死ぬかで暮らしている人がいる。同じ人間として私は何かをせずにはいられなかったのです」

あらゆる苦難の末、昭和四十六年、待望の研修センターが完成した。一期生として東南アジア諸国から、十二人の研修生が日本の農業を学ぶためにやってきた。彼らは、およそ二年間の研修期間で日本の農業技術を身に付けて帰国する。

石川さんがこれまでに受け入れた研修生は、アジア、アフリカなど約二十か国四百五十人に及び、それぞれが自国のリーダーとして活躍している。

かつて世界で最も貧しい国といわれていたバングラデシュの、現在の農業の指導的立場にある四人の人々も、石川さんの第一期の教え子たちだという。近年バングラデシュが海外へも穀物を輸出できるほど農業生産力をたかめた裏に、石川さんの大きな力が働いていると言える。

(みやぎき みどり)


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