神渡良平(作家)/1999年4月取材

右半身不随を克服し次々と作品を発表

神渡良平さんは、三十八歳の時に脳梗塞で倒れ、右半身不随となった。しかし、強い精神力とリハビリで、医者も目を見張るほどの回復をし、社会復帰を果たした。中村天風、安岡正篤、佐藤一斎、マザー・テレサなどに肉薄した著書は、多くの人々の感動を呼んだ。

そして、闘病中に骨の髄まで知らされた「人生は一回しかない」を肝に銘じ、一回かぎりの人生を取りこぼさないようにと、啓蒙の書を次々と出版し、人々に問うている。

「僕はもともと、物を書くことが大好きで、中学時代は新聞部の編集長をしておりました。文学への夢を抱いておりましたが、九州大学の医学部に進学し『一方の手にメスを、もう一方の手にべン……』とひそかに考えていました」

 しかし「七十年安保闘争の影響で、九州大学にも学園紛争の嵐が吹き荒れ、授業もまともに受けられない状況が続いた。神渡さんは、左翼というよりは、むしろ反対派に属していた。

このままでは、医師としての技術は学べるかも知れないが、人間の価値観とか基本的な生き方とかは学べない。そう思った神渡さんは、二年生の時に大学に見切りをつけてさっさと退学してしまった。


「大正時代にべストセラーになった、『俄悔の生活』という本の著者、西田天香さんは、バケツとぞうきんを持って他人の家を一軒ずつ訪ねて回り、トイレ掃除をして歩いた方です。今でもそうですが、人は見ず知らずの他人を、なかなか家の中には入れてくれません。

何軒も何軒も、断られて、やっと掃除をさせてくれた家のトイレを、真心を込めてきれいに磨いた後、天香さんはそのトイレの中で手を合わせ『ありがとうございました』といって、その家の皆さんの幸福を祈られたのです。その本を読んだ時、ヤジと怒号で、自分たちの教授を吊し上げている大学の状況とあまりにかけ離れているので驚愕しました。それも大学を辞めた一因です」

しかし、中途退学者としての神渡さんを受け入れてくれる職場はほとんどなかった。以来、家庭教師、皿洗い、セールスマン、訪問販売員などをしながら職を点々としていたが、二十四歳の時、「広い世界を肌で感じたい」と思い立って無銭旅行に。


7年間、欧州各地を無銭旅行

そして七年間フィンランドから地中海まで、ヨ一口ッパ各地で、いわゆるヒッピー暮らしをして自由に歩き回り、ブドウ摘みや皿洗いなどをして働きながら、いろんな国の人々の本当の姿に触れ合ってきたという。

それらの体験が、今の作家としての神渡さんを支えている。たとえば、マザー・テレサについて書きたいと思った時、神渡さんは直接インドのカルカッタに出かけていき、マザーやシスターたちの中に入り込んでボランティアとして、二週間生活を共にした。そこで見たり感じたマザーは、世間で言われている聖人としてではなく、ごく普通の人間として神渡さんに話かけてくれたという。

「皆は、私を人とはどこか違った聖人のように言うけれど、決してそんなことはないのです。たとえば、あなたは目の前に、とてもひどい悲惨な身の上で、今にも息を引き取りそうな人を見た時、黙って通りすぎることができますか? 私はその人に声をかけて、励まし、せめて温かいものを食べさせてあげたい。最初はそう思って行動しただけだし、今でも毎日そうしているだけなのですよ」

毎日の早朝ミサを終えて、チャペルから出てきたマザーは、神渡さんにそう話した。

また、中村天風さんについて書いた時も、天風氏の人生の一番の転機になった場所、ヒマラヤ山麓のゴルケ村まで、はるばる出かけて行って、その目で現地を見てきたりしている。


処女作「安岡正篤の世界」

そして、海外で七年間の見聞を広めて帰国した神渡さんは、帰国してから業界新聞の記者などを経て、さる有名作家のゴースト・ライターやデーター・マン(資料集め)、アンカー・マンをし、三十八歳の時に脳梗塞で倒れたのだ。

奇跡的に病状が回復した時、医者は「もし、五年以内に再発すれば今度はたぶん助からない」と宣告した。その時、残された時間は五年間だと痛切に感じたという。そして「人生は一回かぎり」という思いと「このままの状態でゴーストライターをしていても、浮かばれない」という思いが強く沸き上がってきた。

それから四年半、神渡さんは安岡正篤氏についての資料を必死で集め原稿を書いた。

「はたして無名の作家の本が世間に受け入れられるのだろうか」不安の中で出版した第一作目『安岡正篤の世界』が評判になり、ベストセラーとなった。

神渡さんの、今後のテーマは「地位もいらぬ、名誉もいらぬ、名もいらぬ」という信条を貫き通した江戸城無血開城の影の功労者『山岡鉄州』の生き方をまとめることだという。皆さん楽しみにしていて下さい。
(みやぎき 翠)


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この人の話

「慨悔の生活」とコベントリーの体験胸に

人生に大きな影響を受けた一冊の本があります。京都の一燈園の開祖、西田天香氏の「俄悔の生活」という本です。

天香さんは他人の家のトイレを掃除して下座の行をして歩かれた方です。その中に「人の家のトイレ掃除をした後、涙を流すほどに、ありがたい至福の世界があった」と書かれているのです。

僕は大学を中退した後、七年間ほど、海外で放浪生活をしたのですが、ちょうどそれに似たような経験をしたことがあります。

イギリス東部のコベントリーという町のパン屋で働いていた時のことです。そこに独り暮らしの老人が住んでいました。彼は一人の身寄りもなく訪ねてくれる友人もいない、さびしい境遇でした。だから、外国人の僕が彼の家を訪ねた時、とても喜んで迎え入れてくれたんです。

そしてお茶をご馳走してくれました。ある日、僕は彼に風呂場とトイレの掃除をさせてほしいと申しでました。彼の家のトイレはおそらく何年も掃除されていなかったのでしょうが、よごれが黄色くこびりついて、とても汚かったんです。

おまけに風呂場にはタバコの吸い殻が山のように溜まっていました。僕は何日も通い、何時間もかけて、トイレと風呂場をピカピカに磨き上げ『ありがとうございました』といってその家を出たんです。

そして夕暮れの路上の縁石に腰かけ、一人ポツンと夕陽を浴びていた時、何とも言えない平安な世界が心の中に広がり、心の底からありがたい、幸せだと感じたんです。

その時の状態が、今の僕の原点だと思います。

この心の平安な状態を忘れると人々はもっといい大学、もっといい会社、もっと早い出世をと、いつも何かに追い立てられる生活の中で自分自身を見失い、気がついた時にはボロボロになっていくのでしょう。

今、世間では大蔵省の官僚や一流の銀行マンが逮捕されて人々を騒がせていますが、あれこそは心の原点を忘れた人々の陥る先のように思えてなりません。戦後、人間の心を作る教育を怠った報いが現れた結果なのでしょうが、それとまったく正反対のものを、僕はコベントリーでの体験から学びました。


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神渡良平(作家)