NENEと出合ったネネ
歌手「ジュンとネネ」のネネさん



虚の世界に疲れ果て

ハワイ、マウイ島のカレッジに留学中の早苗さん(50歳)は、ある日、現地の人が太陽の家と呼んでいる聖なる山「ハレアカラ火山」の山頂付近で一羽のガチョウによく似た鳥と出会った。

あまり見栄えのしない背丈80センチほどのその鳥と目が会って一瞬見つめあったとたん、鳥はくるりと背を向けて消えてしまった。

なぜかそのことが心に残って下山後ビジターセンターに立ち寄った時、その鳥がハワイの州鳥で絶滅寸前の保護鳥「NENE」という名前だと知って愕然とした。実は早苗さんは1960年代後半から1970年にかけてアイドルタレントとして活躍した「じゅんとネネ」のネネさんなのだった。

12歳で芸能界入りして10年間、「愛するって怖い」などのヒット曲にめぐまれ、早苗さんはあっという間にスターダムにのしあがった。

「二十歳を過ぎた頃から、自分の内面のどこかで、これが本当の自分なのだろうか?という思いが頭をよぎりだしたのです。どこに行っても自分が人に知られていて、道ですれちがった人が『ネネちゃん元気?』と声をかけてくれる度に、私はその人が誰だったかな?と思って混乱しました。芸能界の激しい競争原理と「虚」の世界の中で身も心も疲れ果てていたのです」

そして相棒のじゅんさんと話し合った末「じゅんとネネ」を解散し、1972年22歳で単身ロンドンに渡った。(じゅんさんは幸せな結婚を選んだ)

以来、彼女は英国で出会って結婚したミュージシャンの夫と音楽関係の仕事をするときでも、頑なほどに「ネネ」の名前は使わなかった。

1974年、日本に帰国。その後3枚のアルバムを発表した時も周囲は「ネネ」の名前を使って売り出したいと提案したが、彼女は「英介と早苗」に固執した。

当然のようにアルバムは売れなかった。

「でも心は幸福感でいっぱいでした。いつしか私は自分の中に小さな子どもが目覚め、大人の自分が癒されていくのを感じていました」

しかしその反面生活は大変だった。高度経済成長が進む中、地上げされた土地にはどんどん高層ビルが立ち並びはじめた。その中で彼女はストレスに耐え切れず病院に通院するようになった。

「まるで自分が巨大な機械に組み込まれたようで、とても不安定な精神状態になっているのを感じました。母は私がもう一度芸能界で生きていくことを望んでいましたが、私はもう二度と虚像の世界に返りたくありませんでした」


ネネさんとハワイの州鳥NENEの出会い



その頃住んでいた自由が丘の実家の前の土地にマンションが建設されることなり、一本の大木がブルドーザーになぎ倒されようとしていた。

その場面を見た瞬間、彼女は人の目も気にせず飛び出してその木に抱きついて「お願いだからこの木を殺さないで!」と大声で叫び続けた。

「まるで自分の体がブルドーザーの爪で壊されていくような気がしたのです」

現場からの報告で、このことを知った設計士が計画を変更して図面を書き換え、その木の命は助かり今も青々と葉を繁らせている。

そんなことがあってしばらく後、彼女は夫を説得し東京を離れ、1987年八丈島に生活の場を移した。

「もう東京には住めないと感じました。ぎりぎりの決断だったのです」

島での生活は都会生れの彼女にとって始めてのことばかりだった。

「八丈島では私はいつも島の精霊たちと直結して暮していました」

彼女はようやく本来の自分を取り戻し、島の人たちと積極的に交流を持つようになった。そして八丈島が世界で一番美しい場所だと感じ始める。

その島の自然を守るために1989年大胆にも町長選挙に立候補した。結果は1224票、20%の支持率で落選。

「でも町民の5人に一人は私を指示してくれたのです。島の環境保護の大切さを訴えるチャンスを頂いたと思って後悔はしていません」

そんな彼女に大きな転機が訪れた、夫の英介君に恋人ができたのだった。

彼女はその頃、八丈島の定時制高校に再入学してアイドルだった頃にやむなく中断していた勉強をやり直していた。

大学の検定試験にも合格し, 1998年,彼女は22年間の結婚生活にピリオドを打ち単身ハワイのカレッジに留学した。

そして、そこで絶滅寸前のハワイの州鳥「ネネ」と出会った。

「そのとき、自分が近い将来もう一度「ネネ」という名前で歌を歌ってゆくことを決心したのです」

2001年,ネネさんは自分の半生を北九州市が主催する自分史文学賞に応募して佳作に入賞した。(「熟女少女」2002年2月・学研)

「私はこの鳥(NENE)に出会ってようやく自分の道を見つけました。そのためにハワイに来たような気がしています」

彼女は天性の声と天地に共鳴する強い感受性を持っている。今後は「歌鳥・早苗NENE」として万葉集や和歌に歌詞をつけてオリジナルな連歌を歌って女性たちの心の癒しとヒーリングの仕事にたずさわって生きていきたいと語ってくれた。

取材メモ

[ネネさんのことは二年ほど前から東京の津軽三味線の方から紹介されていたが、今回やっと関西(奈良)でライブをするので取材させてもらえることになった。その奈良のライブ会場というのが、私たちが沖縄の久高島に行くきっかけを作ってくれた友人の家だったので、不思議なご縁にびっくり!。

でもそのおかげで、私はネネさんと枕を並べて夜遅くまで話し込むほど打ち解けることができた。こんなに深く人間性に触れることができた取材は珍しい。

ネネさんは本当にナイーブなかわいい人だった。それに最近、日本の神さまに興味があるとのことで、ライブの次の日、奈良の「おおやまと神社」や「竜王山山頂の龍神さま」に一緒にお参りした。

ネネさんはすごく感性が鋭いので、感応した神社の前で心に浮かんだメロディーを歌いだした。おおやまと神社の摂社{たかおかみ・龍神様)の祠の前でネネさんがとてもいい声で歌を歌ったとき、きれいな光が写った。(後ろ向きの白い服がネネさん。横の二人は沖縄への鍵をくれた友人カップル)



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