口伝の「くぐつ舞」が現代に



「幻の筑紫舞」が蘇る

神戸在住の鈴鹿千代乃さんは国学院大学大学院の博士課程を修了し、神戸女子大学文学部国文科の助教授されている女性である。

鈴鹿先生が民族芸能の源流を研究中に、筑紫舞に出合ったのはおよそ二十年ほど前のこと。

昔から日本では「出雲の阿国」に代表されるように、古代から土地に縛られないさまざまな芸能の民が、能や歌舞伎、文楽などの伝統芸能を育んできたと言われている。

一般的には耳慣れない言葉だが、「傀儡師(くぐつし)」または「傀儡師(かいらいし)」と呼ばれる人々も、かつて日本に存在していた謎の芸能集団のひとつなのである。彼らは俗に言う「さすらい人」で、人形を操ったり、神社やお寺などの境内や聖域で(時には天皇の御座所でも)舞いながら自由に諸国をさまよい、暮らしを立てていた。

塊儲(くぐつ)たちの集団は、日本が近代化し始めた頃からいつのまにか姿を消してしまうのだが、その伝統芸能は一子相伝の口伝えでひそかに伝えられていた。

昭和の初期、当時神戸に住んでいた山本光子さん(現河西光子、筑紫舞の唯一人の伝承者)が十一歳の時に九州から来た盲目の天才箏曲家、菊邑検校から不思謎な縁で受け継いだといわれている「筑紫舞」は口伝で今日まで伝承されてきた謎の神事芸能なのである。

研究熱心な鈴鹿先生はさっそく河西光子さんに教えを乞い、ゼミの教え子たちと一緒にその筑紫舞を習得した。

「紙に書かず、一切文字に残さず、すべてを口伝で伝えてゆくというのが筑紫舞の鉄則なので、そのルーツは謎に包ま郡ています。傀儡たち自身が、自分たちはあくまで影の存在であって、闇の部分を受け持っているという非常に高い自覚と見識を持っていたと私は考えているのです」

確かに筑紫舞を見ていると普通の日本舞踊とは違って、神社で見かける舞楽舞や神楽舞に近い神聖な印象を受ける。

「筑紫舞は神への捧げものです」「自分のミソギをしているような気がします」「昨年、インドのサイババの前で舞を奉納した時、お礼にサリーを直接手渡してもらい感激しました」と生徒さんたちは話す。

今では、関西だけでなく、東京、名古屋、金沢からも男女合わせて三十人ほどの人たちが筑紫舞の勉強会に参加し、鈴鹿先生の指導の下、幻の傀儡舞の継承に励んでいる。

2000年4月1日


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鈴鹿千代乃