「日出づる国」で太陽を追う男



富士山の一枚が転機 東西西走 写した写真は数千枚

大阪府枚方市在住の上田久仁生さん(34)は写真好きのお父さんに連れられて小さい頃からカメラを手に野山を歩き回っていた。

彼は千葉大工学部の画像工学科を卒業後、プロとして独望を指しながらスポーツや舞台、イベントなどの撮影の仕事に従事した。

在学中から草花や早朝の風景などを好んで写していた彼が本格的な太陽の写真に熱中するようになったのは五年ほど前。富士山で撮った一枚の劇的な日の出の写真がきっかけだという。高山病でフラフラしていた彼は、雲海の中から昇ってくる太陽を見た瞬間、何かにとりつかれたように夢中でシャッターを切った。

「あんな美しい太陽の色を写真に撮れるなんて思ってもいませんでした」

以来、刻々と微妙に変化してゆく太陽の光のドラマをカメラに収めようと、仕事の合間をみては日本列島を太陽を追って東奔西走した。こうして撮影した太陽の写真は数千枚にのぼる。

彼には今でも忘れられない日の出の情景がある。

伊勢の二見ケ浦の夫婦岩の聞から気象条件さえ良ければ、はるか遠くに富士山を見ることができる。夏至の日には富士の真後ろから太陽が昇るのだそうだ。ただし梅雨の時期でもあるので、その一大イベントが必ず見れるとは限らない。

この年に一度あるかないかの決定的瞬間を狙って大勢のカメラマンや見物人が夫婦岩に押し寄せ現場は通勤電車並みの大混雑となる。

「三年前の夏至の日。僕は混雑を避けて少し離れた海岸に三脚を立て、一人で静かに日の出を待ちました。ラッキーなことに大きな台風が通過した直後だったので大気が澄んで空がきれいに晴れ、日が昇る前から富士山が見え始めたんです。肉眼で見れば小指の先ほどのピラミッド型のシルエットが、夜明け前の海面にかすかに浮かび上がってきた時は感動しました」

まもなくその富士と同じくらいの大きさの太陽が顔を出した時、彼は祈りにも似た気持ちでシャッターを押したという。

「あの時のことは本当に忘れられません。地球環境問題なんてなかった頃は、毎日伊勢から富士山と太陽が拝めたんでしょうね」

古代の人は、そのことを知っていて、この地に伊勢神宮を建てたのかも知れない? そういえば聖徳太子も中国に送る手紙の冒頭に日本のことを「日出づる国」と表現した。どうやら日本人は苦からよほど日の出が好きな国民性らしい。彼もその代表的日本人の一人なのだろう。

彼は奥さんと昨年生まれた子どもとともに、次なる目標「太陽の写真集」の出版に向けて、今日も太陽を追いかけている。

2000年3月1日


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上田久仁夫