神の波動を感じて生きるF
廣田幸恵/月間波動 2003/6月号
文・構成 宮崎みどり


「からだ」と「こころ」を空っぽにして
神々にゆだねて踊る

「スカラ・ニスカラ」見える世界と見えない世界
金色に輝く美しい衣装のバリ舞踊は、きらびやかな宮廷舞踊として世界中に知られている。近年では、観光客目当てにレストランなどさまざまなステージで舞われるようになった。

そのような中でも、バリのいくつかの村では、初潮前の少女たちが神がかりになって踊る神聖な儀式が今もなお寺院で奉納されているのである。

廣田幸恵さんはバリの王家のひとつプリアタン村のマンダラ家に十年以上も住み着いて、見えない世界と交流しながら踊る神秘的なバリ舞踊を習得した舞踊家である。

心と体のバランスをとる
バリ人は独自の宗教観を持っているということですが?
バリの人々は昔から母性原理が強く「何もかも受け入れて慈しむ」という資質を持っています。ですから、古代から伝わっていた伝統的なバリの宗教の中にヒンズー教や仏教、イスラム教、キリスト教などの思想が持ち込まれて、ごく自然に混ざり合ってバリ島特有のバリヒンズー教が生まれたのではないでしょうか。

バリのヒンズー教は日本の古神道に似ていると言われていますが、山や川や木などを神として敬う自然信仰の形態は昔の日本にそっくりです。

バリは精霊と魔物の世界が共存している島だと言われています。しかし、神も魔物も同じように受け入れ、正も邪も平等に敬ってお供え物を捧げるというのがバリ人特有の宗教観だと言えるでしょうね。

廣田さんとバリ舞踊との出会いを教えてください
小さい子どもは誰でもみんなそうだと思うんですが、いつも夢を見ているというか、現実の世界と空想の世界を行ったり来たりしながら大きくなっているのではないでしょうか。

私は小さい頃から風とか木とかに過敏に反応して、いつも彼らとお話しながら一人で踊るのが大好きでした。でも小学校に入学した頃に、いろいろ感じていたのでは学校ではやっていけない。ちゃんと学校に行ける子にならなくちゃダメなのだと思って、自分でそちらの世界の感覚を閉じました。

でも思春期の頃、本当の自分が閉じ込められているような感覚がして、ストレスが溜まり始めたのです。そして19歳の時に突然、自分の手足と体が繋がっていないと感じて苦しくなりました。それを克服するためには踊るしかないと直感的に思ったのです。

たまたま近くにインドネシア舞踊の教室があったので見学に行き、すぐにその日に入門しました。その先生がバリ舞踊も教えていたのです。

教室でバリ舞踊の演奏に使用されるガムランの音楽を初めて聴いたとき、魂の深いところまで滲み込んで、体のどこかがパカッ! っと開いたような不思議な感覚とともに手足と体が繋がったような気がしたのです。それ以来、すっかりバリ舞踊の虜になりました。(笑)

踊りの神様との通路を開く
バリに移り住むきっかけは何でしょうか
ある日、教室で踊っていたとき、自分の体の感覚が無くなったというか、意識が飛んでしまったことがありました。

私はその時のことをまったく覚えていなかったので、踊りが終わってから周りの人に聞いたら「皆と一緒にちゃんと踊っていたよ」と言われたのです。

体の重力を全く感じないその感覚は、私が子どもの頃に風や木と踊っていたとき感じていたものと同じでした。その体験がとても強烈で忘れられなくて、一度でいいからバリに行ってみたいと思ったのです

バリでは王族の家に住んでいたとのことですが
バリにはインドほど厳しくはないのですが、カースト制(階級制度)が残っています。

マンダラ家はプリアタン村の「北の王宮」と呼ばれているバリの古い宮家の一つで5〜6家族が広い敷地の中で暮らしています。

長老の故マンダラ氏は1927 年にグヌン・サリ楽団を結成し、バリ舞踊を初めてヨーロッパに紹介した人で、世界的にも有名なカリスマ的音楽家です。

私はマンダラ氏の長男バワさんに実の娘のように可愛がられ、その王宮の中の一部屋に居候させて頂いていました。

現地で踊りを習いはじめた頃に「ユキエは踊りを習うために、ちゃんと良い日を選んでお供え物を作って、踊りの神さまのお寺にあいさつに行ったのか? バリ人であろうとなかろうと、ちゃんと神さまの許可をもらってから始めなくてはいけないよ」とやさしく教えられました。

それまでは、外国人である私がバリのお寺に入ってはいけないのではないかと思って遠慮していたのですが、バリのお父さんとも言える彼の教えを聞いて始めて垣根がはずれました。

そこでさっそく踊りの神さまにご挨拶するのに一番良い日を選んでもらって、ヤシの葉とお花でお供え物を作ってお参りに行きました。

バリ舞踊は神がかり状態になって
踊ることがあると聞くのですが、
何か神秘的な体験をされましたか

そうですね、踊っている時に、まるで波が寄せたり引いたりするように体と空気の波動がぴたっと合うというか、外と内との境界線が無くなるような感覚を感じる時があります。

そんな時には目の前に光が回りだしてキラキラと輝いて光に包まれている感じです。

踊り子に神が降りると目がぼっ〜と恍惚状態になって視点がわからなくなり、現実を捉えていないというのが誰にでも分かります。そうなったときには何も考えてはいけないと教えられました。

踊っている最中に何かを考えたり頭を使うと、とたんに現実に引き戻されてしまいます。見えない何かに自分をゆだねると体が勝手に動き出します。

バリでは三日に一度は真夜中にお寺に行って座りました。真っ暗な中で黙って静かに座っていると体が自然に動き出すのですよ。

十年以上もバリで暮らした廣田さんが、
日本に帰国されたのはなぜですか?

私はバリの土地そのものに恋をしていたので、1993年にバリに入ったときには、日本の持ち物を全部処分して骨をうずめる覚悟をして出かけました。

でも、あるとき何かが私の中でストン! と抜け落ちたのです。

バリでは余りにも社会とかけ離れて、ひたすら「見えない世界」との交流につとめていましたが、日本に帰って、いまある社会「見える世界」ときちんと関係をもちながらもう一度やってみようと思ったのです。

いまこうして日本にいても、バリはいつも私の周りにいてくれます。マンダラ家のお父さんも彼の話をするとすぐに風に乗ってやってきてくれるのがわかりますよ。

バリでもらったたくさんのもの、特に「からだ」と「こころ」を気持ちよく動かしてバランスをとる方法をこれから人々に伝えてゆきたいと考えています。

バリ語で「スカラ・ニスカラ」という言葉があります。「見える世界と見えない世界」という意味なのですが、日本の波動の高い野外のオープンスペースなどで「スカラ・ニスカラ」のワークショップを開いて、踊りながら気持ちよいエネルギーを自然界にふりまいていきたいですね。

それから、7月25日の琵琶湖・竹生島の「水への愛と感謝のプロジェクト」にはぜひ参加したいと思っています。よろしくお願いいたします。

プロフィール
神戸生まれ。1983年よりバリ舞踊を始める。1985年〜2001年まで前後十年以上に渡り、バリ島プリアタン村マンダラ王家に滞在、バリ舞踊を習得。グヌンサリ楽団とともにヒンズー寺院の祭礼で踊る。2001年4月帰国、東京在住。


もどる