神の波動を感じて生きるJ
14世ダライ・ラマ法王/月間波動 2004/1月号 
文・構成 宮崎みどり 


「大地のような深い智恵を持つ聖人」

チベットはヒマラヤ山脈の北側、インドと中国の間にあり、平均高度四千メートル以上のまさに「世界の屋根」ともいうべき場所に国がある。

『ダライ・ラマ』とはモンゴル語で「大地のような深い智恵を持つ聖人」という意味。チベット仏教の最高責任者であるダライ・ラマは観音菩薩の化身としてあがめられ、14世ダライ・ラマ法王は、4歳の時から首都ラサのボタラ宮殿で暮らしていた。

しかし、平穏な生活は長くは続かなかった。1949年、隣接する中国で共産党による革命が成功し、いきおいに乗った中国軍は武力によってチベットへ侵攻してきた。そして「チベットは中国の一部である」との一方的な宣言によってチベット国内は内戦に巻き込まれたのである。

当時若干15歳だった14世ダライ・ラマ法王は政治上の全権を帯びて国家指導者の地位についた。以来、十年間に渡る懸命の和平交渉にもかかわらず、圧倒的軍事力を誇る中国側の強行姿勢の前に屈してしまった。

1959年、ついに法王の身を案じたラサ市民以下八万人のチベット人たちは、断腸の思いで愛する祖国を後にすることを決意した。そして法王は少数の側近たちと共に、厳寒のヒマラヤを越えて国外逃亡へと追い込まれた。

インドに逃れた法王たちは、故ネール首相の好意により、1960年インド北部のダラムサラに亡命政権を樹立した。しかし、法王は、チベット仏教の教えを固く守り、一貫して『愛と非暴力』の立場を取り続けている。

こうした14世ダライ・ラマ法王の姿勢は、国際社会からも非常に高く評価され、1989年にはノーベル平和賞を受賞した。

「14世ダライ・ラマ法王(来日記念講演より)
2003年11月2日、東京・両国国技館にて


最初にダライ・ラマ法王にお会いしたのは1995年の初来日の時でした。ちょうど地下鉄サリン事件の直後だったこともあって、法王の来日はごく少数の人々にのみ知らされ、講演会場も宿舎となった東京都内の某ホテル内でだけという厳戒態勢の下でした。その時、法王の歓迎レセプションに出席した来場者全員、一人ひとりに法王が直接握手してくださったのです。私は思いがけず法王の気さくで温かいお人柄に間近に触れることができて感激したものでした。

今回の法王の来日は三度目で、10月31日〜11月11日まで滞在され、伊勢神宮参拝や奈良の東大寺、興福寺を回り、、その後、金沢にも足を伸ばすとのことですので、少しはゆとりを持って日本の秋を楽しまれたのではないでしょうか。

11月1日は東京の両国国技館で、4500人の若者を対象にした抽選制の無料講演があり、2日には午前と午後に分かれて一般人を対象とした講演が開催されました。国技館の前には早朝から大勢の人が整然と列を作って開場を待っていました。

ダライ・ラマ法王の数奇な生涯はハリウッドの有名俳優ブラッド・ピッドが出演した「セブンイヤーズ・イン・チベット」の映画の中でも紹介されています。また、日本では龍村仁監督の映画ガイア・シンフォニー二番に法王ご自身が出演され、若い人たちのファンが激増しました。

会場ではその屈託のないお人柄を目の当たりに見て、親しみやすく判り易い法話を直接聴講したいという人々の熱気が伝わってくるようでした。

なお、午後からは宇宙から飛来するニュートリノの観測に史上初めて成功し、2002年ノーベル物理学賞を受賞した東京大学名誉教授、小柴昌俊博士とヒト・レニンの遺伝子解読を世界に先駆けて成功した「生命の暗号の」著者、筑波大学名誉教授、村上和雄先生、お二人の科学者とダライ・ラマ法王の三者対談が「科学と宗教の対話」と題して行われました。司会進行はガイア・シンフォニーの映画監督・龍村仁氏でした。

今回は、2日午前中のダライ・ラマ法王の講和内容から抜粋してご紹介させて頂きます。

「心を訓練する仏陀の教え」

仏陀の教えの真髄

仏教は今、さまざまな教派と教義に分かれていますが、その教えの真髄は「慈悲の心」であるといえます。

私たちの心の本質はけがれのない光に包まれています。しかし、その後成長するに付随して起こってくる執着や怒りなどの煩悩によって、心が囚われ、かき乱されてしまい光が曇ってくるのです。

すべてのものは「原因と結果」によってこの世に生じます。この世の生きもの達の抱えている苦しみを無くしてやるためには、その苦しみの原因を根幹から取り除くことによってしか取り払うことができません。

命あるものはすべて幸せをのぞんでいます。

「幸せ」や「苦しみ」は自分自身の「行為」「言葉」「心」による三つの行い(動機)によって生じてきます。

私たちの望んでいない苦しみがなぜ起こるのか? といえば、すべては自分の煩悩によって起こってくるのです。自分自身の間違った心のアプローチの仕方によって、心がかき乱されてしまうのです。

苦しみから解放される道
大いなる慈悲の心を持って幸せになるためには、苦しみの原因となる悪い行いをしないことが最も大切です。

「苦しみが無くなりますように」という願いや祈りだけではその苦しみは取り除けません。苦しみの原因がどこにあるかを見出し、その原因を取り除いて始めて、苦しみは無くなります。

苦しみには三段階あります。
第一には、痛みや苦痛などの体の感覚のレベルの苦しみ。
第二には、心の中におこる怒りなどの感情としての苦しみ。
第三には、幸せですら苦しみに変わるという遍在する苦しみです。

これらの三つの煩悩のすべてを取り除いて始めて、すべての苦しみから解放され、悟りの境地に至ることができるといえます。

苦しみの死滅に至れば、すべての原因が消えた「空」の状態になることも可能なのです。そのためには対象物を正しく捕らえる心を育まなくてなりません。

この世に存在しているすべてのもののありようを正しく理解して始めて「空」の教えを理解することができるといえるでしょう。

二つの相容れないものは同時に存在することができないので、私たちは正しい見解を持てば持つほど、その反対の「悪」の心は消滅してゆくのです。

解脱の境地
解脱とはすべての煩悩をなくすことによって得られる境地のことです。

私たちは「愛」の心を育むことによって、目の前の煩悩を取り除くことができます。愛を心に抱いてさえいれば、怒りの心はどんどん消えていきます。反対に怒りの心を育んでゆくと、どんどん煩悩に囚われて苦しみに心がかき乱されるのです。

悟りの心に至るためには自分の中にある慈悲の心、愛を育むことが大切です。私たちは心を乱している原因を「智」によって無くさなければならないのです。

ところで、私たちはなぜ心がかき乱されるのでしょう? それは自分自身の無知が原因であるといえます。日頃から正しい見解に心をなじませるという修行を積むことが大切です。もし、私たちが智によって煩悩を無くすことができさえすれば、解脱に至ることができるでしょう。

心の中に正しい智恵を育んで行かなければ、心のケガレをなくし解脱に至ることはできないのです。

苦の死滅に至る実践方法

私たちの本質は光り輝くケガレのないものなのですが、煩悩によっていつも苦しみから逃れることができません。それらの苦しみから逃れるための実践方法として、方便(心の浄化の修行)と智恵(深遠なる空の教え)が必要となります。

そのための実践として、まず功徳を積むことが第一です。いつも自分自身のことを考えるのではなく、世間の人々のことを第一番に考えて行動することが重要なのです。

菩提心を育み、仏陀に帰依し、より広大な功徳を積むことです。

誰でも方便と知恵の修行を積むことによって仏陀の境地に至ることができます。単に僧衣を纏っているからといって、それだけで仏法に帰依しているとはいえません。

他に依存して存在している限り、そのものは自分で存在しているものではないのです。誰でも自分の力で存在しているもののみが、この世に存在している正しい存在であるといえるのです。

四つの間違った考え
1) きたないものを美しいと思う心。
私たちは執着を無くす修行さえ積めば、本当の美しいものを見ることができます。

2) 無常を永遠と思う心。
この世のすべては一瞬一瞬移り変わっています。生じたものはすべて滅するということに気づけば、慈悲の心が芽生えます。

3) すべてのものは苦しみの本質を持っていると思う心。
愛と慈悲の心に満たされてさえいれば、すべてのものの本質は光に満ち幸せにあふれていると気づくはずです。

4) 無我を我(実体がある)と思う心。
この世のすべての現象は幻のごときものであることを知って、執着から離れることが大切です。

この世の輪廻からの解脱を得たいと願う時に、この四つの間違いに気づいて、慈悲の心を起こすことができれば苦しみから解放されることができるでしょう。



プロフィール
14世ダライ・ラマ法王
1935年7月6日生まれ。
チベットでは歴代ダライ・ラマはその転生者と認められた者が即位する慣わしになっている。先代13世ダライ・ラマが亡くなった時、チベット国内にさまざまな天変地異が表れた。チベットの高僧たちはその兆候を読み取り、チベット東北部にあるアムド地方の小さな村に生まれた一人の赤ん坊を見出した。その子は、高僧たちが目の前に並べた品物の中から、まぎれもなく13世の遺品だけを的確に手に取った。こうしてこの貧しい農家の子どもがダライ・ラマの転生者として正式に14世と認められたのは二歳のときである。
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