沖縄久高島
 
 久高島全景 創世神が降りたカーベル岬 
沖縄県南部、知念村のセーファーウタキ(斎場御嶽)はその昔、琉球王朝最高の聖地だった。そのセーファーウタキから真東へ約6キロの海上に沖縄の人々から「神の島」と呼ばれている久高島がある。

隆起さんご礁でできた島の周囲は約8キロ、徒歩で二時間半もあれば1周できる小さな島である。山も川もないペタンとした細長い楕円形の平たい島で、大型台風のときには高波が島を超えていくこともある。

久高島には、琉球の島々の創成神・アマミキョ(女神)とシネリキョ(男神)の兄妹が海の彼方のニライカナイから島の北端、カーベル岬に天降り、島の中央にあるクボーの森(聖地)を作り、やがて対岸のセーファーウタキに渡り、その後首里まで登って王朝を開いたという開闢神話が伝えられている。

  
イザイホーの主祭場。久高殿  クボー御嶽 
 祖先を大切にする琉球では、先祖の魂と出会う祭り、清明祭(シーミー祭、旧暦3月3日)には国王みずから島に渡って墓参りをしていた。

しかし本土と久高島の間の海流が速く、波がとても荒いため船が幾度も難破した。そのため本土側にある斎場御嶽の三角岩(サングーイ)から久高島を拝む(国王拝礼)が行われるようになった。

久高島にはその開闢神話の神々たちの魂(霊)を受け継ぐ神女(ノロ)と呼ばれる女性たちがいて、島の祭祀を取り仕切っている。他にも、それぞれの家の先祖の神霊を継承する女性たちの神女の集団が厳しい戒律の下に整然と組織され、大昔から島人の暮らしを守ってきた。島には一年に30以上もの祭祀があり、その祭りの中で村人たちに創世の神話が繰り返し語られてきた。

その中でも一番有名な祭りが12年に一度の午年、旧暦11月15日の満月の日から5日間にわたって催される「イザイホー」だ。イザイホーはナンチュー(成女)に選ばれた島の主婦たちが、タマガエー(魂替え)して神女になるという「主婦が神になる祭り」なのだ。イザイホーに参加してナンチューになるには、久高島に生まれ育った30歳~42歳の女性でなくてはならない。

この条件は戦前まではもっと厳しく、島から一歩も外に出たことがなく、両親も夫も久高島生まれの女性でなければナンチューとなって神霊を受け継ぐことは許されなかった。神女となった女たちは厳しい掟を固く守って島を守り、家や男たちを守護し続けてきたのである。

古代から久高島では魂は不滅であると信じられてきた。人は死ぬと東の果て、太陽の出ずる二ライカナイに行き、そこで神となって再び島に帰ってくると考えられていた。先祖の神々の魂は島のウタキにも鎮まっていて、いつも村人達を守っている。

その「神」の概念は父親でなく母親や祖母の霊統を指し、イザイホーでは孫娘が祖母の神霊を継承するとされていた。このように久高島には女性神職者である神女(ノロ)を中心とした原始母系社会の頃の古い祭祀形態が島人たちの暮らしの中に色濃く残り、聖地であるクボー御嶽には今でも男性が入ることは固く禁止されている。
  
 イシキ浜で漁をするノロ 
 いまも昔も、子どもにとって守護神としての母親の存在は絶大であり、愛(神)そのものだ。日々の生活の中心は母親であり、父親の存在は影が薄い。しかも縄文時代、完全に自給自足が成り立っていた久高島では、食べ物を得るために力を必要としないため、男性の役割は最小限のものに留まっていた。

母親の偉大なパワーに超自然のシャーマニックな神霊の力が備われば、人々は最も霊力の強い女性を最高神女「生き神」として敬い崇め、その女性を中心に原始母系社会が成立するのは自然の成り行きだった。

こうして古代の久高島の人々の生活はノロを通してつねに神々と交信しながら生活を営む平穏な暮らしが長く続いた。

久高島は戦前までは定期船も通わない完全に自立した離島だった。島の東側に広がるさんご礁の浅瀬には、潮が引くと豊富な魚類や貝類が毎日手づかみでふんだんに採れた。

人々は、島に自生する野生の薬草や果実などを食べて人々や自然と共存して平和に暮してきた。今でも久高島のわずかな畑地は個人の所有物ではなく、島全体の共有地とされる「地割制度」が生きている。

やがて時代が下り、沖縄本島が統一されて琉球王朝が起こった。

社会の仕組みが貨幣経済に変わり、久高島の男たちの力も増大した。男たちは漁師(海人・うみんちゅ)となって魚を取るために危険な外洋に繰り出し、生活の担い手となってからも、久高島の神女たちは先祖の霊と一体となって漁に出る男たちを守護した。

そして霊力の強い神女(生き神)が、ことあるごとに神がかりして神霊のご宣託を伺い、琉球王朝の繁栄と共に久高島の神女の霊力は王府から一目おかれ、ますます重要視されるようになった。
 
 首里城(世界遺産) 進貢船(復元) 
 実際、琉球王朝時代、久高島の漁師たちが船頭として乗りこんだ中国への進貢船は一隻も沈まなかったという。それは島の神女たちが高い霊力で夫たちを固く守護しているからだと信じられてきた。

また琉球王朝の宮殿内に百人以上いたという神女や巫女たちを束ね、王府の祭祀の最高責任を担う聞得大君(きこえおおきみ)は始めは久高島のノロの中からもっとも霊力の高い女性が選出されていた。

その後、王の妹または妻が聞得大君に就任するようになった後も、セーファーウタキの拝所で久高島の神女(ノロ)が、新しい聞得大君に霊力を授けて認証しなければ、その地位につくことができなかった。久高島の祭祀は儒教や仏教の影響をほとんど受けずに、女性主体の祭祀の形を21世紀の今日まで純粋に守り通してきた。

しかし、戦後の急速な都市化のために島の人口は激減し、神女の誕生儀礼であるイザイホーが存亡の危機に瀕している。12年前(1990年)にはついに神女となるべきナンチューの該当者が一人もいないためイザイホーは中止となってしまった。そして今年2002年(午年)はそのイザイホーの年にあたるのだが……。
  
久高島の民家  港の上の整備された公園 
 久高島には(2002年4月10日から)フェリーが就航し、港は整備されて公園ができ、洒落たセンターやログハウスの食事処も建設された。島の中央部にあったアダンやクバの森はバッサリ開墾され、広大な牛の放牧場が建設され始めている。

戦後、男たちは漁師を止めて陸に上がり、就職口を求めて島から流出した。女たちも島の外で働き始めた。島の女性たちも高齢化し、神々の魂を継承する神女の人数も数えるほどになった。

行く先を無くした神々の魂は流浪しながらあちこちをさまよい、霊を継承してくれる人々を久高島に呼び寄せ始めているのかもしれない。新しいイザイホーの誕生をニライカナイの神々は待ち望んでいることだろう。

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