ダムに沈む龍神様のひみつ(火・水・土)の鎮魂祭
いま一つの聖地が失われようとしている
奈良県吉野川の最上流にある丹生川上神社上社旧社地。西日本唯一のストーンサークルが発掘され、縄文時代の聖地があったとされる所だ。また神武東征の折り、大和制定の重要な神事「はに土神事」を行った場所ではないかとささやかれている聖地でもある。

この歴史的にも重要な場所がいよいよ今秋、大滝ダムの完成にともない水没する。山の中腹では村の人々が川上村の龍神のシンボルとして製作した銀色の巨大な龍のモニュメントが、新しいダムを見守るように光り輝いていた。水が満杯になるとここまで水没し龍が見え隠れするらしい。
 2002年8月25日。私たちはこの聖地が失われる直前に、最後のお別れをするため仲間と共に鎮魂の祭を開催した。

最初にあいさつする発起人代表の龍村仁さん。真中の白い服は実行委員長の美内すずえさん。この春龍村監督に、ご神木の中から出てきた霊石のことを始めて聞いて上社の龍神祭(3月15日)に参拝し、舞を奉納した時には、まさかこんな大きな渦が沸き起こるとは思ってもいなかった。
 
 この日、一部では日本全国の聖地の聖水を川上神社の龍神様に奉納する「聖水神事」が行われた。

呼びかけに答えて各地の聖地や霊地から300以上の水が送られてきた。また海外の聖地、カイラス山やルルドの聖水も届いた。丹生川上神社上社の平田宮司が炎天下の元で、一つひとつ奉納された聖水の地名と奉納者の名前を読み上げて龍神様に報告した。

この聖水神事は名前を読み上げるだけで佑に30分以上はかかっただろうか…。その間とぎれることなく奉納された水の地名を朗々と読み続けた宮司さんの誠意には頭がさがる思いがした。
 
 当日は気温35度を越す猛暑だった。空は青く晴れ渡り、木陰一つない会場に鎮魂のために詰め掛けてくださった方々は約250人。会場準備のために前日から泊り込んでいたスタッフや村の人々を含めると300人以上の人が集まったことになる。

会場中央に設営されたヒモロギ(祭壇)の左右には真紅の旗が掲げられ、背景の岩くらと緑の山々に美しく映えてとても印象的だった。

この旗は「バンセイバン」と言われて、天皇の即位式に両サイドに建てられる旗だそうだ。旗には万歳の文字が書かれていた。これが後に万歳(バンザイ)の語源になったとのことだ。
 
 また、二部では「はに土」神事も行われた。この日のために「天のひらか」や「いつへ」「あまのたくじり」が復元された。土器に使用された赤はに、白はには神武の古事に習って天の香久山で特別に採取した土で製作された。

これらの古代土器による「はに土神事」については文献にものっていない為、実際にはどのような神事だったのかは誰にもわからない。

しかし「国かたぶくおりには必ずこの神事(はに土神事)を行え」と言い残した神武天皇にも私たちの思いは届いたに違いない。
 
 すっかり日が落ちてから「火の神事」が行われた。

日本と地球の甦生を祈ってヘンプカープロジェクト(麻のオイルで車を走らせ大麻産業の有用性をアピールして歩いたイベント)に同行していた「広島の平和の火」が8月23日に日本縦断の旅(北海道~九州幣立神宮)を終え、はるばるこの会場に届けられた。

火のプレゼンターは被爆して家族全員を一瞬にして亡くされた私たちの友人、広島の川野さんだ。平和の火は来場者一人ひとりに分灯され、場内に設営されたキャンドルに祈りと共に次々と点火されていった。写真中央上部に大きな「たまゆら」が写っているのが見えるだろうか? きっと数千年前にこの地で暮らしていた縄文の人たちからのプレゼントに違いないと思っている。
 
 午後二時から十時前まで、多くの人に見守られて名残を惜しまれた丹生川上の龍神様(タカオカミ)も、この聖地がダムに沈むことを納得してくださったことだろう。

各地から集められた聖水は光の中で皆の手によって会場内に撒かれ、次の日の朝、スタッフによって吉野川に流された。こうして火と水と土(ひみつ)の神事が無事に終わりました。みなさん本当にありがとう!

私が自分のホームページに書いた記事「ダムに沈む丹生川上神社」のコラムをコピーして古代史研究会の仲間に初めて手渡した日(3月23日)、会場の大阪コスモタワー45階の会議室の窓の外にまん丸の二重の虹が出た。虹は本来、円形で高い山の上からなどでは時々全円の虹が出るという話は聞いていたが、都会の中で、しかもビルのガラス張りの部屋の目の前にその全円の虹が出るなんて! 

仲間のみんなとしばしコーフンして話を止めて写真を撮った。虹は龍の化身でもあり、ちょうど上社の龍神様の話を美内さんたちと話していた最中の出来事だったので、私は内心、不思議なものを感じていた。それから古代史研究会が開かれる度に、雷が鳴ったり霰が降ったり、これはただ事ではないと思っていたら、その後仲間の何人かが跡地を訪れ、その中の一人から鎮魂祭の話が持ち上がった。

私たちはさっそく美内すずえさんを中心にして団結した。そしてまず、丹生川上神社が水没することに心を痛めて一番初めにインターネットで呼びかけていた長屋和哉さんと、川上村とのご縁が深い龍村監督のお二人の賛同を得た。こうして話はどんどん進んでいった。無償の奉納者もびっくりするような高名な方々が次々名乗りをあげてくださった。

何より1番大変だったのは、上社の跡地が現在は国の管轄地であり、ダム予定地のため立ち入り禁止の危険地区に指定されていることだった。そのため国の許可申請が難航した。しかし、私たちの背後に龍神様の大いなる意思を感じずにはいられないような不思議なシンクロが次々と起こり、25日の五日前になってようやく国交省の正式許可が降りた。

これは奇跡に近い出来事だ! 本来、公共の場(国の土地)での宗教行為は一切禁止されている。だから今回のことは単なる音楽イベントととして認可されたわけだ。まさに神技?としかいいようのない「かわかみまつり」だったのだ。

そしてダムに沈む龍神様の鎮魂祭は盛大に行われた。歌や能や舞踊を奉納してくださった一人ひとりの祈りの心と聖水を各地から送ってくださった人々、当日わざわざ駆けつけてきてくださったみなさん。すばらしい音楽を奏でてくださったミュージシャン。上社の平田宮司さん、村や役場の人々。それぞれがそれぞれの思いを込めて、ダムに沈む龍神様に最後にお別れのあいさつと感謝の祈りを捧げることができたと思う。

前日から草刈をして会場準備をしてくれたみなさん、あくる日、炎天下の中で汗だくになって後かたづけをした実行委員やスタッフのみなさん本当にありがとう! それから背後でものすごいパワーを下さった龍神様! 貴方の偉大なパワーには脱帽でぇ~す。

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