平成14年7月 選句結果

得点 雑詠 作者 戴いた人
4 刈られゆく草いっせいに息を吐き 果林 ウクレレ みずき 手毬 陽炎
4 嬰児の無垢な裸を抱く安堵 洋司 おさむ 果林 久須夜 夕花
3 妻の愚痴こころは遠く釣忍 まさき 暖流 静歩 洋子
3 丸刈りのつむじ一気に麦茶干す 手毬 まさき 志尾里 夕花
3 家ごとの朝顔自慢路地暮し 夕花 ウクレレ 洋司 洋子
2 当直を終え籐椅子の人となる 洋城 みずき 夕花
2 新宿の群れの途切れに浴衣の娘 洋司 まさき 244
2 オフ会で笑顔がいっぱい夏の月 久須夜 おさむ 洋司
2 皮脱ぎて竹真っ直ぐに天をさし 静歩 陽炎 洋城
2 夕凪や淋しくわらうひととゐて 暖流 果林 静歩
1 夕べややぼうたんの香の増してをり 果林 あきこ
1 魚売る声湿り聴く梅雨入りかな 洋子 あきこ
1 眼裏にシャッターを押す夏の冨士 あきこ 志尾里
1 街中に稽古囃子や夏来る 久須夜 ハシケン
1 ハンモック揺れ木漏れ日の縞歪む 暖流 久須夜
1 風作り南部風鈴地下で売る 静歩 244
1 適齢期片目をつぶり青林檎 夕花 ハシケン
1 関守の跡の木漏れ日夏兆す みずき 洋城
1 遠来のなまり嬉しや鱧料理 ハシケン 暖流
1 やはらかき水を切りゆく目高かな 陽炎 手毬
得点 兼題 「浴衣」 作者 戴いた人
3 藍浴衣昭和の風をなつかしむ あきこ みずき 手毬 洋子
2 浴衣着た姉が遠くの人に見え 夕花 まさき ハシケン
2 母の手になりし浴衣を裁ち切れず 洋城 果林 暖流
2 アルバムの父は浴衣で若きまま 果林 陽炎 あきこ
2 浴衣着てどちらともなく手を繋ぐ みずき 洋城 洋司
2 加茂川の風にはだけし宿浴衣 暖流 久須夜 静歩
2 過ぎし日の浴衣の藍や色褪せず 陽炎 おさむ 志尾里
1 縁日にゆかた着走るガキ大将 志尾里 244
1 藍浴衣少女の立ち居大人びて 手毬 ウクレレ
私の選んだ一句
刈られゆく草いっせいに息を吐き 果林 俳句について全くの素人の私です。この句からは雑草にも「命」があると言う事実と、草を刈る「情景」を思い浮かべることが出来ました。さらに「息を吐く」で、草刈の時の、あの独特な「香り・匂い」をも感じさせてくれました(ウクレレ)。
刈り上げていく端から臭う草いきれの表現の面白さでしょうか(みずき)。
過ぎし日の浴衣の藍や色褪せず 陽炎 浴衣は藍と決まっていた。 そんな郷愁の中に青春が蘇る。 今はアニメあり ベッカム風ありの時代です(おさむ)。
嬰児(みどりご)の無垢な裸を抱く安堵 洋司 遠い昔、覚えがあります。我が子を初めて抱いた時でした。自分が産んだのに、素晴らしい宝物をいただいて帰るような幸運を引き当てたような、弾んだ気持ちでした。無垢な裸の嬰児、この句ではお孫さんでしょうか。そうっと抱いてその無垢な姿に心和ませておられるご様子が目に浮かびます。最後の”安堵”が全てを語っていると感じました(果林)。
やはらかき水を切りゆく目高かな 陽炎 透明な流れの中を泳ぐ目高を的確に表現した句だと思います。水を切りゆく、この中七がいいです。俳句は中七だとつくづく思いました。やはらかき水、切り行くめだか、この対比も面白い(手毬)。
アルバムの父は浴衣で若きまま 果林 セピア色の懐かしい写真。若き日の父とその横には幼い日の自分の姿もあるかもしれません。今の子供たちにとって父を思い出す時、それが「浴衣姿」であるということはおそらくもうないでしょう。個人にとっての時の流れとともに世の流れというものまでをも呼び起こされる一句です。浴衣の父、麻のスーツの父、和服の父、もうほとんど見られなくなりました(陽炎)。
妻の愚痴こころは遠く釣忍 まさき 愚痴・・・愚か言、痴れ言の類。また繰り言ともいう。幾度も幾度も繰り返される愚か者の言葉。出逢った頃は若々しく初々しかった妻が、いつしか身体にも心にも弾みを失い、乾ききった愚痴の塊に姿を変えてしまった。そんな妻にまともに相手をするのに疲れてはてて、こころを自分の空に解き放つ。そこには釣忍が耐えるように、ぢっと風に吹かれている。掲句を読み、作中の夫の静かな諦念が切なく胸に迫りました。ごくありふれた光景だけに、夫の哀しみが実感を伴って伝わります。567倶楽部の聡明なご夫人のみなさまは、けっして愚痴など口にされることはないでしょう。愚痴はこだまのように自分にはね返り、ブーメランのように自分に戻ってきます。どうか、ご自分のためにも、やさしく伴侶を労わって差し上げてください(暖流)。
加茂川の風にはだけし宿浴衣 暖流 宿の浴衣を着て人通りの少なくなった川岸を散策する若い子が前をはだけて歩いている姿が見えます(静歩)。
縁日にゆかた着走るガキ大将 志尾里 浴衣を着たむすめ達のしとやかさと対照的に、浴衣を着てもガキ大将はガキ大将。浴衣を着ていることなんか全く関せず露店の間を走り回っている。半世紀も前にわら草履を履いて走り回っていた光景がよみがえってきました。(244)
当直を終え籐椅子の人となる 洋城 お医者様でしょうか、看護士さんなのでしょうか、激務だったのでしょう。当直明けの安堵と疲れとを藤椅子に埋めてほっとした気持ちがうまく句になっています(夕花)。