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折原一著「黙の部屋」 書感/加藤義郎

「書感」という言葉は辞書にないが、読後の感想を書いてみたくなった。
なぜこの本かと言うと、兜カ芸春秋から送られてきた「折原一著『黙の部屋』」というB5版400ページ 余のミステリー小説の主人公「石田黙」とわたしとは親しい間柄だったから。“だった”と過去形で 言うと、今は親しくないのか?と訊かれるかも知れないが、謎解きを楽しむ読者にそれを言っては礼を 失する。

そういえば以前「石田黙という画家に会いたいが、住所を教えていただけないか」と、折原一と名乗 る人から電話を受けたことがあった。最近の諸文芸に疎い私は、ミステリー小説家折原一の名も知ら ず、また近ごろは個人情報を悪用する者が増えた中で知らない他人にはある程度の用心も必要と思った が、時たま街で出会う二科会の古川益弘画伯の紹介ならばと住所と電話を教えたことがあった。それで この新著が送られてきたわけだった。●折原一HP!


さて、表紙カバーには見覚えのある懐かしい絵、暗い部屋で枯葉の上にうずくまる裸の男、顔は自分の 腕に隠れて人相は分からない。小説家の想像力を強く刺激したこの男は、自動車事故で記憶を失い、 自分が誰だか名前もわからない謎の男として登場する。しかも暗い部屋に閉じ込められて、仮面の男から 絵を描けと強要されている。確かこの絵は100号変形(正方形)のキャンバスに描かれたもので、男の 背後は黒い闇になっているが、壁際には照明の当てられた大きな岩か、化石か、貝殻のようにも見える 固体が四つ、重々しくきちんと横に並んでいる。画家は手前の人物と同等あるいはそれ以上に、背景に 力を入れて描いているのが感じられる。

著書の中で、著者の分身らしい水島純一郎という業界紙編集長が狂言回しを務めているが、その水島は インターネットオークションで気になった石田黙の油彩小品を入手したことから、次第に石田黙の黒の 世界に引きずり込まれて行く。

ちょっと気になって、読みかけのページに栞を挟んで初めから見直してみると、目次の裏に小さな 文字で「挿画 石田黙、口絵、本文中作品もすべて著者蔵」とあった。うーむ…。パラパラとめくっ た感じでもかなりの点数だ。数えてみると、F6号の小品からS100号の大きいもの(3点)まで、合計32点 の油彩画の図版を載せている。世に名を知られているとは言い難い一人の画家の作品を、これだけ蒐集 するのは並みの惚れこみようではない。石田黙の黒い絵の中になにかの毒が、あるいは媚薬が仕込ま れていたのか。


本に掲載された中の10点ほどに裸の人物が描かれている。その中の「伝説U」と題されたF20号は、 夫婦とその子どもか?と思える絵だが、この1点もこの小説の構想に大きく影響を与えたことが これを読むと分かる。

この時代の黙さんは静物画家だった。その数年前の1960年代半ば、わたしが初めて見た彼の作品は抽象 画で、物の形は描かれていなかった。横浜市民ギャラリーでの県展(神奈川県美術家協会)に出品された それは、S100号の正方形のキャンバスに、小さな正方形の桝目(1辺4〜5cm)を方眼紙のように描き、 その一枡の中に更に四角、丸などの幾何学的形や、「目」「貝」「足」「森」など漢字のような図形も 細い線で描き込まれていた。色々な色が使われているこの網目は、離れた所から見ると模様のある 色面に見えた。

ん?今、気がついたが、色の線と線の間は黒色だったぞ! 黙さんのアトリエには幾度も行き、作 品を見せてもらったり、酒肴をご馳走になったことはあるが、制作しているところは見たことがなか ったのでうっかりしたが。しかし今はっきりと、キャンバスを黒一色に塗っている彼の姿が私の脳裡 に浮かんできた。自分の名前の「黙」は「里犬にれんがではなく、黒ヘンに犬だ」というほど好きな 黒色が、やがて静物画を描くようになっても画面の基調となるのは自然なことだ。