私は怒っている 大江健三郎(作家、ノーベル文学賞)
仏紙「リベラシオン」(2003年12月1日付)より和訳(サライ美奈さんの知人)。


 私は、怒れる老人です。それは、今の日本の現状について私自身が責任を感じているから です。私が非常に残念に思っている現状のことなのです。小泉首相は再選され、イラクへの派 兵を準備しています。多くのジャーナリストが小泉首相に質問をしていますが、小泉首相の返 事はいつも曖昧です。イラクでの戦争が始まった当初から、小泉首相は、ジョージ Wブッシュ の政治に賛成しているように見えます。小泉首相は、「この戦争は正しい戦争です。」と繰り 返してきました。フランスとドイツは、別の立場を選択してしてきました。日本では、全く違っ た様相です。イラクの現状の如何に関わらず、日本政府の立場も決定も、ずっと以前から決定済み のような印象を受けます。「日本は、イラク派兵をする。」と書かれてきたし、戦争の当初から そのことは、実のところ予想されたことです。小泉首相がジョージWブッシュに「無条件」で 「賛成する」ことを決定した段階から。ドナルド・ラムスフェルト国防長官が来日した際に、 小泉首相は、日本がイラクに派兵することを繰り返しました。それは、日本がアメリカ合衆国の 安全保障政策に従うことを証明するかのようです。だから私は、怒っているのです。だから私は、 ずっと怒り続けているのです。

 イラク派兵というのは、特別な決定です。イギリスを除く世界中で、多数の国がこの戦争に反対 を表明しました。多くの国がこの戦争の条件についても合意しませんでした。日本の首相は、その 点で、責任の意味を欠いたわずかな政治指導者の一人と言えましょう。首相は、アメリカ合衆国の 決定に全面的に賛成しました。そして、ほとんどのジャーナリストと日本の知識人たちは首相に対 して反対することができていません。

 先の総選挙で、政府の方針に反対の左翼政党は、議席を半減しました。なぜでしょうか? 日本に 批判勢力がなくなってしまったからです。首相は、行動の自由を得ました。何でもできます。日本の 総理大臣がブッシュ大統領を批判することはありえないので、ブッシュ大統領は、イラク戦争につい て、日本が合意しているものとして行動するのです。

 第二次世界大戦の終結以来、日本がこれほど従属的だったことは、かつてなかったと言え ます。 残念ながら先頃亡くなりましたが、私の友人エドワードWサイードは、『文化と帝国主義』 の中で、「政治と国際関係の点から、アメリカ合衆国の支配に従属している国と国民があると すれば、それは日本であり日本国民である。」と書いています。

私は10歳になるまで、第二次世界大戦の苦しみの中で育ちました。私は日本の超国家主義の姿を 見ました。戦後になって、もっとも上等な民主主義、つまりアメリカ合衆国の民主主義によって、 民主主義と民主主義的な考えが、日本にもたらされました。こうして日本も、憲法と教育基本法を 持つ民主主義国家となりました。爾来、日本人は、映画や音楽などアメリカの大衆文化の影響を受 けてきました。この点では、何も悪いことはありません。その限りでは日本人は、自らのアイデン ティティーを失いませんでした。

 しかしそれ以前には日本の知識人たちは、ヨーロッパから強い影響を受けてきたという事実が あります。 私の恩師渡辺一雄は、日本におけるラブレー研究とフランス・ヒューマニズム研究の 第一人者でした。日本で「寛容」ということばを広めたのは渡辺一雄です。渡辺は「新しい日本人」 は寛容であることを願いました。もうひとりの知識人、丸山真男は、かつての日本帝国主義、アジア を侵略した国家を経た後の新日本のアイデンティティーはどうあるべきかを問い続けました。丸山は、 「悔恨のコミュニティー」という考えを提起しました。その当時、丸山は、アジアに対する侵略戦争 に反対していました。 私がノーベル文学賞を受賞したとき(1994年)、スウェーデンのノーベル賞委員会は、私が悪魔を祓う ために書き続けている、と言いました。この表現の通りです。作家というのは、悪魔祓いをするアフリカ の導師のようなものです。私はこれからも書き続けたいと願いますが、それは導師のように、きっと 無力なのでしょうが、祈祷するのです。もし私たちが闘うべき悪魔があるとすれば、それは暴力の悪魔 です。今日2つの大きな暴力が存在します。核兵器と国際テロリズムです。

 私たちは、いつの日か核兵器を地上から廃絶しなければなりません。少なくとも今後30年間は、 いかなる国であろうと、いかなる理由であろうと、暴力手段として核兵器を使用できないようにしな ければなりません。その理由から、かつてのイラク、明日のイランや北朝鮮が、核兵器を所有すること を許してはならないのです。しかし、慎重でなければなりません。本当にイラクは差し迫って核兵器を 所有する手段を有していたのでしょうか? ジョージWブッシュ大統領自身、そうではなかったことを 承知していました。

 国際テロリズムと闘わなければなりません。「9月11日」が如実に物語っているように、パリ、ニュー ヨーク、東京をはじめ世界の大都市は、テロリズムに非常にもろい状態です。今日、東京がテロリズムの 標的になることを、何としても回避しなければなりません。

 イラクにおける日本の役割はどうあるべきでしょうか。まず第一にイラク国民向けの食料・医療援助と 子供たちに対する援助を提供しなければなりません。日本政府は、今以上に財政援助を増額できます。 ジョージWブッシュがイラクで展開する決定をした戦争は、間違っています。この種の戦争には決して 協力してはいけません。従って、日本はイラクに自衛隊を派兵してはならないのです。もし自衛隊員が 現場に急行すれば、日本がテロリズムの標的とされる危険は非常に高くなります。従って、総理大臣の 果たすべき任務は、そうならないように努力することです。

 小泉首相は、自衛隊をイラクに派兵することが、テロリズムと闘うことと考えています。それは、間違い です。それは、なおのことアメリカ合衆国の役割であり、権限範囲です。小泉首相はそれとは逆に、 批判的立場を取るべきなのです。そして、イラクに対して人道的支援のみを行うべきなのです。

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