(04年度リーグ優勝) |
リーグ優勝!
素晴らしいチームに乾杯ですわ! 勝って優勝したかったけど、でも、ええでしょう。 ずっと監督を信じてきました。 絶対、今季は勝つと信じてきました。 それが報われて、私ゃ今、ほんまに感無量です。 ありがとう、みんな!
03年シーズン終盤。 山田監督の解任後、なかなか決定しない監督人事の中、やっと決まったのが落合監督。
ドラからGへFA移籍したことから、ドラファンの中に強い抵抗のある人物であり、私も抵抗感はなかったものの、待望していた牛島政権やなかったことから、少なからぬ戸惑いがあったのを覚えとります。 監督が語ったのは、「日本一になる」、「補強しない」、そして「つまらない野球をする」でした。
現役時代と同じく、相変わらず「吹く」なと思いましたが、彼の解説を聞き、著書を読むと、その主張には必ず根拠があることが分かりました。
そして秋季キャンプ、これが私の落合ドラゴンズへの期待の原点となりましたわ。 練習するもしないも、どんな練習をするかも選手の自由であり、そしてその責任を取るのも選手。 首脳陣はそれを手助けするだけ。 「プロたるもの、自分のために考え、全力を尽くす。そして結果が出ない時は、(選手として)死あるのみ。」 これに触発された選手達は、コーチに強制されることなく、自発的に猛烈な勢いで練習を始めたということでした。 考えてみてください。
誰しも「やれ」と言われたことを長時間することは辛いけど、自分で工夫しながら自分のレベルを確認しつつ練習することは、それほど苦にはならんのと違うやろか。
練習方法について、他人から強制されるより自分で工夫する方が、そして6時間練習しようとするのではなく気がつくと6時間経過していた、こんな練習の方が絶対に中身は濃密になるはずですわ。
質量ともに他球団を圧倒したこの秋季キャンプから、私ゃドラゴンズの真のプロ集団への脱皮がスタートしたと確信したものでした。
春季キャンプ。 2月1日の初日、いきなりの紅白戦。
賛否(どちらかと言うと否が多かった?)渦巻く中、きっちり身体を仕上げてきた選手達の情報に接し、私は「真のプロ野球選手の養成」が順調に進んでいることを確信しました。
「右の四番」探しが話題になったキャンプやったけど、本当のメインーマは監督がもう一つ掲げた、「全員の10%底上げ」やったと思います。 選手個々の意識は確実に変わりつつあり、後は練習の成果がどれだけ現れるのかが問題でした。 これは実際にシーズンにならんと分からん問題やったけど…。
オープン戦。 立浪・憲伸の順調な仕上がりと、故障の孝介の調整不足、高橋聡以外には目立たん新戦力。
電波に乗るのは連覇を狙う阪神、そして相変わらずの巨人、その他として日本一のダイエー、新庄効果の日本ハムがメインで、我がドラゴンズの地味〜〜な戦いぶりは殆ど紹介されんかったような…。 私ゃ、ドラ戦士達の変身振りを画面で確認できんので、開幕までヤキモキする日々を続けてました。
ついに開幕。 開幕前に孝介、岩瀬の投打の両輪が故障し、お先真っ暗のスタート。
先発陣のうち憲伸・昌以外の、平井、ドミンゴ、野口は投げてみなけりゃ分からない調子であり、リリーバーが毎ゲームのように尻拭いに登板するものの、岡本、落合以外はこれまた不安定。 そんな中で何とかクローザーまで繋いでいったら、故障を抱えた岩瀬が勝ちゲームをぶち壊すこと数度。
さらに攻撃側に目を移しても、これまた故障上がりの孝介は三振の山を築き、1、2番も出塁率が上がらず、チャンスを作ってもゲッツーで潰してしまう。 「バントせぇや!」と思うケースで強行して、何度チャンスが潰れたことか。
こんな感じで5月頃までは勝ったり負けたりで、この時期が一番チームへのファンのフラストレーションが溜まった時期やなかったやろか。 「10%の上積み」が目に見える形で表れず、落合効果に対して周囲から強い懐疑の目が向けられとったように思います。
岩瀬がやっと立ち直り、立浪のエンジンが全開になってきた6月頃から、ドラゴンズの進撃はスタートしたように思います。
調子を上げてきた1番・荒木、2番・井端のコンビが固定され、盗塁、バント、エンドランと、攻撃のバリエーションが格段に増えてきました。
なかなか整備されなかった投手陣も、ドミンゴの安定感が徐々に増し、リリーフ陣に落合、岡本、岩瀬の三枚と、ようやく形を整えつつありました。
オールスターを過ぎ、いよいよ後半戦。
巨人、阪神といった上位チームとの対戦を続けながらも、ことごとく勝ち続ける憲伸を原動力にして、いよいよ下位チームを引き離しにかかります。 6連戦が続いてローテーションに穴が開いたところに、長峰、小笠原と新戦力が台頭。
そして最大の難問となった五輪で離脱した孝介の穴については、粗さが急激に影を潜めたアレックスが勝負強いバッティングでチームを引っ張り、見事にこれを埋めてくれました。 思い出深いのは8/10の対G、憲伸が「史上最強なんちゃら」を完封したゲームですわ。
1点リードの終盤という一番しんどい8回のピンチ、最後まで力勝負に拘ってローズを討ち取った場面には、鳥肌が立つほどエキサイトしたものでした。
この頃には、既にドラの泥臭い野球が確立されており、ホームランやタイムリーヒットではなく、犠飛、内野ゴロ、ゲッツーの間といった地味な得点を、強力投手陣によって守り切るゲームが、勝ちパターンとなっとりました。
こうした得点ができるのは決して偶然ではなく、それまでの過程として、いかに有効な進塁打を使えているか、またいかに相手のミスに突け込めているかの証明です。 「勝てるチーム」に確実に変貌してきたドラゴンズに、強い手応えを感じ、私ゃ8月初旬には優勝を確信することができました。
…ここに至るまでに奇跡的な勝利もいくつかありましたが、8/1ナゴヤドームでのヤクルト戦・アレックス最終回同点打と川相サヨナラ打、9/14甲子園での阪神戦・高橋光の同点3ラン、これらが強く印象に残ってます。 (神宮での五十嵐を撃破して大逆転、これも良かった…) 前者は劣勢を全員ではね返し、後者は絶対あり得ないと思われた大逆転と、それぞれエキサイトしたゲームでした。
さて、落合ドラゴンズはどこが強かったのか。
戦力的には、序盤はもたついたものの、整備されると結局は実力を発揮した強力投手陣が挙げられますし、選手の調子を見極めた起用法も悪くなかったと思います。 (ただし投手交代については、スイッチが早かったり遅かったりで、今ひとつ支持できんところもありましたが。) しかし一番のドラゴンズの勝利の鍵は、選手をプロとして扱ったことに尽きるのと違うやろか。
第一に競争主義を徹底したこと。
とにかく選手にはチャンスを次々に与えるけど、これは裏を返せばチャンスを奪われる選手がいるということであり、常にチャンスを奪おうとする者と、守ろうとする者の激しい競争があったわけですわ。 そして選手に求めるものは実力のみであり、一切の偏見もありまへん。 一時期、善村が重用されてましたが、年齢と伸びしろを考慮すると、一般的にはない起用やなかったかと思います。 しかしこの一例が、年齢という色眼鏡を外し、実力勝負がチームに徹底されていることを示してましたな。 しかもチャンスは殆ど一発勝負。 ここで結果を出して初めて次の機会が得られるだけに、選手の集中力は相当違ってきたと思いますわ。
次に練習量、方法を強制しなかったこと。
こうした強制がなくても、純粋な結果主義に基づく分かりやすい競争が、我先にチャンスを掴もうとする意欲を喚起し、自ら考え、工夫する土壌を作ってくれた。
今季、二軍がウエスタン後期優勝しましたが、調子のええ選手をどんどん一軍へ供給しとるのに、残りの戦力で勝ってしまうというのはホンマに凄いことなんやけど、これこそ個々の選手のレベルが向上したことの証と言うこともできると思いますわ。
そしてこうした自主性は、ゲーム全体にも及んでいたようですな。 さまざまな場面においてサインが出るケースが少ないようで、かなりの割合で選手の判断に任されていたとのこと。
シーズン序盤では、例えば進塁打に右打ちを必至に試みるも内野ゴロでゲッツーとか、バントも全然決まらないとか、少ないチャンスを拙攻で潰すケースが相次いでました。
ところが中盤以降は、進塁打でも右打ちに拘らないとか、カウント0−3から打つとか、場面に合わせてセオリーに縛られることなく変幻自在に攻撃するようになったように感じます。
自分で考えるクセがつくと瞬間の判断力も大幅に向上するので、これが相手のミスに対して瞬時に反応し、どんどんここに突け込んでいくことになるわけです。 序盤にもたつき、中盤からスパートしたのも、こう考えると理解できるように思うんやけど、いかがやろか。
私が経験した74年、82年、88年、99年の優勝は、多分に「勢い」で勝ち取ったものでしたわ。 その証拠に翌年も優勝争いしたのは、厳密には75年だけやなかったかな。
しかし今季は「できることを確実にこなす」正しい野球が身に付き、そして選手個々が指示待ちの兵隊ではなく、自らの判断で動ける戦士になった。 今季のドラゴンズは、球団史上最も美しい優勝を果たしたと実感しとります。 そして私は、巨人以上の巨大戦力と感じるダイエーとの(?)日本シリーズ、そして来季を今から非常に楽しみです。
こんな幸せをありがとう、ドラゴンズ。 そして、ありがとう落合監督。 貴方がいなければ、今のドラゴンズがなかったのは間違いありまへん。 今後はさらに強いドラゴンズを作ってください。
あ〜〜〜〜っ! 私ゃ幸せやぁ〜〜〜〜!!
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