第23回 吾妻耶山、大峰山

2004年11月7日(日)
参加者16名
松崎中正、川口泰、八木一郎、岩堀弘明、澤田英教、長島威、 星野光伸、石井秀世、染谷明、高野七郎、戸部英明、東海林均、宇都野正敏、加島篤人、斉藤雄一、真下俊哉
 

山行記 

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集合写真

八木一郎  記

 小生、ちょうど一ヶ月前から帯状疱疹が右顔面に発症してカサブタだらけになった。そして、半月前の10月23日には新潟で大地震が起きて、今も余震が続き何千人もの避難者が出ているという。自他ともにこんな有様では今回の山行はとても無理だとあきらめていた。それが医者から無理をしなければ大丈夫でしょうとのご託宣をもらい、開き直って参加を決めたのが前日という始末である。年甲斐もなく興奮したのか夜半に目覚めてしまい、ボーっとしたまま川越に着いたのは出発10分前だった。

 定刻6時にいつもの通りバスで出発、途中、松崎先生が同乗して東松山ICから関越道に入る。皆さんのご挨拶やら近況報告、そして冷やかしやらと賑やかなスタートになった。空は朝モヤで煙っていたが、これで日中の晴天は約束されたようなものだと一人合点、気分上々の船出である。月夜野インターを過ぎて、高野さんから、あのピラミッドが吾妻耶山、その左の丸いのが大峰ですと教えてもらって元気が出てきた。

 水上I Cで高速を出て、コンビニで水分を補充し、仏岩トンネル入り口の駐車場にほぼ予定通り到着、全員で記念撮影の上、8時30分過ぎにスタートした。
落ち葉を踏んで 程なく尾根上にスックリと立つ奇岩、仏岩に到着、岩壁に挑戦している若手の人達を見て、小生も挑んでみたが、途中の岩穴を潜るところで足元が覚束なく、あきらめて退散した。登山道に戻ると、柔らかい日差しの中にいささか盛りを過ぎた紅葉と杉や檜のコントラストがきれいだった。「これですよ、山は!」と前日までとはえらい違いで登山気分に浸っている自分に驚く。

 のんびりと進んでゆくと、左手が断崖となって落ち込み、登りがきつくなってきたなと思ったところで宇都野君が休憩中、「これからが大変ですよ。下見のとき、ここから一時間半かかりました。」との仰せである。なるほど急坂に変わり、ジグザグに道を辿りながら、一歩一歩足元だけ見つめて登るうちに崖際の直進路は通行止めとなっていた。迂回路に入ったがこちらも結構急坂が続く。左手の松に彩られた巨大な花崗岩の上に、直進路を上がる松崎先生を見ながらさらに登ると広い平地に着いた。ここが山頂かと思ったが、山頂はさらに300メートルほど回ったところであった。仏岩からおおよそ二時間の道のりである。

 頂上は尾根の上に笹の生えた小さな広場で、江戸時代に建立されたという神社の、巨大な石の遺構が真田家の六文銭を刻んで残っていた。皆でどうやって運んだのか話題とはなった答えは出なかった。
周囲を見渡すと、前回登った平標や仙ノ倉から谷川岳に続く国境の山々が頂上に雲を乗せて聳え、右手には水上の町から武尊、日光に続く山並みがうっすらと霞んで一望できた。豚汁の昼食

 早速、早い昼食となったが、今回のスペシャルメニューがここで出た。長島料理長?が調達した鍋やコンロそして肉、野菜、調味料などを皆で運び上げ、山頂で煮込んだ特製の豚汁である。これに缶ビールつきと文句の言いようがない。この上ないご馳走の後、30分ほどの昼寝と山上の天国を存分に堪能した。

 正午に頂上を後にして、尾根道を大峰山に向かう。雑木林の中の道は厚い落ち葉のクッションでまことに気持ちが良い。そして小さなピークを越え、一転して檜の根の這う道を下って峠まで降りると中年のご婦人二人に出会った。「もう何十メートルか登れば頂上ですよ」と励まされ、一気に登ってNHKのテレビ塔が立つ大峰山頂に到着した。しかし全然見晴らしがきかず、地図にある展望台まで進んだがこちらも木に囲まれてあまり良く見えない。早々に出発し、ブルの通ったぬかるみを避けながら、キレットに着いた。

 ところが、安全優先なのだろうが、下りも上りもアルミの長い急なハシゴがついてまったく興ざめだった。ぶつぶつ言いながら大峰沼への分岐点まで下り、ここから一路、倒木や枯れ枝で荒れた道を辿ってサイクルセンター駐車場に着いたが、待合せ場所が分かり難く、さらに一キロばかり先らしいとのこと。車で通りかかった若い女性にバスの運転手への言付を頼み、待つこと暫し、やっと本日の第二ステージ湯宿温泉へと向かったのである。

 月夜野カントリークラブの前を通って17号国道に出た。高速道路のない頃、苗場や湯沢などスキー場への往復に必ず通った懐かしい道である。国道に面した湯宿には昔乍らの風情が残っていた。バスを降りて湯元館に入ると、宿のご主人と思われる人の案内で、早速風呂に行く。小さいけれどかけ流しの湯は透明で良く温まった。飲用も効果があるとかで湯船の縁に沸いている湯を柄杓で飲んだ。

 風呂から出ると懇親会が待っていた。いかにも地元の人と見えるおばさん達の手で、大変ゆっくりと、山女の塩焼きや山菜のてんぷらなどが次々に運ばれた。ビールも酒もとてもうまかった。とともに話は尽きず席が弾んで、賑やかな時間が過ぎていったが、小生は、川越からの家路を考え少々飲んで我慢、残念でならない。代りに料理をほとんど食べたところで、うどんとご飯が一度に出た。おばさんが頻りに勧めてくれたがとても全部は入らなかった。

 最後に、12月23日に有志で山行と忘年会を、また、新年会を2月6日に行うとの報告があり、午後5時半、再会を約して宴席を閉じ再び車中に。心配した高速の渋滞もさほどではなく、午後八時半、無事川越に帰着した。
 お世話になった、岩堀、長島、高野、加島、宇都野の皆さんに心からお礼を申し上げて筆を擱く。


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