■第16回 赤城山

2001年5月20日 (日)
参加者17名
松崎先生、川口、岩堀、岩崎、関口、沢田、長島、古島、 高野、戸部、荻原、東海林、宇都野、加島、真下、三瓶、 斎藤
[コース] 大洞(9.30)→駒ヶ岳(9.35)→黒桧山(10.20)昼食、出発(11.05) →花見ヶ原独標(12.50)→花見ヶ原キャンプ場着(13.10)


山行記 

岩崎清彦 記

赤城山は私にとって山登りを始める原点ともいえる山だ。

子供時代の大半を過ごした埼玉県北部の行田の街からは最も間近に大きく見える山で、冬晴れの日には尾根のひとつひとつの襞までが望め、関東平野の真ん中で育った私には山への興味と期待をかきたてるのに十分な山であった。今回、昨年秋の蓼科山に続き赤城山となったことは密かに深田久弥の百名山踏破を狙うつもりの私には有り難い。

これまで赤城山はケーブルで登った地蔵岳のみだが一応踏破したと○をつけていたが「今回は赤城の最高峰、黒桧山を極めるのだから立派に◎が付けられる」と内心嬉しい思いで出発した。
一緒に行く先輩の年代では未だ自動車道も開通していない時代に、新入生歓迎登山で行ったらしいことも話題となった。

6時30分、一同17名がようやく揃ったところで運転手付きマイクロバスで出発、関越自動車道に入る。
赤城山は南面から、すなわち埼玉県側から眺めるのが一番素晴らしいように思う。関越道を北へ向うにつれ、だんだんと赤城山独特のあのどっしりとした山頂を構成する多数のピークが重畳としている山容が崩れて見られなくなるのに失望させられるのは私だけだろうか。

前橋ICから赤城道路経由で大沼の湖畔の大洞へ9時20分に到着、登行に先立ちまずコース選定の協議に入った。 ここで松崎先生から是非「黒桧山から花見ヶ原へ抜けるコースをとりたい」との強い要望が出た。
すなわち「このコースは運転手付きの車で来た今回を逃すともう皆さん一生行くチャンスは無いと思いますよ、気の弱い(?)私があえていうのだから間違いなし」とのご宣託に一同えらく納得、車をはるばる下山地点へ回し待機してもらうことにして、一同は国民宿舎「赤城緑風荘」の側からまずは駒ヶ岳への登山道へ入った。

ここからしばらくは樹林帯を行き、鉄製の階段が取り付けられた山道を登る。眼下には大沼、小沼、それに関東平野も見渡せ快適な登りが続く。3個所の鉄階段を過ぎるとまもなく駒ヶ岳山頂だが、小さくて目立たないピークだ。振り向くと地蔵岳が指呼の間に望める。
ここからはいったん、黒桧山との鞍部の大ダルミへと下って行く。好天と休日のせいか途中で多くの登山客とすれ違う。いつもなら山で出会うのは中高年の女性が圧倒的に多いのだが今日は若い人や子供も目立つ。

鞍部から黒桧山へは滑りやすい赤土と露岩の目立つ斜面の急登となり、いつもながら我々パーティも健脚先行組と樹木や山野草を愛でながらの後続追い込み組とに自然と別れながらの行動となる。

まもなく鳥居と石碑の建つピークへと出た。そこから黒桧山頂まではすぐだ。やがて広い頂上へ、三角点と小山のように積まれた石があり、やや潅木が邪魔になる個所もあるが、南面に広がる関東平野、北方に見える山々は上越国境の山々だ。谷川岳らしいのが見える。
また日光の山なみと遠くは上信越の山なみと浅間山も見える。近くには百名山の皇海、また以前行った袈裟丸山が東北方向に見え、庚申山はその陰になるらしい。

大勢の登山者で一杯の山頂なので、まちまちに昼食を取り、記念撮影をしてから花見ケ原へ向うことになった。

黒桧大神
緩やかな傾斜が続く小径を行くが樹林帯で展望はきかない。足元には笹が茂り、カラマツ、ダケカンバなどが目立ち、そこここに躑躅が咲き始めていて素晴らしい。

少しガスがかかると幽玄な雰囲気をかもし出す。ここでも松崎先生の講釈(登山学?)を傾聴しながらリョウブとヒメシャラの木肌の違いや、ムラサキヤシオツツジ、ミツバツツジ、ヤマツツジの違いなどを実感した。先生が珍しく強力にこのコースを薦めてくれた意味が分かる気がする。
ところどころで写真を撮りながらの下山でまもなく花見ケ原キャンプ場へと出た。ここから遠く赤城山塊を迂回して待っていてくれたマイクロバスに乗り、恒例の「温泉ひとっ風呂」に浸かるため、わたらせ渓谷鉄道水沼駅温泉センターへと向った。


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