■第19回 谷川岳

2002年10月12日 (土)
参加者23名
松崎、川口、岩堀、川上、岩崎、澤田、長島、星野、石井、斉藤雄二、染谷、高野、遠藤、戸部、東海林、宇都野、加島、渡辺、真下、斉藤雄一、小野、小野奥様、丸富
[コース] 川越IC=水上IC=(谷川岳ロープウェイ)=天神平ー谷川岳往復ー天神平=谷川温泉(一泊)


宿舎での全員の集合写真 天神平で(左から長島、宇都野、加島、渡辺)


山行記 

小野徹生(44回)記

 7年前に川越高校山岳部OB会の存在を知ってから、初めての山行参加となった。今まで仕事に追われて余裕がなかったから、という理由と、結婚したので妻に登山を理解してもらおうという意味で参加を決めた。
谷川岳なら、天神尾根を使って初心者の妻でも大丈夫だろうと思って参加したが、私たちだけは、結局、途中で妻が怪我をして引き返すことになった。

 10月12日は、きわめて天候がよく、参加する皆さんも張り切っていた。私と妻と斉藤雄一さんの3人で、早朝の関越道をとばし、おそらく1番乗りだろうと思っていたら、ロープウェイ乗り場に到着したのは、驚いたことにダントツのビリであった。皆さん、さすが山岳部OBで、山での行動がはやい、と感心してしまった。
9時30分頃、皆さんバラバラに歩き始める。頂上まで、雲など一切なく、まれにみる快晴であったが、そのために、多くの登山者がやってきて、途切れることなく行列をつくっているのが、登山口から頂上まで確認できた。

 しばらく歩いていくと、木道が続いているところに出たのだが、北側の木道は濡れており、初心者の妻には、私が説明してもどう歩いていいのか分からないようであった。
途中、妻は少し下り気味の木道で大きく転倒して体を強打し、30分ほど様子を見たが、引き返すことにした。私自身も、高1のときの初めての歩荷訓練で、奥多摩鷹ノ巣山から日原へ下る途中の雨降る木道で転倒し、危うく谷底に落ちるような恐怖を味わったことがあるから、彼女にも無理はさせられないだろうと判断し、今回は谷川岳の山頂を目指さないことにした。
私が怖い経験をしてもめげずに登山を続けたように、妻もめげずに登山を続けてもらえればいいと思っている。

 登山口でしばらく待っていると、1時半頃に皆さんが集まり始め、メインの宴会会場へ移動が始まった。夕方、谷川温泉の共同浴場で汗を流し、青学山荘をお借りしての宴会が始まった。
妻を連れての宴会はとても勇気がいることだ、と後で皆さんに言われたが、私としてみれば、将来、妻が登山を正しく理解してくれる(私が登山に行くと言ったら断らないようにしてもらう)ためにも、宴会には絶対参加しようと思っていた。
宴会では多くの方々の親睦が深められ、とくに星野さんからは深夜に人生勉強の講義を受けた。また、松崎中正先生は、私の現在の勤務先でかつて校長をしていたこともあり、いつかお話ししてみたいと思っていたので、このような形でお会いできてうれしかった。
 翌朝、前日の豪華な鍋の汁を使った雑炊を頂き、高速のすいている午前中に帰路につくことができた。今後もぜひ参加してみたいと思う。

 話がそれるが、私は中学1年のときから、山と渓谷で沢野ひとしのエッセイの内容がずっと気に掛かっていた。沢野ひとしは、結婚して子育てに一息つくまでずっと山に行くことができず、40代になってから、椎名誠らと爆発的にまた山を始めるのである。
昨年、職場の上司と苗場山から赤湯に行ったが、その帰り道で、「結婚したら山は無理だろう」と言われたりもして、やっぱりそうなのかなあ、とちょっと悩んでいた。
だったら、妻も連れていってしまえばいいのだ、と考え、今回まず参加するに至ったのである。
とりあえず、今後、妻の参加はないと思うが、ちょっと登山を分かってもらえただろうか?皆さんとはちがって、私なりの目的があるOB会山行だった。

最後になるが、今まで山行に参加することができなかったことを悔いている。なぜなら、7年前にOB会の全会員名簿を作成する段階で、パークファミリアの沢田さんと、お宅にお邪魔して打ち合わせをさせて頂いたこともあったのに、それ以来お会いできない状況になっていたことも、つゆ知らぬままだったから。
今後、今までの分を埋め合わせるべく、また、我々の同期やその周辺の世代も積極的に取り込んで、さらにOB会を盛り上げられるように努めたい。


山行記録INDEX | HOME