■有志山行-1.荒沢岳

1998年10月 
参加者6名
金井毅夫、長島威、高野七郎、加島篤人、宇都野正敏、松崎中正
地図 2.5万「奥只見湖」/1,969m
[コース]
4日(日)晴れ 東松山(20.50)=谷川温泉青山学院大山小屋(22.00)
5日(月)快晴 小屋(4.40)=銀山平(6.30 6.55)-前山3等 -前くらを望む(8.35)-鎖、梯子出てくる(9.20)-荒沢を望む(9.40)-前くら(10.20)-荒沢岳(12.20 13.05)-前くら(14.30 14.55)-前山(17.20)-銀山平(17.45 19.40)=大湯温泉和泉屋=小屋(22.00ころ) ※トップのタイム


山行記-松崎 

越後駒ヶ岳に登ったのは11月のはじめ。枝折峠から小倉山に登る途中、左手の深い谷の向こうに凄い山が現れた。しぐれ模様の空をバックに、ガラス切りの先のような頂から左右に長いながい尾根を引いた山は、さながら黒い大きな怪鳥。それは、その晩ひとりで泊まった駒の小屋の夢枕に何度も立って、私を悩ませた。 

荒沢岳とのこの忘れ難い出会いから35年、ついに久恋の頂に立った。それも心おきない楽しい仲間と一緒に。荒沢を決して忘れていたわけではない。ただチャンスがなかっただけだ。なのに、山はずっと私を待っていてくれたような気がしてならない。

 登り5時間半、下り6時間40分と言えば、コースの険しさが分かろう。秋の山で6人だれもがライトを持っていなかったとは笑い事ではない。今夜は十五夜だから、とたかをくくっていたのに、麓に近い樹林の中では山靴の爪先で道を探る始末へとへとになって、とっぷりくれた銀山平にやっと帰り着いた。しかし想い出は苦労に鮮やかに比例する。
さあ、仲間それぞれの語り口に耳を傾けようではないか。


山行記-加島 

荒沢岳、この数年に行った数多くの山で一番印象に残る山であり、山の基本を改めて教えてくれた山行であった。この時疎かにしたことは以下の三点。

一点めは医薬品をほとんど何も持参していなかったこと。上りの途中で一名ひざのトラブル発生したが、シップや包帯の類がほとんどないという状況。つっている部分に手ぬぐいをしばって対処したが、まさに付け焼き刃だ。
二点目は懐中電灯を持参しなかったこと。秋の山は日暮れが早いことは常識。初めて真っ暗な急坂(木の根だらけ)の下りを体験したが、本当に恐ろしい。
樹林帯では満月の光はまず当てにならない。
三点目は食糧と水分の管理。通常日帰り山行では多くを持ち帰ることになるため、少な目で行ったところ、予想外の行動時間。(13時間)さすがに最後は消耗し、下山後、体重が5キロ近く減っていた。

 会の有志山行では、誰かがリーダーとなり一列に皆揃って歩くということはまずない。途中でバラバラになり、適当なところで合流するというスタイルだ。だがこのレベルの山では大変危険ということが身にしみてよく分かった。だが後になって言えることであるが、非常にやばい状況であったにも関わらず、たいへんおもしろかったのも事実である。

山行記-松崎 

4日(日)晴れ 東松山(20.50)=谷川温泉青山学院大山小屋(22.00) すべて完備の二階建ては、小屋などというものではなくて別荘だ。外国製というストーブに大きな薪をぶち込んでたちまち宴会。幸すしのあるじがいては食材なんか何でもよし。

5日(月)快晴 小屋(4.40)=銀山平(6.30 6.55)-前山3等 -前くらを望む(8.35)-鎖、梯子出てくる(9.20)-荒沢を望む(9.40)-前くら(10.20)-荒沢岳(12.20 13.05)-前くら(14.30 14.55)-前山(17.20)-銀山平(17.45 19.40)=大湯温泉和泉屋=小屋(22.00ころ) ※トップのタイム

 鎖や鉄梯子、気の根岩角を頼りに小ピークに立つと、正面に前くらの5つの岩峰が並び立つ。左側の急斜面のくら木帯に一筋、踏み跡らしいのが見える。 ジグザグに登って尾根の上に。ハイマツの中に標識が2本傾いて立つ前くらに立つ。

 蛇小沢と中荒沢とにはさまれたやせた岩稜からは、荒沢岳の頂上が高い。この支尾根の終点のピークの右に主稜の二つのこぶが並び、その右のなだらかな円頂が目指す頂上だ。
 Uさんがばててきた。山ではふつう遅いものに合わせるが、OB会では強い者が先に行くのがならわしらしい。同じコースをもどるのだからいいものの、これは油断ならないと、気を引き締める。
 主稜線に登り着くと、潅木の紅葉が盛り。下ってくる熟年4人パーティに会う。おばさんが1人、こっちも頑張らなくては。

 山頂の2坪ばかりの裸地に傷ついた三角点標石が高く飛び出しているのは、山がそれだけ低くなった証拠。がっかりしたのは、山名を刻んだ黒い御影石が鎮座していたことだ。こんなものは、下界で犬小屋の土台にした方がいい。山頂には冷たい風と見晴るかす展望だけで充分だ。
 兔岳への稜線には踏み跡らしいものは認められない。雪の助けがなければ、駒ヶ岳から上越国境に続く稜線へ行くのは容易ではない。雪の季節にテントを担いでここに立つのはもう私には夢だ。しかしこんな所が日本にまだ残されているのは、うれしいではないか。
 たまげたことに、Uさんはごつい山靴を下り用にと担いできた。道理で彼のザックはいやに膨れていた。
 時間との競争になった。韋駄天Tさんが真っ先に駈け降りて、麓の伝之助小屋からライトを三つも借りて登り返してきた。
 一同顔を合わせた銀山平。真っ暗でみんなどんな顔してるのか分からぬ。ススキの穂波の向こうに大きな十五夜の月が涼しい顔して昇ってきてた。

 大湯温泉で汗を流して、Kさんの小屋に戻ってきたときは10時を回っていた。早速ストーブを燃やして盛大な酒盛り。小屋の外に野菜の調達に行ってきたKさんの足の指から出血が止まらない。一目見た私はヒルとにらんだ。案の定、床の上にたらふく血を吸ってころころした犯人を発見。処刑はギロチンならぬ燃えさかるストーブの火。     

有志山行INDEX | HOME