中山道 (なかせんどう)
2010.6.19(SAT) 〜 2010.6.22(TUE)
4days
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尚、本ページは写真枚数が多く、表示レスポンスが多少遅くなることがあります。
▼ 日本橋 (にほんばし)
↑ 「日本国道路元標」。 観光スタート。
▼ 案内板
↑ 宿場名の看板や、旧中山道の案内板。
所在地により、デザイン等は異なるものの、国道や県道で時々見かける。
これが重宝する。 案内板を頼りに本線やバイパスからそれて、各「宿場」や「旧道」を通過できる。
▼ 和田宿 (わだじゅく)
↑ 和田宿(旧道)への入り口。
↑ このあたりが宿場の中心付近の跡ってことは分かるが、
ここにあるのは、ただの民家だった。
▼ 贄川関所 (にえかわせきしょ)
↑ 宿場ではないが、旧中山道でにあった関所の復元らしい。
▼ 奈良井宿 (ならいじゅく)
↑ 今でも宿場町の風情を残している場所のひとつ。
今回の中山道走破では、妻籠宿、馬籠宿に次いで、3つ目に大きく、リアルな宿場。
未確認だが、実際に泊まれる「宿」も数件ほど存在しているようす
▼ 宮越宿 (みやのこしじゅく)
↑ 跡地のみ。 面した通りが宿場の通りだ。
▼ 妻籠宿 (つまごじゅく)
↑★3D★ 京へ向かう旅人の向きで宿場を歩く。
宿場(集落)への入り口付近
(宿場北側から南側を向いている)
当時の旅人は、「妻籠に着いたー」って叫んだのだろうか?
↑★3D★ 上から少し進んだところ
↑ 宿場の案内板や、通りの風景。
実際に泊まれる「宿」も7件あります。
↑★3D★ 通りの風景
↑★3D★ 食事処のひとつ
↑★3D★ 脇本陣奥谷入口
↑★3D★ 桝形(ますがた)の跡。
防塞施設として、敵の侵入を防ぐため道を直角に折り曲げた場所らしい。
↑★3D★ 桝形の跡の続き
↑★3D★ 寺下の町並み
↑「湯屋」という、お食事処。
とっても、美味しかったよ〜 \(^u^)
1968年からの景観保存事業による、復元第一号。
▼ 妻籠宿 から 馬籠宿 へ
↑ 車道が、石畳(旧中山道)を分断している。
▼ 馬籠宿 (まごめじゅく)
↑★3D★ 妻籠宿と同じように、京へ向かう旅人の向きで宿場を歩く。
宿場(集落)への入り口付近
(宿場北側から南側を向いている)
当時の旅人は、やっぱり「馬籠に着いたー」って叫んだのだろうか?
↑左の写真は 高札場(こうさつば)。
法度や掟など(現在の法律や条例)を、通過する人々へ知らせるもの。
江戸時代の公共掲示板だ。
↑★3D★ 通りの風景
実際に泊まれる「宿」も5件ほど存在しているようす
↑★3D★ 通りの風景
▼ 旧道 (馬籠宿 〜 落合宿)
↑ 馬籠宿から 落合宿へ続く旧道。
▼ 琵琶峠 (びわとうげ)
↑ 案内板
↑ ★3D★ 琵琶峠の石畳。 「東上り口」
▼ 弁財天の池 (べんざいてんのいけ)
↑ ★3D★ 琵琶峠の 東上り口から、京都側へ(すぐの所)。
▼ 太田宿 (おおたじゅく)、 柏原宿 (かしわばらじゅく)、 草津宿 (くさつじゅく)
↑ 3つとも、当時は宿場のメインストリートだったであろう通りに面している(はず)。
現在は、単なる裏通りの住宅街って感じ。
▼ 京・三条大橋 (きょう・さんじょうおおはし)
↑ 中山道 最後の(最初の)宿場。
交通量の多い交差点で、運転しながらの撮影。 「三条大橋」って書いてあるよ。
(夜間でシャッター速度もおそく、移動しながら。ブレ画像だがカンベンしてね)
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