――世界は醜く、そしてやさしくない。
弱いものに冷たく、強いものには力を与える世界。
「だから、俺は強くなろうと思ってるんだ」
ひょい、と宙に放ったレイピアの柄をもう片方の手で受け止め、ボッシュは軽い調子で言った。
誰だって冷たくされるより、優しくされたいもんだろ。
揶揄するように世界を語るボッシュ。その目は冗談を語っている割に真剣で、リュウはどこか息苦しさを覚えた。
「つよく、強くなるのさ。今だって十分強いけどな……、たとえばリュウ、お前よりもな」
からかうボッシュの言葉に、リュウは困ったように笑ってみせた。間違いではない言葉だったからだ。リュウには否定できない、ただしい認識。
そうだ。ボッシュはリュウよりもずっと、ずっと強い。リュウを何倍にしても、ボッシュには追いつけないだろう。D値の差は、ひどく正確で、残酷だ。
「だけど、俺はそれよりもずっと、ずっと……もっと強くなってやるのさ。そう、世界に、誰より優しくされるくらいにな」
「……それは、一番強くなるってことかい? ボッシュ」
「言わずもがなのこと、聞くなよ。相棒」
ボッシュは薄く笑った。
そして、気安くリュウの肩を叩いて、いつものように少し前に立って、歩き出す。リュウよりも何歩か先。到着するまで、リュウが決して追いつけない、追い越せないボッシュとの距離。
リュウはそんな『相棒』の背中を見ながら考える。
世界、に、一番優しくされたい相棒。……そして、そんな相棒の、相棒のリュウは、今のリュウよりは強いけど、まだそんなに強いわけではないらしいボッシュよりもずっと弱い、から。
「……世界に優しくされる順位としては、はっせんひゃくきゅうじゅうに……、番目ってところかな」
リュウはちょっとだけ苦笑して、そう呟いた。
何してんだよリュウ、と少し先でボッシュが呼んでいる。
『有り得ない三分間に賭けた、世界への叛乱』
シュッと音を立てて、隊長室のドアが開いた。リュウは若干緊張した面持ちでドアの前に立ち、失礼します、と声をかける。
「――入りなさい」
冷静で、落ち着いた声音。リュウに剣術と体術を叩き込んだ師であり、部隊長でもあるゼノの声に、リュウは「はい」と短く頷いて、部屋に入る。
「先日の任務の報告書を持ってまいりました」
「わかりました。ここにおきなさい」
ゼノはいつもと同じように薄い眼鏡をかけて、何枚かの書類を読んでいた。きっと、他のサードレンジャーたちの報告書だろう。いや、セカンドやファーストの報告書も混じっているかもしれない。
うつくしい面持ちは、クールで落ち着いている。彼女に剣術を教えられてから、そして彼女の部下となってから、もう随分経っているけれど、リュウは今までゼノが取り乱すのを見たことがない。
「……ボッシュは、どうしました」
「あ、……ええと」
「リュウ=1/8192。『ええと』などと不明確な言葉を使うのはやめなさい。――予想はつきます。大方、報告書の提出程度、一人で足りるだろうとあなただけをよこしたのでしょう」
「……え、」
また、ええと、と口にしそうになって、リュウは慌てて言葉を飲み込んだ。
そして困ったように目を伏せて、「隊長の、お言葉通りです」とだけ答える。
「――彼にも困ったものです。リュウ=1/8192。あなたも彼に仕事を押し付けられるだけではなく、断ることや分担することも覚えなさい。……難しいことかもしれませんが、彼はあなたと同期で、同い年なのですから」
「……はい。隊長」
リュウは溜め息を殺すようにしながら、頷いた。
隊長の言葉は正しい。けれど、その正しさを遂行できるほど、リュウはまだ強くないのだろう。
それに、戦いにおいてボッシュほど優れた才能を有しているものは、この部隊にはいない。現状では経験の差もあるから、一概にそうと断言できないかもしれない、が。
――『部隊』には、ゼノ隊長すら含めて、数えられるかもしれない。
だから、ボッシュは足手まといのリュウを連れて任務をこなしているだけで、報告書の作成や提出に匹敵するはたらきだと、そうリュウに言うのだ。
結局のところ、その言葉にリュウは反論できず、こうして報告書を隊長に提出している。
(……隊長のD値は、たしか、1/128、だったかな)
退室を許されたリュウは、ぺこりと頭を下げて、隊長室を出た。
「128番目に優しくされてるって、ことかなあ……」
かつかつ、廊下を歩きながら、リュウはぼんやりと呟く。
その拍子、通りすがった先輩レンジャーが不審そうにリュウを見たので、リュウは曖昧に笑ってごまかした。
そう、そしてボッシュは64番目に世界に優しくされているのだろう。
8192番目のリュウなどは、及びもつかない世界の話だ。全くのところ。
カードキーを通して扉を開け、二人部屋に戻ると、64番目に世界の寵愛を受けている相棒は顔に雑誌を乗せて転寝しているようだった。
まったく、よいご身分だ。
リュウはちょっと苦笑して、散らかった部屋を見渡して肩をすくめる。
ほんの何分か部屋を留守にしただけなのに、既に床にはジャンクフードの包み紙が落ちており、雑誌の入っていた袋らしきものが無造作にドアの前に転がっていた。
「ボッシュ、ごみはちゃんと捨ててよ」
無駄と知りながらもリュウが声をかける。しかし、返事はない。
さかさまになった雑誌の下で目を閉じているのか、リュウを笑っているのか分からないが、とりあえず返事をする気がないことはよく分かった。
ついでに、散らかしたごみを片付ける気がないことも。
リュウは溜め息とともに包み紙と袋を拾い上げ、トラッシュボックスに押し込んだ。
そして自身も昼食をとるべく、テーブルに、食堂で買ってきたジャンクフードを置いた。びりっと音を立てて袋を破くと、密閉された袋の中から香ばしい匂いが立ち上る。
手を汚さないように袋をつけたままナゲットの骨付き肉を頬張ると、安っぽいが暖かい肉汁が口の中に広がった。
――美味しい。
リュウは栄養補給の幸せに目元を和ませながら、はむはむと肉を咀嚼する。
若さゆえの食欲に任せて一本目を食べきり、二本目に取り掛かったところで、ベッドで完全に沈黙していた相棒がもぞりと動いた。
「……ああ、起きたの。ボッシュ」
もぐもぐと口の中の肉を咀嚼しながらなので、多少不明瞭な発音だったかもしれない。とにかくリュウはそう声をかけた。
雑誌を顔からぼとり、落としながら、ボッシュは寝起きの顔で胡乱にリュウを眺める。
「聞いてなかっただろうから、もっかい言っておくね。食べたものとか、いらない袋はその都度捨てておいて。そういうのが積み重なって、部屋汚くなるんだよ」
「……今はもうないからいいじゃんか」
「今、ないのは、おれが片付けたからだろ。おれはボッシュの相棒だけど、ハウスキーパーじゃないんだからな。片付けくらい自分でやってくれよ」
リュウはちょっと眦をつりあげて、そう締めくくると、自分が言った言葉通り、食べ終わった包み紙をまとめてトラッシュボックスに捨てた。
ついでにウェットティッシュを使って軽くテーブルを拭いておく。
「女みてー。……お前って時々変に口うるせえのな」
ボッシュは溜め息をつきながら、雑誌を寝台に放り、もぞもぞと起き出してきた。
「……悪かったな」
いつもなら曖昧に笑って流すところだが、何となく今日はそういう気分になれず、リュウはぴりぴりと言葉を返して、ボッシュと入れ替わりに寝台に転がった。
「なにカリカリしてんのリュウ。生理?」
「くるわけないだろ。ばかみたい」
リュウが苛々しながらも律儀に言葉を返すと、ボッシュがくつくつと笑った。何が楽しいのだろう。リュウはちっとも楽しくない。
隊長には窘められるし、ボッシュは部屋を散らかすし、世界は優しさに順番をつける。ああ、なんだか今日はちっとも面白くない。しかも、もしかしたらそれがこれから毎日変わらないかもしれないと考えると、尚更うんざりした。
いつもなら、こんなことをいちいち気にしたりはしない。世界は元々不平等だ。そんなこと、最下層に生きるものなら、誰だって知っている。
それを唐突に自覚したからと言って、どうということもないのだ。
リュウにはどうしようもできないし、――何より不平等と言っても、どうにか毎日生きていられる。三食ご飯も食べられる。
寝台にころがって、世界に悪態をつくことだって出来る。……ああ、なんだ。これは、8192番目でも、それなりに幸せをもらえているってことなんだろうか?
ぼんやりとそんな結論に到達しそうになったところで、リュウは思考を突然遮られた。
にやりと笑ったボッシュが、彼の上にのしかかってきたからだ。
「……おい、ちょっとボッシュ! なんだよいきなりっ」
のしっとリュウの手首を押さえるようによじ登ってきたボッシュに、リュウはじたばたと暴れた。
ボッシュはしかし、そんなリュウの抵抗に怯んだ様子もなく、「食後の運動、しようぜ? 相棒」といやらしく笑った。
「……っ、やだ! 今日はしたくない!」
「なんで」
リュウの拒絶にボッシュは眉をしかめて、リュウの唇に噛み付くようなキスを落とした。ねっとりと絡まる舌が、全く先ほどの笑みのようにいやらしい。
不快感もあらわにリュウは眉を寄せた。舌に噛み付いてやろうかと思ったが、機嫌を損ねられると厄介なので、やめる。
「なんで、やーなの。リュウちゃん」
リュウを貶めるようなボッシュの言葉。リュウは自分の唇のすぐ間近で囁くボッシュの言葉に、いやそうな顔をして答える。
「ナゲットの味するキスは、いやだ」
「……なんだよ、それ。お前だって食ったじゃん。ナゲット」
「じゃあ、生理中だから、やだ。子どもできちゃうだろ」
「うわー、お前、超無知。生理中は妊娠しねえんだぞ。生理前が一番やべえの」
じゃあ、無知な相棒くんに俺様が性教育してやるよ。
ボッシュがいやらしい笑みを浮かべたまま、リュウの首筋に口付ける。
やだ、とリュウが不貞腐れたように呟くが、ボッシュは気にしない。インナーを引き摺り下ろして、首筋に赤い痕をつける。
いやらしいことだ。世界の寵愛を受けた子どもは、いつも我侭で、――そして、いつも勝手にリュウを振り回す。
「や、だ、ったら、……、いいかげ、ん、性、欲処理を、手近ですませるの、やめて、くれよ……ッ」
「いいじゃん。……お前だって好きだろ? こういうの。……気持ちいいの、好きじゃん」
「あ、ああ……、やだ、……やだぁ……」
ぐちゃ、ぐちゃとやらしい音が聞こえ始める。リュウはふるふると首を振って、寝台の外、部屋の中を見渡す。
テーブルには早速ごみが散らかっていた。なにあれ、とリュウが目を凝らすと、どうやらボッシュが読んでいた雑誌の袋とじの、端っこらしい。
「し、しんじられな……、テーブル、早速、ごみちらかしてっ……!」
「あ? ……あー。あれ。細けえの。後で捨てとくって」
「うそ! ぜったい、うそだ!」
盛大にわめくリュウに、ボッシュはうんざりした様子で「うるさいね、お前」と唇を塞いだ。
生暖かい唇。ナゲットの味が残ったそれに口付けられて、リュウはひう、と声を押し殺した。ああ、8192番目のしあわせなんて、こんなものだ。
いつだって、64番目のしあわせのほうが優先で、リュウは搾取されるばかり、なのだ!
********
「……気持ちよかったろ」
ボッシュはご機嫌でリュウの髪をほどき、さらさらと梳っている。
リュウは掠れた声で、「おしり、いたい」と呻く。
たとえ最中はいくら気持ちよかろうと、お願いちょうだいなどと懇願させられようとも、終わってしまえば残るのは痛みばかりなのだ。
前立腺による快感のつけが、どばっ、と事後にやってくる。ボッシュも一回いれられてみれば分かるよと言ってやりたいが、多分、立場的に成功の可能性は低い。
「なんだよ。とびきり優しくしてやったのに」
「――嘘ばっかり。どこがだよ」
「ちゃんとキスしてから始めたじゃん」
「……なにそれ」
あれ、なんだよ覚えてねえの。
ボッシュは不満げに首をかしげて、こないだ、お前の下半身だけ脱がしてヤッたら、すげえ文句言ったじゃん、と告げられる。
「……言ったっけ」
確かに、それは最低の行為だ。非難した過去のリュウは間違っていない。……が、覚えていない。
「この健忘症。……なんだよ、ひとが折角気を遣ってやったってのに……」
「……、気を遣ったの? ボッシュが? おれに?」
「……。なんだよ。その失礼な念押し」
「……、……」
リュウは少しだけ吃驚して、ボッシュをまじまじと見つめた。
それが不愉快だったのか、ボッシュはいやそうな顔をして目をそらした。
「いいじゃんか。たまにはさ。……お前もさあ、もっと俺に感謝していいんだぜ? なんていったって、お前は俺のお気に入りなんだからさ」
「……」
リュウは、お気に入り、という言葉をぼんやり頭の中で繰り返す。
世界は、醜くて、あと、やさしくない。
……だけれど、強いものには少しだけ優しくて。だから、ボッシュは、一番優しくされたいから、一番強くなりたくて。
…………、そういえば、その話をした後、ボッシュとセックスしたような気がする。
やらしい言葉とやらしい行為。最低なことも何回かされた気がするので、文句を言った気がする。……が、文句の内容と、最低の内容については、いまいち覚えていない。
もしかしたら、その辺りかもしれない。
「ボッシュはさ。……もしかして、時々おれに、やさしいのかな」
「……はあ? 時々じゃないだろ。しょっちゅうだよ。優しくしてやってるだろ? 相棒」
ちゅ、と音を立てて頬にキスをされた。……なんだか嘘みたいな台詞だ。多分、この後何かまた厄介ごとを押し付けられるのだろう。それは間違いない。
ボッシュの優しさは、いつも対価を必要とする優しさだ。
それは知っているし、だからそのことをどうこう言うつもりはない。
多分、リュウは今、とても場違いなことを考えている。……世界に優しくされたい話のことだとか、ボッシュの優しさだとか、とても場違いなことを。
「……おれだって、……、ボッシュに、いつも優しいよ」
結局、リュウはくぐもったような声で、そう呟くだけにしておいた。
ボッシュは疑わしげな声で、そう? とか何とか言っているけれど、信じないならそれでもいい。
本当は、もう少し違うことを考えていた。
たとえば、世界に優しくされる順番の話だとか。
8192番目のリュウは、8192番目の幸せしかないけれど、64番目のボッシュが優しくしてくれることがあるから、もしかしたら8192番よりももう少し上くらいに幸せなのではないかとか。
あるいは、もっと、もっと場違いなこと。
(世界に優しくされなくても――、ボッシュが優しくしてくれるなら、もう、それで満足してもいいのかなとか。……そんなこと、馬鹿馬鹿しくて、言いたくもない)
場違いすぎて、口になんてできそうにない。
だから、いつか、いつか。ボッシュが、この三分間だけ、何を言っても絶対に忘れてくれる、絶対に笑わない、って約束をしてくれる時間があれば、そのときに言おうと思う。
だけど、そんな三分こないだろうから、この言葉は絶対言わないのだ。
まるで告白のような、世界への叛乱じみた、この言葉は。
とんでもなく今更の更新で申し訳ありません……。
十万ヒット御礼企画、ようやく、ようやく更新でございます。
一位から順番にとりあえず一個目、を、……。
珍しく、ちょっとらぶらぶしてますね。一年ぶりだからか、ボッシュとリュウの性格がアレな感じです。
レンジャー時代の話とのことだったので、最初はもっとストイックな感じ(せいぜいキスくらいまで)にしようかと思ったのですが。
気がつくと、なんだかにゃんにゃんしました。全く仕方のない男です。ボッシュは。( 責 任 転 嫁 )
生理が云々と下品な子たちですみません。適当に書いているのであんまり信じないでください。
どうでもいい雑学ですが、おなじ「はんらん」という言葉でも、「叛乱」は今の主から別の主に変えようとすることになるそうです。
「反乱」だと、今の主に対して、自分が主になろうとすること、らしいです。
なので、今回は「叛乱」という言葉を使ってます。世界から寝返って、リュウはボッシュを主にえらびたいので。
なんか久々すぎて、ドラクォ自体が懐かしいです。
そういえば先日ゲーム屋でとんでもない値段で売られてました。500円とか……なんかそんなん。
もういいよ。みんなドラクォやろうよ!! ソ○マップとかいくとすげえやすいから!!(泣)
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