『 それはいつでも別れ際 』
――子どもの頃は、たくさん不思議なことがあった。
朝が来て、夜が来るのは何故? 渡り鳥が南に行くのは何故?
どんな悪戯をしてもすぐ、母さんにばれてしまうのは何故?
クリスマスツリーのてっぺんなんて高いところに、誰がどうやって星をつけるの?
いくつも感じていた不思議なことは、大きくなるにつれて消えていった。
靴のサイズは大きくなる。小さい頃の服は入らなくなる。
繰り返し聞かせてもらった絵本は押し入れの奥。…ベッドの下にはいかがわしい本があったりなかったり?
大通りの巨大ツリーには、今年もイルミネーションが飾られた。――てっぺんには、梯車に乗った作業員が、慎重な手付きで星をつけて。
……手品には、どれも仕掛けがあって、不思議なことには全て明快な答えが用意されている。
それが心地よいこともあれば、今日のように不満に感じることもある。つまり、そういうことだ。
『すみません 十分くらい遅れます』
きらきらと、今こそ輝けとばかりにきらめくイルミネーション。
中でもひときわ輝くツリーの真下で、太一はふうんと呟き、携帯をしまった。
*****
今年のクリスマスイヴは、どうしますか?
光子郎は、至極当たり前の調子で、そう聞いてきた。
まるで去年も一昨年のクリスマスも、ずっとそう過ごしてきた恋人同士のように。
太一はそれを思い出して、小さく笑う。
そのときは、何となく笑えるような雰囲気じゃなかった。光子郎も自然を装ってるけれど妙に緊張していて、実のところ太一もいささか緊張した。
中二のクリスマスは、アグモンやタケルとフランスで過ごした。確か光子郎は中国だったのではなかっただろうか? 言葉が通じなくて困りましたとか言って、苦笑していたように思う。
中三のクリスマスは、家族と、アグモンとそれからテイルモンと。
多分、光子郎もテントモンと過ごしたのではないだろうか?
今年のイヴはどうするの、と母親に聞かれ、太一は「俺、外で食うよ」とだけ答えた。
母親はあらそう、と笑って、太一も彼女くらいできたんじゃないのとからかったが、その言葉に目を吊り上げたのはヒカリだけだった。
おにいちゃんそうなの、ホントなの? と詰め寄ってくる妹をかわして、友達だよ、と答える。
――光子郎と過ごすんだよ、とはさすがに言えなかったけれど。
太一は空腹に耐えかねて購入した肉まんを抱え、もぞもぞ道の端に移動した。
ツリーのてっぺん。きらり輝く星を、片付けのとき担当するのは、いつだって太一だった。
ツリーにつけるのはヒカリ。
今年のクリスマスにも、雪は降らないそうだ。今朝の天気予報でそんなことを言っていた。
冬のクセに、随分暖かい日が続いた今年の冬を思い返せば、特に不自然ではない。そもそも、東京には滅多に雪が降らないのだから。
(…でも、折角だから降ればいいのにな)
光子郎と、初めて二人きりで過ごすイヴなのだから。
そう考えると、何だか妙に面映い気がして、太一は一人で咳払いした。コホン、ケホン。…頬が熱い。
――世界は世界としてそこにあり、それはけして誰かの思う通りになるものではないけれど。
それを不満に思うほど、たぶん太一は子どもではないけれど。
蛍の光、窓の雪。
この歌のモデルになったひとは、明かりがなかったから、蛍の光や、月明かりに光る窓の雪に頼って勉強したという。
しかし今なら、たとえば雪が降らなくても、勉強するには十分すぎるほど、世界は明るい。
だから、別に雪が降らなくても、多分太一には大した影響はない。ただ少し残念だな、と思うだけ。
彼は、携帯の液晶画面を見下ろし、ぱちりとサイドライトを点灯させて時計を確認した。
光子郎が遅れてくると言ったのは、待ち合わせの時間より十分。…つまり今から、大体七分くらいだろうか?
(…あいつ、何してんだろうなー。光子郎が遅れるなんて、珍しいんじゃないか)
回りで人待ち顔をしていた彼女や彼氏が、自分のつれを見つけて笑顔になるのをチラチラ眺め、太一は軽く嘆息した。
ああ、ここに誰かいればいいのに。
待っているのが辛いのではなく、ただひどく気恥ずかしい。
今から来る光子郎は、イヴの夜に待ち合わせた「恋人」の泉光子郎だ。
(…こいびと、だってさ。カレシとか、カノジョじゃない。コイビト。……いや、カレシでもいいんだけどさ)
もんもんとそんなことを考えながら、ツリーを見上げる。
それはいっそ、眩しいほどのイルミネーション。きらきらきらきら。
頂点の星を見上げるように、木につるされたオーナメントたちは笑う。電飾たちは瞬く。
「綺麗ね」
すぐ隣を通り過ぎた少女が、はしゃいだ声で隣の少年に囁く。…多分、中学生くらいなのだろう少年少女。
うわー、初々しい。
太一は目を丸くして、網目ががたがたなマフラーを身につけた少年が通り過ぎていくのを横目で眺めた。
そこでふと、太一は自分がプレゼントのひとつも用意してこなかったことに気づく。
(…やっべえ。手編みのマフラーとはいかなくても、何か用意するべきだったんじゃないのか…?)
まずいかな、そうかな。
しかし慌てて見下ろした液晶時計の中では、彼に残されたタイムリミットが残り三分であることを告げている。とてもじゃないが、今からその辺りでプレゼントを見繕う時間など、存在しない。
…しょうがないか?
太一は仕方なく、そのまま携帯をしまった。
そういえば、待ち合わせ時間にこの場所に来ることしか考えていなかったが、夕飯はどうするのだろう?
(…俺、どこの店にも予約なんてしてねーぞ?)
仮にすぐ入れるような飲食店…というと、太一がアルバイトをしている居酒屋しか思いつかないが、光子郎と二人きりでそこに行くのでは、どんな噂を流されるか分からない。……八神のヤツ、わざわざ忙しいときに休みとったと思ったら、男と、しかも二人きりでイヴを過ごしてたんだってさ!
(――べっつに。事実だから、いいけどな!)
太一は想像だけで何となく腹が立って、いっそのこと行ってやろうかとも考えたが、それで光子郎にまで嫌な思いをさせるのはばかばかしい。
(……あそこは除外だな。やっぱ。じゃあどうすんだろう。光子郎来たら、聞いてみるかな)
ああ何だか想像もつかない。
だって、今日は雪も降っていないクリスマスイヴだから。だから、クリスマスみたいじゃないし。だけれどクリスマスじゃないわけじゃないし。(だから太一は、こうやって改めて光子郎と待ち合わせをしているのだし)
(大体、待ち合わせって言うんなら、こんなとこじゃなくていつものマンションの近くにすればいいのにな。……こんなとこにわざわざ待ち合わせってのが、いちいち気負ってる。……それでいいっつった俺も俺なんだけど)
液晶時計を眺める。ため息をつく。目前を通り過ぎたカップルの片割れが、太一をちらりと眺め、小さく笑った。ちくしょう、絶対フラレたと思ってやがんな。
タイムリミットは残り一分。フラレたわけじゃないんだぞ、と太一は光子郎が来るだろう方向を眺め、肉まんの入っていた紙袋をポケットに押し込んだ。
そのとき、そうだ、肉まんをプレゼントにしたらよかっただろうかと一瞬考えたけれど、それではあんまりだろう。プレゼント交換は、肉まんとピザまんとか?
(ああ、そういうのも面白いな)
太一はそこで小さくニヤリと笑った。光子郎のふてくされたような顔が、すぐに想像できるようだ。太一さん、僕はどちらかといえばロマンチストではありませんが、それにしてもこれはあんまりじゃないですか――…なんて。(ああバカだな、イヴの夜に待ち合わせるって時点で、お前も十分お寒いロマンチストだよ!)
そうなってくると、何だか可笑しくて仕方なくて、太一は一人でくつくつ笑ってしまった。
イルミネーションは相変わらずきらきら。きらきら。綺麗だというより、何だか賑やかで可愛らしい。
クリスマスだよ、クリスマスだよ。
きっと、このツリーも電飾も日本で育った(?)のだろうから、今日がイエス・キリストさんの誕生日だとは知らないのだろう。
ただ、今日は賑やかでとても綺麗だから、きらきらきらきら、はしゃいでいる。
「――何一人でニヤニヤしてるんですか。気持ち悪いですよ」
そんなきらきらきらきらの光の中、ようやく到着した彼のコイビトは、何だか仏頂面で。
「…何不機嫌なんだよ、おまえ」
遅れてすみませんの一言もなく、開口一番それなものだから、太一も思わずそう言ってしまった。
「……いえ、不機嫌ってワケでは」
そんな太一に、光子郎は少しばつの悪そうな顔になって、何やらもごもご呟いて。
雪、降りませんでしたね、とか、もぞもぞ続けた。
「…うん。降らなかったな」
だから太一も、何となく視線をそらしながら呟き返す。――ああ、なんて間の抜けた会話だろうか。天気なんて、今朝も、昨日の夜からも分かっていたのに。本日曇り、ところによっては雨の降るところもありますが、残念ながら今年もイヴには雪が降らないようです。
「――えっと。…どこ行きますか」
「えっ。お前、どこも予約してないのかよ?」
「いや……してるんですけど、太一さんが予約してたらキャンセルしようかと」
「何だよ。そんなんなら、事前に確認しろよな」
「なんか、しづらいじゃないですか。……今日の演出は、初々しい恋人同士なんですよ太一さん。僕たちは初めてイヴの夜を、共に過ごすわけですから」
「………、ええと、それ笑うとこか?」
「微妙に違います。…照れ笑いをするところですよ」
――太一はそこで、とうとう我慢しきれずに吹きだしてしまった。
光子郎はそんな太一に、澄ました顔をしてみせて。…でも、すぐに笑ってみせた。その笑みは、予告どおりどこか照れ笑いじみている。
「…じゃあ、行きましょうか。実は、予約した場所はすぐそこなんですよ」
「ええと、…まさか海の見えるレストランとか言わないだろうな?」
「残念。海の見えない卵料理屋さんです。ほら。前に太一さん、食べたいって言ってたとこ」
あなたオムレツ、好きでしょう。
そんなことを言って光子郎は笑うと、中三のくせに妙に余裕ぶった態度で――行きましょうと太一に手を伸ばした。
――だから太一は、そういえばメリークリスマスとか言ってないなとか。
プレゼントもなくていいのかなあ、とか。
そんなことをチラチラ思い出したので、これはやはり、と、光子郎の手をひっぱって物陰に引きずり込むことにした。
……だってほら?
面食らったように、太一さんっ? と名前を呼ぶ生意気な中学生の唇にキスをしてみせれば、彼は何だかぽかんとした顔をして。
太一は「ばーか、照れて笑うとこだろ?」と一言囁いてから、めりくりすますと小声で呟いて、スタスタ早足で歩き出すことにした。
――たとえ雪が降っていなくても、今日はクリスマスイヴなワケだから。
昔からずっと不思議だった、ドラマの中で恋人たちが、必ず「別れ際」にキスをする理由。
その謎の答えをようやく見つけたような気がして、太一はますます足早になって。――後ろから慌てて追いかけてくる光子郎の気配に、ますます足を速めた。
(……やばい。…ホント今、死にそうなくらい恥ずかしいんだけど、コレ)
だから、いっそ走り出してしまおうか。
そう思いかけた太一の掌を、ひょいと光子郎が握って、つかまえた。
――だから、走るのはやめることにした。
デジアドのボツ原救済策。だって勿体ないのです……。
しかも時事ネタなので、おおいそぎでアップです。もう普通に時間…オーバー…してるんですけどね……! あはは。(笑うな)
めりめりくりすます!
しかしクリスマスイヴに、レストランに予約入れられる中坊って。
かなり、いやだ。