『朱色、紅色』



 ―――石を蹴飛ばした。
 
 思い切り蹴飛ばした其れは、塀にぶつかって跳ね返り、風祭の足元に跳ね返ってくる。
「…糞ッ!」
 其れを思い切り踏みつけて、風祭は狭い小道をすり抜けるようにして走り抜ける。
 肩が突き出した棒や石に当たって痛んだけれど、足を止めることはなかった。
 とにかく、全てが不快で仕方なかった。
 白粉の匂いと、女の匂いを漂わせたこの吉原も。
 落ち合うと決めた場所で、知らない女に纏わりつかれていた龍斗も。
 面倒そうに振り払おうとした龍斗の唇に、べったりと紅で染まった唇を重ねた女も。

 とにかく全てが。気に入らなくて、仕方なかった。

*     *     *     *      *


「…何むくれてんだ。お前」
「――うるせェな」

 いつものように、ちょっと内藤新宿まで。
 天戒らに命じられて出かけた偵察という名目の「おつかい」。
 究極の聞き込み下手である風祭と、究極の面倒くさがりである龍斗を組ませている時点で、これがまこと、単なるお遣いであるであることが察せられる。
 実際、二人が頼まれたことは、何か怪しい動きがないか見てくるようにということと、ついでに酒を何本か仕入れてくるように言われたこととだ。どちらがついでかは、然程考えなくても判ることである。
 それが如何して吉原などという場所を待ち合わせの場所にしてしまったのか。
 龍斗は面倒そうに眉を寄せ、何やら臍を曲げてしまっている様子の風祭の背中を眺めた。
(確か、こいつが言い出したんだよな。吉原がどうの、女なんてどうでもいいだの)
 だから、龍斗がいつもの調子で、それを子どもだと笑ったのだ。確か。
(女がまァ、其れほどいいとは思わねェけど。こいつが『どうでもいい』ッつうことは、大抵知らないことだからなァ)
 この年で性交を経験しているということはなかろと思い、ついからかってしまった。それが余程気に障ったのだろうか。
 龍斗はろくに口もきこうとしない風祭の背中に、大きく溜息をついた。そのまま、手にした封の開いてない酒瓶を掲げ。
「酒は買ってきた。…まあ、町の様子も別段おかしいところはなかった様子だったから、さっき九角にもそう報告してきたからな」
 いつもだったら、ここで「御屋形様を呼び捨てにすんじゃねえ!」というわめき声が入る筈だ。
 しかし、いつもきゃんきゃんと喧しい筈の少年は、目の前で黙って座り込んだまま。そんな突っ込みも腹立たしいのか、もしくは億劫なのか。黙ったまま、そっぽを向いている。
 なんなんだこいつは、と龍斗はまた溜息をついた。
 そのまま「もう放っとこうこいつ」という結論に達するまで、そう長くはかからなかった。けれど、何故だかその場から離れづらく、どうにもならない気まずさに頬をかく。

「…あの女」
「……あ?」

 ややあって。
 唐突に風祭が声を発したことに驚き、龍斗はきょとんと聞き返した。
 風祭はそれをじろと睨めつけ、険悪な様子で再度呟く。

「何なんだよ、あの女。アレが、今日言ってた馴染みの女ってヤツか?」

 くっだらねぇ、と小さく吐き捨て、風祭は妙に血走った目で龍斗の唇の辺りを睨みつける。

「……あの女…? …ああ…。別に、馴染みってわけじゃねェけど」

 確か、以前誰かについていったときに話したような気がして呼び止めたのだったが。…その記憶が定かでなかった上に、女も特に龍斗のことを覚えている様子がなかったので、そこで会話を終わらせようとしたのだ。しかし、色町の女がそう簡単に龍斗のような容色の男を逃がすわけがない。
 次までの約束に、と唇を吸われて噛み付かれた。
 その感触が未だ残っている気がして、龍斗は顔をしかめて唇の辺りをなぞる。
 …其れを、風祭が不快気に眉をひそめて見ていることに気づいて、龍斗はようやく「ああ、あれを見て不機嫌だったのか」と思い当たった。
 恐らく、単純に嫌悪感に似た類のものを抱いたのだろう。ああいった情の交わし方は、まだ風祭には早い。

「風祭には少し、刺激が強かったってヤツか」
「!!」

 言った瞬間、かっと風祭の眦がつりあがる。ああ、またきゃんきゃん吠えやがるのか、と思って、龍斗は面倒そうに耳を押さえた。…しかし、その手首を。
 不意に、立ち上がって勢いよく手を伸ばしてきた風祭につかまえられて。

「痛ゥッ…!」

 だん、とそのまま床に背中を叩きつけられた。咄嗟に受身をとろうとするが、勢い余って風祭に技を放ってしまいそうになり、どうにかそれを制止する。

 そして、その隙を突くように。

 噛み付くような。…あるいは、ぶつかるような。
 色気など欠片もあったものじゃない、薄い唇が降ってきて。
 挙句、歯ががちんと当たって、龍斗は悲鳴をあげかけた。これは新手の嫌がらせかと風祭を押しのけようとするのだが、何故だか力が入らない。
 力自体は然程変わらない、いつもの風祭の膂力で押さえつけられている筈なのに。――何故、だか。

 唇は降ってきたときと同様、唐突に離れていった。

 ばっと顔を上げ、龍斗をじろっと見下ろしながら、風祭はにやと笑う。

「ざまァみやがれッ!」

 そして、そのままの勢いでさっさと立ち上がってしまうと、そのままだだだだと庭に飛び降りて走っていってしまう。

「お。……おいコラ風祭ッ!」

 龍斗が其れを反射的に呼び止めると、風祭は顔半分だけ振り返って、顔をしかめて、ぎっと龍斗を睨む。
 その顔は少しだけ、赤かった。
 そのことに龍斗は思った以上に動揺し、指先を唇の上で彷徨わせた。そこは、歯が当たったせいか。薄く、切れて血が滲んでいて。

 まるで紅を引いたかのように。
 …指先に、赤いものがついて。

 ――風祭はもう一度「ざまァみろ」と呟くと、そのまま身軽に駆け出して行った。

 龍斗は、ただ呆けたようにぺたんと縁側に座り込んで。

「こんなの痛ェだけじゃねえか。…莫迦風祭」

 修行が足んねえよ、と呻きながら、ただただ頭を抱えた。
 その唇と同じくらいの朱色が、その頬に差していることに、果たして本人が気づいていたのかどうか。

 ――押し倒された拍子に酒瓶を地面に落としてしまっていたことにも気づかず。
 龍斗はそのまま唇を押さえて、床に座り込んでいた。










2003/08/28(Thu) 03:05 裏掲示板にて
私、風主派なんです。風祭は絶対いい男ですよ! これから更にいい男になりますよ! タイトルは「アケイロ・ベニイロ」。