『きみがすきだよ、ほんとだよ』



「あくあ」

「…あくあ?」

「そ、あくあ。それが俺の名前」


 ―――彼は、本当によく笑った。

 けらけらと笑い、よく跳ね、よく走った。

 あくあと名乗る言葉以上に、彼は名乗る言葉を持っていなかった。
 けれど、だからこそ彼はそれ以上の言葉を得ようと、形を得ようと走っていた。あがいていた。
 笑顔だった。
 笑っていた。はしゃいでいた。


「れおがすきだな、俺。すげーすき」

「え、う、うん。ありがとう」

「じゃあれおも俺がすきか? 俺はこんくらーいおまえのこと好きだぜ。おまえは? どんくらい?」

「うーん。…同じくらい、かなあ」

「ふうん。そうか。……同じくらいかあ」

「うん。そうだよあくあ。同じくらい」


 手をつないで歩いた。
 
 笑う彼と手をつないで。

 子どもに手を振って、よく笑った。
 僕に手を振る子どもが俺には手を振らなかった、と他愛もないことでよくすねた。
 
「俺だって手を振ったのに」

 いじけて、僕の掌を振りほどいて、先に歩いた。

 彼は、そうどこまでも子どもで。
 あどけない笑みは、幾つもの我侭と同居していた。


「あくあはどこからきたの?」

「えーと。…んんと。それは確か企業秘密なんだ。でも日本だ」

「どこでうまれたの?」

「質問の重複。エラーだぞ、れお。日本だよ。多分。そう言ってた」

「誰が」

「えらいひと。あとはよくしらねえ」

 俺に名前をインプットしたのは、れおが最初だから。

 次が俺。

 あくあって、名前。


「インプット」


 それは機械に使う言葉だよ、とたしなめると、彼はこまったように首を傾げた。

「俺は機械じゃなくて、人間だよ」

「うん、そうでしょ? ならそういう言葉はおかしいよ」

「でもインプットなんだ。外部から情報をいれることはインプットだろ」

「そうだけども…。でも違うよ。覚えるってことだよ」

「記憶するのか。俺、それは不得意だな。走るのも上るのも跳ねるのも得意だけど、頭を使うことは苦手なんだ」

「そう」


 それでも、とあくあは笑う。

 れおのことは忘れない。

 最初のひとのことは忘れない。


 手をつないで歩いた。

 どこまでも歩いた。

 二人で地下鉄を歩いて、笑いながらあちこちを走った。


「本当は、あくあって凄く難しい字を書くんだ。たしか、あかとか、どうとか。難しいの。俺、記憶できなかった。だかられおに説明できねえや」

「そう」

「ホントだぞ。難しい字だったんだ」

「わかってるよ」

「うそ。信じてない」


 他愛もないことですねて、そっぽを向く彼。

 手をつなぐとすぐに笑った。

 お菓子をあげると、嬉しそうにした。


 君が好きだったよ。



「れお」



 すう、と伸ばされる掌。

 ああ、懺悔します。懺悔します。届かぬ懺悔。
 君の元には絶対に届かない懺悔。


 君が好きでした。

 だから僕は逃げ出した。


 懺悔します。


 僕はとても君が好きだったんだ。


 あくあ、という拙い言葉しか持たない、君のことが。

 それなのに君は。



「―――…雨だ」

「雨だね」

「………れお」

「…なに?」



 ―――君はもう、僕の隣にはいてくれないの?









2003/12/03 表日記にて
夢で見たお話。序章というか何というか。いつか書きたい創作予備軍。