――『僕の先輩の話』――

 

 

――――僕の家があるマンションから、歩いて十分。走れば五分のところに、僕の先輩が住んでいる。

 僕より一学年年上で、僕よりずっと行動力がある先輩。

 いつだって誰より前向きで、何より真っ直ぐ目標に向かって突き進む人で、それゆえにいい意味でも悪い意味でも目立つ先輩。

 猪突猛進とか、無神経、とか言われることも多いけれど、それだけじやない。結構視野も広いし、年下とかに対しての気遣いだってきちんとしてる。

 どうしたって目立ってしまう人だからいざこざも多いけれど。気がついたら、けろっとした顔で笑ってる。あまり怒りが持続するタイプじゃないんだろうな。

 いつだって素直な言葉だからこそ、胸に響く。響きすぎることもあるけれど。

――――僕の家があるマンションから、歩いて十分。走れば五分のところに、僕の先輩が住んでいる。

 先輩の名前は、八神太一という。

 

◇      ◇      ◇      ◇

 

「よう、光子郎! 今日、一緒に帰ろうぜ」

「あ、はい。……でも、ちょっと待っててください。僕のほうが遅いですから」

「おう。じゃ、校門で待ってるぜ」

 ――――太一さんは、至極自然に、いつものようにそう声をかけてきた。

 だから、僕もついつい当たり前のような返事を返してしまったんだ。

 ………卒業生の列の中から、平気な顔でひょこっと顔を出した太一さんに。

 ……………体育館で、胸に花をつけた太一さんは、完全に呆れきっている空さんやヤマトさんに照れ笑いを返しながら……体育館からの……いや、この小学校からの退場行進の列に戻っていく。

 僕は、それをどこかぼんやりと眺めていた。

 ……相変わらずな太一さんの行動にこめかみを押さえている担任の藤山先生が、それでも、どこか寂しそうな表情だったこととか、違うクラスのヤマトさんが「しょうがない奴」なんて言いたげに肩をすくめていることとか。

 太一さんがいつもと同じ……本当に当たり前すぎる表情で、笑っていることとかを。

 

「遅れてすいません、太一さんっ」

 卒業式だからかどうか知らないが、今日の帰りの会はやけに遅かった気がする。僕は、帰りの会が終わると同時に鞄をつかんで、走るようにして校門へ向かった。

 そんな僕の姿を見て、太一さんが軽く手を振って笑う。気にすんなよって太一さんが笑う横で……太一さんみたいにゴーグルをつけた少年が「誰ですか?」何ていってるのが聞こえた。

 ……誰ですか、だって? 僕のほうこそ、君にそれを聞きたいですよ。

 僕は不躾な言葉に眉を寄せながらも、かろうじてそう言い返すのをこらえる。

「あれ? 大輔、会ったことなかったか?」

「ないですよ。……あ、さっき太一先輩が声かけてた人ですか?」

「そうそう。ああ、光子郎。こいつサッカークラブの後輩の本宮大輔っていうんだ。ヒカリと同い年で今……あ、もう四年になるのか」

「………はあ。そうなんですか」

 僕大輔……とかいうゴーグル(太一さんのまねなんだろうか)少年に「はじめまして」と一応挨拶をしておくと、太一さんの側に立って「太一さん、卒業おめでとうございます」と気を取り直した笑顔を向ける。

「さんきゅ。何か、そう改まって言われると照れるけどな。……あ、で、こっちが学校のクラブの後輩の泉光子郎っていうんだ。……前に話さなかったっけ?」

 太一さんはそう言って首を傾げてる。

「聞いてないっスよー」

 大輔くんがぶんぶんと首を振った。そして、振りながら……僕をちらり、と見る。

 ……僕も、チラッと大輔くんの方を見た。

『俺の、後輩』。

 学校でも、地区の方でもサッカークラブをやっている太一さんには『クラブの後輩』がたくさんいる。それは当たり前のことだけれども……こうして、会ったことのない『クラブの後輩』と顔をあわせるのは初めてで、心情的には………やっぱり『当たり前』っていう気分にはなれない。

 平たく言えば、何となくムッとしたってことだ。我ながら心が狭いなとは思うけど。

「ほいっ、サイン帳書いたぜ大輔。でも、もーちょっと早めによこせよな、お前も」

「あ。ありがとうございますっ」

 そんなよく分からないことを考えてぼんやりしていた僕を置いて、いつのまにか状況が進んでいた。

 太一さんは手に持っていた掌サイズのアルバムのようなものを、ぽすっと大輔くんの頭に乗せる。大輔くんは嬉しそうな顔で頭に乗せられたそれ……サイン帳を握って、頭を下げた。

(あっ)

 その光景を見て、僕は、はっとなる。

(僕もサイン帳、用意すればよかったんだろうか……!)

 どうもこういったイベントに疎いせいか(わざわざ先輩を見送りに来たのだって、太一さんが初めてだし……ああ丈さんのことは太一さんたちと一緒に見送りに出たか)全然気が回らなかった。………どうしてこう肝心なところが抜けてしまうんだろうか。

「さて。光子郎、帰ろうぜ」

「え? あ、ああ、はい」

 でも、自己嫌悪に苦しんでいる僕の肩に手を置いて、そう声をかけてきた太一さんの顔をふっと見上げたら……何だかもう、そんなことはどうでもよくなった。

 太一さんはいつものように、当たり前の顔で「ん?」と突然顔を上げた僕を不思議そうな目で見てる。

 きっと太一さんのことだ。サイン帳のことなんて言い出したら、苦笑してこう答えるんじゃないだろうか。

『別にもう二度と会えなくなるわけじゃないじゃんか』

 そんな風に。

 僕はそう考えて、自分なりに自己嫌悪の決着をつけた。なので、きょとんとこっちを見ている太一さんに笑顔を向ける。

「そうですね。帰りましょう」

 …………だというのに。

「えーっ? 太一先輩、帰っちゃうんですかぁ〜!?」

 大輔くんが不服そうな顔で、盛大な文句の声を上げた。……まさか、自分も一緒に帰るとか、言い出さないだろうな……。

「今日はクラブの練習に顔出してくれると思ったのに……」

 だが、どうやらこれから練習があるらしい。僕はこっそり胸をなでおろした。

「悪いな、大輔。今日はいったん帰るよ」

「………ちぇー」

 大輔くんは溜め息をついて「じゃあ、今度の練習試合は絶対見に来てくださいよ?」と上目遣いに太一さんを見上げている。

「ああ、絶対行くから。じゃ、他の皆にもよろしくな」

「はーい、じゃあ失礼しまーすっ」

 大輔くんはそのままばたばたと元気よく走り去っていった。……全部が全部ってわけじゃないけど、どこか太一さんに似た雰囲気の子だ。けど、別に彼に好感を持つわけではなくて。……いや、だから、嫌いってわけでもないけど……。

 あんな風に、素直な態度で太一さんと話せるっていうことが羨ましいのかもしれないけど。

「じゃあ、今度こそ帰ろうぜ。光子郎」

「はい」

 僕は太一さんの言葉にこくんと頷き、すたすたと歩き始めた太一さんを追いかけるように歩き出した。

「あ、そういえばヒカリさんは? 彼女も、お祝いを言いに来たんじゃないですか?」

「ああ。それはもう今朝言われたから」

「そうですか。……あ、空さんやヤマトさんはどうしたんですか? もう先に帰ったんですか?」

「そうじゃないのか? 空だって、ヤマトだってそれぞれ友達がいるんだし」

「……ああ、それもそうですね」

 僕は納得して頷く。……そんな僕を、太一さんは少しムッとしたような顔で見た。

 何か気に障ることをいってしまったのだろうか。

「………あのなあ、光子郎」

「はい」

 太一さんは少し拗ねたような顔で……「俺と二人で帰るの、そんなに嫌なのか?」と僕を軽く睨んだ。

「な、何でですか……!? そんなわけないでしょう!」

 僕は勿論激しく否定する。当たり前だ! そんなはずないじゃないか!

 太一さんは僕の剣幕に驚いたような顔をしながらも、でも、相変わらず拗ねたような顔で「だって」と小さな子供のみたいな顔で続ける。

「お前、さっきから他の奴のことばっかり気にしてるし。だから、本当は他の奴が一緒の方が良かったのかなって思って」

「そんな! そんなわけないです!」

 ……僕は我ながら呆れるくらいの勢いで、激しく否定した。

「………」

 その必死の努力が報われたのか、太一さんは頭の後ろで腕を組みながら「ならいいけど」と呟いて、ふと思い出したように、僕へ何だか優しい笑顔を向けてくれる。その笑顔を向けながら。

「光子郎と、こうやって一緒に下校するのも最後なんだよな」

「………そう、ですね」

 僕は、あえて忘れようとしていた事柄に触れられて、身体が強張ってしまった。

 いつも僕より少し前を歩いていた背中が、一気に遠くなってしまうような感覚。

 ……例えば、アメリカの学年制度みたいに、もう少し一緒にいられたらいいのに。

「空やヤマトとかは学年が同じだから、卒業とか言ってもあんまりピンと来ないんだよな。ヒカリなんかは、学校が違ったって……ほら、あんまり関係ないだろ。妹だし」

 ……?

 僕は太一さんがいまいち何を言いたいのかつかめずに、太一さんの真意を探るように隣に並んだ太一さんの顔を見上げた。

「そういう意味では丈もそうだったよな。あいつ、一人だけ私立の中学行っちまったしさ」

 太一さんは「あいつも同じとこ行けばよかったのに」なんて顔をしかめている。結構今更ですよ、それ。

「……大輔は、クラブに顔出しに行けば普通に会えるだろ。卒業してからもちょくちょく行くつもりだし」

「………はあ、そうなんですか」

 同じ後輩でもえらい違いだな。

 ……そんなことを少々拗ね気味に考えてから、僕はようやく太一さんの言いたいことが分かった気がした。

「……お前、パソコン部の部長やるんだって言ってたろ? そりゃあ会いに行こうとすれば会えるけどさ。………サッカークラブの方ほど頻繁にってわけじゃないし」

「…………はい」

「…………よーするに、さ」

 太一さんはうまくまとめられないことに苛立ったような顔で、髪の毛をくしゃくしゃとかきまわす。……そして、ぴたっと足を止め、僕を見て「いつものように」笑った。

「卒業したら、光子郎と一番離れちまうんだなあって思って」

「………」

 ……その通りだ。

 僕は、自然に止まってしまった足を見るように、下を向く。……けど、にゅっと伸びてきた太一さんの掌がそれを許してくれず、僕の顔は太一さんの両手によって、きちんと前を向かされる。

「だから、一緒に帰ろうって言ったんだよ」

 ……にこっと、笑う太一さんの笑顔は、本当に「いつも」通りだった。

「そう、ですね」

 僕もかろうじて「いつも」通りに、にこっと笑った。

「よし!」

 太一さんはにかっとすると、僕の頭をぽんぽんと叩いて……思い出したように、僕の背中もぽんっと一つ叩く。

「? 何ですか?」

「新パソコン部部長と、新中学生の新たな門出に、一つ景気付けをって思ってさ」

「……そうですねっ」

 僕もにっこり笑うと、太一さんの背中をぱんっと叩いた。太一さんは大げさに痛がって「このやろっ」と僕の背中をもう一度叩く。

 ……僕たちはそのまま、まるで肩を抱き合うみたいな態勢で歩きながら、お互いばんばん背中を叩きあった。それはひどくばかばかしい光景だったのかもしれないけど、僕たちが……特に、僕が前へと進んでいくためには、きっと必要不可欠な儀式だったんだ。

 前へ、前へと歩くためには。

 遥かな天に向けて真っ直ぐに伸びていく若木のように、上を向いて歩くためには。

 

 ――――いつだって僕の少し前を歩いていた先輩は、今年、中学生に上がった。もう小学生の頃のように、一緒に下校することは……来年になるまでないんだろうけど。

 そういえばいつだったか、こんなことを言っていたっけ。

「よく、卒業しても友達でいましょうねってヤツあるじゃんか」

 僕が「そうですね」って答えると、太一さんは何気ない口調でこう続けたんだ。

「でも、先輩と後輩は、卒業してもずーっと先輩後輩なんだよな」って。

 ………突然、不意打ちのようにこういうことを言うから、僕は思わず目が点になってしまった。

 

◇      ◇      ◇      ◇

 

 ――――僕の家があるマンションから、歩いて十分。走れば五分のところに、僕の先輩が住んでいる。

 僕の不意を打つのが得意な人で。そう言ってあげたら、不思議そうな顔をしてた。

「そんなことないと思うけどな」なんて、首を傾げて。

 

 ……先輩の名前は、八神太一という。

 

END.

 



一度はやってみたかった卒業式話。
なんていうか、全体的に光子郎の心が狭いのがみどころです!(爆)
大輔に関しては……。
いえもう。太一さん総受けなんで。
光子郎と大輔も無論ライバルなんで。
だからあんまり仲良くないかなー……なんて。(汗)