『intrusion & cope




 ―――苛立ちは、薄い層をゆっくりと重ねていくように、日々増していった。

 相変わらずあのディクは、彼の相棒を傷つけ。
 そして、その傷を舐める。
 ……まるで、この生き物を傷つけ、癒す権利は自分にあるのだと言わんばかりに。
(不愉快)
 ボッシュは軽く眉を寄せて、ディクの為の餌を用意しているリュウに近寄った。
 ディクは鳴きもせずにボッシュを見上げ、また、どうでもよさそうに用意された餌に目を落とす。
「あ、ボッシュ。おはよう」
 リュウは軽く微笑んで振り返り、ボッシュを見た。 
「…んん」
 ボッシュは欠伸交じりの呻きを返し、ちろりとリュウと、ディクを見やる。
「…? なに? この子がどうかした?」
「別に」
 少し不安げに眉を寄せ、屈んでいたリュウが立ち上がった。
 別に何でも、とボッシュは肩をすくめ、リュウの過敏な反応に小さく笑う。
「なに。何でそんなにビビってんだよ」
「別に…。そういうわけじゃ…」
 からかうように目を細めるボッシュに、リュウは少し萎縮したようなカオで目を伏せた。その目線の先には、あのディクがいる。
 つい、それを目で追うと、タイミング良くディクが小さく鳴いた。
 …特に意味はなかったのかもしれない。
 ただ、餌がなくなったぞ、と鳴いただけなのかもしれない。
 だが、その鳴き声に、リュウは間違いなく反応して「え? なに?」とディクの方を振り返った。
 ディクはそんなリュウの様子を、硝子玉のような目で見上げて、そっぽを向く。
「……」
「あ、餌がなくなったって言いたかったのかな…? 駄目だよ。今朝の分はこれだけ。あまり食べ過ぎても、病気になるんだから」
 ただでさえ、ココは空気が悪くて病気になりやすいんだから…、とリュウは優しくたしなめるように話しかける。
「……」
 そんな、ちっぽけなディクの機嫌をとるように、笑って語りかける。
(……不愉快)
 ボッシュは眉間に亀裂を刻み、いきなりリュウの肩をきつく掴んだ。
「わっ…!? な、何、ボッシュ…?」
 とても驚いたような、そんなリュウの目。蒼く見開かれた眼差し。
「……別に」
 それを見ていると、不思議と苛立ちは落ち着いた。
 リュウの目の中に、確かに自分が映っている。自分だけが映っている。
 ……それを見ていれば、不思議と苛立ちは落ち着いた。
「顔、洗ってくる。その間に、今日の任務聞きに行っといて」
「あ…うん。分かった」
 相棒は怪訝そうな顔をしていたが、結局何も言わなかった。
 ――ボッシュが部屋を出る寸前。
 また、リュウの「…つっ」という、この二週間余りの間にすっかり聞き慣れた小さな悲鳴が聞こえた。
 確かめるまでもなく、あのディクがリュウを傷つけたのだということは分かっていた。

(……不愉快)

 そしてまた、層が一枚厚くなった。

*     *     *     *      *


 小さなディク。
 あんなちっぽけな存在に。
 要領の悪いローディー。
 …あんな下等なD値の人間に。

(何故、俺がこれほど苛立たなくちゃならない?)

 ボッシュは不愉快の根っこが何処から来ているのか分からず、眉間に刻まれたまま戻らない皺を軽く押さえた。
 今日の任務は、実に単調で気楽なものだった。
 バイオ公社の暴走ディクの始末と処分。
 ――ただ、剣を振るっていれば終わる仕事。
 それなのに、リュウは小さなミスをした。
 ……ごくごく小さな、単純なミス。
 ―――彼は、一瞬ディクに止めを刺すのを躊躇ったのだ。
(…大体、原因の予想はつくけど)
 大方、あの小さなディクと、姿が重なったか何かしたのだろう。
 結果。彼は小さな怪我を負い、ボッシュが倒さなければならないディクが一匹増えた。
 帰り道、リュウはひどく落ち込んだ様子で「ごめん」と繰り返し口にしていた。…終いには、ボッシュがうざったくなってしまうほど。
 だから、ボッシュはこう提案した。
「いいから、先にシャワー浴びてこいよ。今ならまだあいてるだろうし」
「…でも、ボッシュは…」
「俺はいいんだよ。大して汗もかいてないし、鈍くさいローディーみたいに返り血も浴びてないから」
「……」
 嬲るように嫌味を放つと、リュウは困惑したように口を閉じ「じゃ、先に行ってるよ…」と剣を引きずるようにして歩いていった。
 ボッシュはその後ろ姿を何となく見つめていたが……、ふと、思いついて「リュウ」と相棒に声をかける。
「…? なに?」
 のろのろと振り返る、悄然とした表情。
(辛気臭いカオ)と肩をすくめたくなったが、とりあえずそれを自制して、ボッシュは思いついた疑問を口にした。
「アイツ、名前何ていうの?」
「あいつ…?」
「アイツ。あの、ディクだよ」
「……あ。…あの子のこと?」
 唐突な質問に、リュウは戸惑った様子で口を噤む。
「…どうして? ボッシュ、あの子のこと嫌いなんじゃないの?」
「違うって。嫌いでも好きでもない。ディクだぜ? そんなコト、わざわざ思ったりしないだろ」
 ボッシュは笑顔で応え「何となく、気になったからさ」と、リュウに向かって肩をすくめて見せた。
「…で、なんていうの? アレ」
「……」
 リュウは困惑した様子で目を彷徨わせ…「言わなくちゃ駄目かな」と呟く。ボッシュはその反応に眉を寄せ「ま、別にいーけど」と身を翻した。
「先、部屋行ってるぜ」
「あ、うん。………ごめん」
「ウザい。いちいち謝んな」
 リュウは懲りずにまた「ごめん」と呟くと、ずるずる剣を引きずってシャワールームまで歩いていった。
(…折角だし、聞いておこうと思ったんだけど)
 ボッシュはその背中をちらりと眺め、迷いのない足取りで部屋へと向かう。
 今日は、かなり早くに任務が終わったから、まだ部屋には誰もいない筈だ。
 彼はほどなくして部屋に辿り着き、相棒のベッドで大人しくしているディクを見て、片眉を上げた。
 かける言葉は、ただ一言で事足りる。

「…死んでいいよ?」

 冷徹な剣が宙を舞い、ちっぽけなディクはベッドから投げ出された。
 抵抗すら出来ず、無防備に床に転がったそれを踏みつけ、正確に急所を貫く。
 ……ひくひくとしばし痙攣してから。
 ディクは、ゆっくりと白目をむいた。
 ひゅっ、と音を立てて剣先を抜き去り、ボッシュはそれの首根っこを捕まえて持ち上げた。

「…任務の障害となりうるものは、須らく排除せよ。コレ、正しいレンジャーの鉄則だよなァ?」

 にぃ、と口の端をつりあげて、もう動かないディクを見つめ、優しく語りかける。
 もはや、聞くことすら叶わないだろうけれど。
 血に汚れた床を軽く靴で拭えば、あっという間に他のディクの血痕と混じった。皆、多かれ少なかれ、靴裏にディクの血をこびりつけて戻ってくる。今日の夕方には、更に判別不可能になっているだろう。
 ボッシュは不愉快の層が、ぺりぺりと剥がれていくのを感じながら、微笑んで、部屋を出た。
 処分する先は、この際何処でもいい。
 下町のダストシュートにぶちこめば、すぐさまこのディクだったモノを粉々にしてくれることだろう。
 頬に飛んだ血を、指先で拭った。
「…あいつは任務の障害になるよ、相棒? お前だって、本当は知ってたはずだろう…?」
 そう言って微笑むボッシュを、リュウは当然知ることはない。
 彼は今、血の臭いが消えないことに辟易しながら、シャワーを浴びている。

*     *     *     *      *



「……ボッシュ…、ボッシュー!」
 相棒の切羽詰った声。
 どうかしたのだろうかと不審に思って、声のする方…レンジャーの宿舎横を覗いてみると、顔を真っ青にさせて、リュウが何かを探していた。
「…? どうかした、リュウ」
 ボッシュが怪訝そうにそう尋ねると、リュウは「え…、あ、ボッシュ…?」と振り返り、ゆるく首を振る。
「いや…その、……あの子が、いなくなっちゃったんだ…。だから、その…探してて」
「は? まさか、俺にも手伝えっての? あんな必死な声で名前まで呼んでさ」
「…あ、…ううん、そういうわけじゃ、ないんだけど」
 リュウは困ったように何度か首を振り、口元に指を持っていって爪を噛んだ。
「爪歪む。やめろ」
 眉を寄せて、ボッシュはその手を捕まえる。そして、うなだれて俯くリュウに「逃げたんだろ」と言った。
「ガキだから、その辺無駄に走り回ってて通路に迷い込んだのかもしれない。だとしたら、もう殺されてるだろ?」
 だから、探しても無駄。
 ボッシュはそう断じて、リュウの手を引く。
「……殺されてるって…、…だ、駄目だよ…! 探さなくちゃ…!」
 リュウはそれに抗うように手を引き戻し、先ほど出てきたばかりのリフトへの通路へ向かおうとする。
 バカだ、と思い、ボッシュは息を吐き出した。そこへ行っても、勿論あのディクはいないのに。
 相棒の手首を掴んだ手に、力を込める。…爪を立てる。
「……ッ…」
 すっかり聞き慣れた、小さな苦痛の悲鳴。
 以前はただ不愉快だったそれも、自分が搾り出させたものだと思うだけで、こんなにも不愉快の層が剥がれ落ちていくのを感じる。
 軽く血の滲んだ、リュウの手首の内側。
 そこをそっと撫でて、ボッシュは再度言い聞かせる。
「諦めろ、リュウ」
 とてもとても優しい口調で、諭すように蒼い眼差しを見据えて。
「…今頃、あのディクはもう死んだよ」
 ―――事実を、単純に伝えてやる。
「……だ、だって…」
 くしゃりと、相棒の顔が歪んだ。
 哀しみと、悔恨と、孤独。
 そんな感情がない交ぜになったような顔で、俯く。
 その瞳の縁から、水が溢れ出してこないのが不思議なくらいだった。
 リュウはボッシュに手首を捕まえられたまま、力なく首を振った。
「あんなに…あんなに、小さかったのに……」
「……」
 手首を掴んだ手は、決して緩めない。
「……ボッシュ…」
 掠れた声が、そっと名前を紡いだ。
 ボッシュは掴んだ手首を持ち上げて、彼の爪がつけた傷を、そっと舌先でなぞる。

 ―――侵入への対処は、正確に。そして迅速に。

「ボッシュ…?」
 僅かに湿った声が、彼の名を呼ぶ。
 ボッシュは、鉄の味がある液体を舐め取りながら、最後の不愉快の層がばらりと剥がれていくのを感じた。


END.








……ええーと…。
……ご、ごめんなさい!!! こんなオチでした!!!!(平身低頭)

ボッシュだからこういうのもアリかなー、とか思いながら書いてしまいました。
…ていうか……く、暗い……。しかも残酷シーン…!?
風成、動物大好きですよ!!? ついうっかりこんなシーン書いてしまいましたけど……。
う、うあー、ごめんなさい!!!;;(またか)

ていうかラストまで何か淡々としたト書きちっくに…。
精進します…。

ちなみに、タイトルの意味は「侵入 と 対処」です。
……単純っつーか…なんつうか。


……折角の企画なのに、何で私こんなバッドエンディング書いてるんだろう…。
……。……あの、でも…感想とかあると……嬉しいです……。(ねえだろ)