『太刀狩りびとと、夜道をゆくひと』


 ―――中空には、実に見事な満月。
 …ゆっくり刀を翻せば、その面に月光がきらりと零れて消える。

「ふうん。…ま、そこそこの刀持ってんじゃねえの」

 その身に纏うは僧兵の着物。
 中肉中背の身体でありながら、ひしひしと伝わる威圧感は何としたことか。
 五条の橋に近頃出やる噂の男を知って、面白半分に覗いてみたのが運の尽きであったか。
 男はがたがたと震えながら、命乞いをすることも忘れ、覆面で顔の半ばを覆った男の姿を見上げるばかり。

「…持ってる刀は、こんだけ?」

「ヒッ、は、はい! 間違いなくそれだけですとも!」

 返す男の声が裏返っているのがおかしかったのか、相対する僧兵姿の男はくつくつと笑った。
 そして馬鹿にするように「とっとと行けば?」と手を振り、ついでにその身の丈の倍はあろうかというほどの長刀をぶんと振る。
 男はそれだけで真っ青になって、一気に駆け出して行ってしまった。
 こけつまろびつ、血相を変えて走っていくその姿。全くよい見世物よと、男はひとしきり笑うと。
 きらり。きらり。
 月光、星屑。数々の光を弾いて輝く太刀に、くつりと笑い。

「いっそのこと、千本集めてみるのも悪くないかもな」

 低くそう呟いて、また大きく笑った。
 夜闇に浮かぶ橋の上。きらりきらり光る太刀を手にして、男は我が物顔に、また太刀を大きく振るうのだった。

 ―――…花の京都は、五条の橋。
 その橋上に、近頃現れる太刀狩りの噂が立ったのは、それから間もなくのことである。


*     *     *     *      *

「…ねえ、御曹司。本当にこの道を行くんですかい…?」

 びくびくした男にすりり、と身をすりよせられ、リュウは辟易した様子で嘆息した。
 中空には、見事な満月。
 向かう先は、五条の橋。

「仕方ないだろう。あの橋を渡るのが、一番近いんだから」 

「それにしたって、だって…。あの橋は、アレですよぅ? ここんところ、化け物みたいな長刀使いが、太刀狩りをしてるっていう…」

「大丈夫だよ。いくらなんでも、あからさまに商人のおまえと、おれみたいな子どもを襲いはしないだろう?」

「イヤイヤイヤイヤ、あんた馬鹿言っちゃいけない! いくら御曹司がまだ子どものナリだからといって、太刀狩りをしてる男が、アンタのその腰! そんな見事な太刀を見逃すわけがないじゃないですか?」

「…まったく。そんなに恐ろしいかなあ? 何といっても相手は人間だろうに。そんなに怯えていては、平氏を討つなど…」

「おおおおお御曹司ー! そういう滅多なことを、大声で言っちゃいけませんよッ!」

「……だから、おれはそのためにさ。わざわざ鞍馬を下りてきたんだけど…」

 リュウはいいかげん面倒くさそうに、再度嘆息した。
 そしてとうとう橋に向かう途中の分かれ道で、さっと曲がり角を示し。

「吉次。あなたはそちらから行くのがいいだろう。おれは、このまま橋を通って向かうから」

 そう言い放ち、くるりときびすを返した。

「えっ、ええええー!? そ、そりゃあねえですよ御曹司! 俺は、あなたを奥州まで、きちんとつれてかなけりゃ…」

「だから、五条の橋を抜けてから合流しようってことだよ。ちょうどいい運試しだと思わないか?」

 どちらかといえば優しげな顔をしたリュウは、まだ幼げな顔をにこりと微笑ませた。
 その笑顔は、どちらかという不敵な笑みのつもりで浮かべたのだろうが、彼の優しげな顔立ちでは場違いなほどにのどかな笑顔にしか見えない。
 吉次と呼ばれた男は呆然と佇む。

「…おれは、これから平氏っていう大きな敵を討たなくちゃいけないんだよ。それなのに、こんなちっぽけな橋でいつまでも尻込みしていちゃ、どこにも行けないだろう?」

 危ない道を避けるのは嫌いなんだ。
 彼はそう言ってぱたりと手を振ると、まだ呆然としている吉次に困ったように笑ってもみせる。

「まあ。…大丈夫だよ。ほら。ちょうどよく、さっき吉次さんが売り損ねた女物の薄布も持ってる」

 余程敵わないような相手だったら、これを被って女の振りをして、逃げてくるから。
 その言葉に、ようやく吉次は安心したのか、あるいはようやく我に返ったのか「全く、大した変わりモンだよ」とぶつぶつぼやいてから「んじゃあ、予定通り熱田神宮で落ち合いましょう。…どうか五体満足で来てくださいよ」と声をかけて、たっと角の向こうに消えていった。

「…そんなに変わってるかなあ。おれ」

 残されたリュウは、実に不思議そうに肩をすくめて、また歩き出す。
 夜の闇はひどく冷たく、リュウの腕を今にも掴まんばかりに迫ってくるようだった。しかし彼はそんなことに構う様子もなく、そのまま前進する。
 そして、もう少々行けば橋にさしかかるだろう場所で足を止め、先ほど吉次に言った言葉通りに薄布を被った。
 もっとも、こんな時間に出歩いてる女などそういよう筈もない。
 噂の男にさっさと見抜かれて、切り捨てられてしまうかなと、リュウはどこか楽しげに歩みを進めた。
 無論、腰につけた太刀は飾りではない。切り捨てられてしまうかと思いつつも、彼に負けるつもりは毛頭なかった。
 彼はそのまま迷いのない足取りで橋の間近まで歩みを進めてから、はっと気づいて、慌てて足取りをゆっくり、楚々としたものに変える。たとえばれても構わない覚悟でいたのだとしても、歩き方で見抜かれてしまうのはどうにも格好がつかない。
 
「――…こんな時間に、女が一人歩きとは」

 橋を渡り始めてすぐ、闇夜のいずれからか声が響いた。
 恐らく橋の中ほどにいるのだろう。リュウが僅かに目を眇めると、確かに橋をもう少し渡ったところに、男が一人佇んでいる。

(いや、あれは男というよりも…)

 その影の大きさに、リュウは僅かに首を傾げた。
 中肉中背。どちらかといえばほっそりとした体つきは、リュウと同様、未だ少年の面影を残している。
 どうにも話と違うのではないか、とリュウは噂話の不確かさに胸中で苦笑しつつも「…道を急ぎますゆえ」と出来る限りのか細い声を出すと、足を速めて少年の真横をすり抜けようとする。

「いや。…待ちな」

 しかし、その足はひどく重そうな長刀で止められた。物騒なことに、それは抜き身だ。
 一歩を踏み出す直ぐ前で太刀を足元に突きつけられ、リュウはさすがに冷たい汗を背筋に感じながら少年をうかがう。
 けれど確認しようとした面差しは、覆面に覆われていてよく見えなかった。
 代わりに、リュウの眼差しと似たような位置にあるそれと、視線がぶつかり合う。

「……碧…?」

 月明かりをたぐってか、僅かに眇められたそれを見て、リュウは思わず声をあげた。
 その眼差しは、この国人には決して有り得ぬ色彩。
 何故誰も気づかなかったのだろうか? この男の目は、碧い。

「……」

 少年は、僅かに笑ったようだ。目がゆっくりと、眇められる。

「見たな」

 低く呟く声に、リュウははっと身を強張らせた。
 くる。
 そう思った瞬間に、彼は薄布をその場に残してひらりと飛びずさっていた。
 煌々とひかる満月に照らされて、リュウが確かに男であるということは知れたはずだ。

「は。やっぱりな。隠してはいるが、大層なものを下げていると思ったぜ」

 少年は大きく笑い、その細腕には似合わぬ長刀を振りかざしてリュウへと打ち下ろす。

「ちょうどいい…。おまえの太刀で、ちょうど九百九十だ! その太刀、置いていきな!」

 その鋭さにリュウは小さく息を呑み、すんでのところでどうにかかわす。
 かわしたかと少年は舌打ちし、そのまま長刀を薙いできた。

(面倒だなあ…。さすがに、結構できるみたいだし)

 リュウは困惑したまま、軽々とそれをかわし、欄干の上に飛び乗った。
 月明かりを背に悠然と佇むその姿に、少年はまた舌打ちしたようだ。

「女のようななりをしていたわりに、できるじゃないかよ」

「ええと。…ほめてくれてありがとう。実は、ちょっと面倒になってきちゃったんだけど…、このまま終わる気はないですか?」

「ハ。冗談!」

 少年はぐいっと覆面をはぐと、楽しげな表情もそのままに小刀を投げつけてきた。
 うわあ物騒、とそれをどうにかかわして欄干から飛び降りて、リュウはそのきらりと光る髪の筋に目を見張る。

「……金色…?」

 綺麗だ、と思うその目先に、長刀が押し迫る。
 何かと思うその前に、身体が動いていた。 

「……。―――殺せ」

 金属音と共に、弾かれた長刀。
 リュウが抜き放った秘蔵の太刀は、少年の手にした長刀を打ち払い、橋の上へと転がしていた。
 喉元へ突きつけられた切っ先に怯むことなく、金色の髪と碧の瞳をもった少年は、眼差しをきつく細めて再度告げる。

「……何してんだよ。殺せ」

 しかし、少年の言葉に、リュウはゆっくりとかぶりを振った。

「いや。…せっかくだし、やめるよ」

「……ハ?」

 意味が分からなくて聞き返す少年に構わず、リュウはちきんと太刀を鞘におさめた。
 そして、ひらりと橋に落ちた薄布を拾い上げ、小さく肩をすくめて笑う。

「なんか。その気が削げちゃった。なんか勿体無いしね」

 ぱんぱんと埃を払いつつあっさり言われたその言葉に、少年は呆れて立ち上がる。

「何それ。全然意味わかんねえ。おまえ、馬鹿だろ」

「…ひどいな。これでも、由緒正しき御曹司なんだけどね」

「ハ? 由緒正しき阿呆の間違いだろ」

「だから違うって…」

 立ち上がりはしたものの、さすがにもう向かってくる気はないらしい。
 ただ呆れた様子でこちらを眺めてくる少年に、リュウは小さく笑った。

「―――由緒正しき、人殺しの家系だよ」

 …そう言ってくすりと笑ったその顔は、ひどく優しげなのに、ひどく物騒にも見えた。
 少年はその笑顔に小さく目を見張り。…その見事な金髪に軽く手を当て「おまえさ」と呟く。

「ん。なに?」

「…名前は?」

 その声に「リュウ」とあっさり返しながら、リュウは今更のように空を見上げ「綺麗だよねえ」と言った。
 少年はそののんきな様子にまた眉を寄せ、こんな男に負けたのかと大きく頭を振る。

「きみは?」

「…ボッシュ」

 だからかどうか。
 つい、少年はリュウの尋ねる声に、特にてらいもなく言葉を返していた。
 幼い頃に流れ着いた、遠く遠くのちっぽけな国。この国に流れ着いてから、自分の名前なんて。とっくに忘れかけていたのに。

「これから、どっか行くわけ?」

 落とされた長刀を拾い上げながら問えば、リュウはぼんやり月を見上げたまま微笑む。

「うん。行くんだ」

 微笑んだまま、彼はおっとりとボッシュを顧みて続けた。

「由緒正しき人殺しは、血筋の通り、人を殺しに行くんだよ」

 そのぞっとするような黒瞳に、それでもボッシュは低く笑う。馬鹿馬鹿しいと思ったのだ。

「俺一人を殺せないようなヤツが、誰を殺せるって?」

「だって、ボッシュは勿体無いと思ったから」

「…何が勿体無いんだよ」

 鬼と呼ばれて、石を投げられたことは数え切れない。
 あちこちをぶらぶら渡り歩いて、奪った僧兵の衣服。覚えた長刀を振りかざして、つまらない世の中と、つまらない憂さ晴らししかできない自分に飽き飽きして。
 …こんな自分の、何が惜しいと?
 ボッシュは呆れ果てて、リュウの言葉を待った。そんなボッシュの眼前で、リュウはにこりと笑う。

「だって、綺麗じゃないか? 勿体無い。…おれはそんな金色の髪も、碧い目も見たことがなかったから。わざわざ殺すのは、何だか勿体無いなと思ったんだ」

 何かおかしいかなと言う、その笑顔。
 ボッシュは今度こそ完全に目を見張って、半眼になる。

「やっぱり由緒正しい馬鹿じゃねえの。おまえ」

「…ううん。そうなのかな?」

 否定するのも面倒になったらしい。リュウはただ肩をすくめて「じゃあ」と身を翻す。

「…何処行くんだ」

「熱田神宮。…何でも、父上の奥方の父上が、そこにいるらしくて」

「? 父上の奥方って。おまえの母上じゃないのか?」

「うーん。おれの母上は、また違うところにいるんだ」

 困ったように笑うその顔は、今度は少しだけ寂しげにも見えた。
 ボッシュはその顔を、何となく見つめ。…「熱田神宮、ね」と呟いて、がしゃりと太刀の詰まった袋を揺らす。

「…その太刀、どうするの?」

「売る、か。そうでなきゃ捨てるさ。ちょっとは身軽になるだろ」

 その答えに、リュウはそっと。…けれど、ひどく可笑しそうに笑った。

「身軽になって、どうするのさ」

 問いかけに返ってきたのは、月の如く白く輝く金髪のきらめきと、闇の中にもうっすらと浮かび上がるような碧の瞳。
 ボッシュは何を今更、というように肩をすくめて、くるりとリュウに背を向けると。

「どこかの由緒正しい人殺しについてくのに、こんな大荷物は邪魔だろうが」

 くつりと笑って、手をあげた。








誰だ誰だ誰だ。…配役を間違えてしまったのでしょうか。
義経はとにかく大好きな歴史上の人物の一人です。
そのわりには、軽く嘘ばかり書いた気がします。そんなもんだ。私の好きなんて…。(どうしようもないな)

一応『源 義経』→リュウで、『武蔵坊弁慶』→ボッシュです。

ノリだけで後についてくことを決めてしまったこんな弁慶はどうよと思うんですが。
義経は、実はとっても性格が悪い男なんじゃないかなあと疑ってやみません。